田中芳樹 / 銀河英雄伝説

2019-12-04お気に入り・おすすめ, manage-strat 経営・戦略・思考, social 社会, space 宇宙, novel 小説

原作にて。

いまさら、しかも私なんかが語るには恐れ多い…とすら思う巨編。
政治、戦争、組織、歴史、戦略と戦術、そしてそれら全てを紡ぐ長編ヒューマンドラマ。

歴史書風味な書きっぷりのため、読んでいるうちにものすごく視座が高くなること請け合いです。


全編、大変感動したので、つらつらと感想書いてゆきます。

考察は全然しておりません。
もちろん盛大にネタバレしております。

10冊の旅路

ところで、いま「ノイエテーゼ」というタイトルで、旧作アニメをリメイク放映していますね。
このことを読み始めた当時は知らず、2巻の途中を読んでいるときに初めて知りました。
それくらい、最初はあまり興味なかったのです。実は。

もともと「スペースオペラ」があまり好きではなく、タイトルを見ても明らかな「銀英伝」を自ら進んで手に取ることはおそらくありません。
なぜ手に取ったかというと、お酒の席でわりとまじめな組織論の話をしているときに「参謀」の話になり、参考図書として紹介されたから。紹介してくださったのが尊敬する大先輩だったということもあり、その場で10冊セットをネット注文。
(今思えば、その時先輩方が話していたのは「オーベルシュタイン」だったのだと分かります。)

1巻の序章、近い未来、人類は地球を捨てること、そして帝政になること、そしてその圧政に苦しんだ人が遠い宇宙を逃亡し苦心の末に共和制の拠点を作ること…。
ここだけでも私の大好きなSFの短編小説になるくらいのスケール。
以降、最後までサイエンスな描写はあまりない(ストーリーに直結するサイエンスが無い)のですが、氷の船で逃亡劇をかましたというのはSF的にもワクワクでした。
ここでグッと引き込まれます。

でも、1巻はまだ「三国志みたいなもの」という認識(*)であって、ほかには「ヤンウェンリーが個人的に好みだな」という珍しい感情があった程度。

(*).「三国志」は読破はしていませんが、様々な思惑を持った人たちが歴史を作っていく…こちらも一大スペクタクルと認識してます。
ただ、共感を誘う人間味あふれるエピソードとか、今風のキャッチーな言葉とかが出てくるわけでもないのでわりと俯瞰姿勢から脱せなくて、淡々と説明付き年表読んでる…という気になってしまうのですよね。

ヤンの退場

ところが映画をやるのだなと知るのとほぼ同時に、ヤンウェンリーが途中退場するというネタバレを一瞬目にしてしまい、「どうやって、どうして、いつ退場するのか」が気になって気になって仕方がなくなってしまったのです。
もともとはネットで検索するほどの興味もなかったというのが正直なところで、平和にゆっくり読み進めていたというのに…。

というわけで、2巻の途中から8巻(ヤン退場)までを、寝食削って一気読み。

最もドキドキしたのは、ヤンの養子であるユリアンがフェザーン勤務となるところです。
「まさかこのまま離別するんじゃないだろうな」と本気でハラハラしていました。

ヤンの退場が本作において大きな意味を持つというのは当然推測ができたから、ビュコック元帥のような後腐れのない「勇退」は無理だろうと思っていましたし、作中でユリアンとフレデリカは後々も健在ということが明確なので、おそらく暗殺だろうな、ということもだんだん分かってきてた。
そんな中での、まさかのフレデリカとの結婚(短期間だがまともな結婚生活)と、ユリアンとの2度の再会。
そして退場シーンとその前後は、その後のロイエンタール退場と並んでかなり丁寧に書かれています。

ユリアンがフェザーン勤務中に離脱してしまった場合、フレデリカをファーストネームで呼んだりすることもなかったわけで。(このシーン、悶えました)
フレデリカがほとんどの気持ちを代弁してくれたおかげで、静かに庭で息を引き取る老いたヤンを妄想してくれたおかげで、あまり落ち込まずに済みました。

ロイエンタールの叛逆

続くロイエンタール反逆編については、こちらも作中でずっと示唆されていたので特別な驚きはなく、でも子供をミッターマイヤーに託すという家族愛ドラマ付き。

有名な「遅いじゃないか、ミッターマイヤー」は、ギリギリ駆け付けた本人に言った…かと思っていたのですが、間に合わなかったからこそ有名な台詞になったのですね。。

それにしても「どうやって叛逆ポジションにつくか」ということをわりと考えて読んでいたのですが、当たりませんでしたね。これは難しかった。
「陰謀にわざと乗っかって叛逆した」というよりは「もう運命的にそれをする道しかないから、負けを分かっていてトライに出る」という、そしてそれを周囲も何となく分かっている、という、なんだか哀愁漂う叛逆でした。
どうせならもう少し勝ち筋とその未来に自信をもって挑んでほしかったな…。

後半のユリアン(前半は「嫁」)

ところでGoogleで「ユリアン」と入力すると、「嫌い」が一番最初にサジェストされるのですよ(笑)

びっくりです。

原作派かつヤン信者としては、ユリアンに感謝こそすれど嫌いになる要素は皆無です。

もしヤン好きでユリアン嫌いという人がいたとしたら、たぶん、あなたあんまりヤンのこと分かってないと思うけど…という感じがするかな。

まあ、ユリアンが少しでもポプラン味のあるキャラだったら…。あるいは、ユリアンがもう少し大人になってからのヤン離脱だったら、もう少し主体的な感情を軸に自分の人生を選んでいた可能性がありますよね。言い方は微妙かもしれませんが、もう少しヒーローちっくになって(人気が出て)いたかもしれない。
でも、あの世界の状況で、18歳ですよ。
愛していた師を救えなかったのですよ…。
「僕の人生はもうここに向かうしかないんだ」と、真面目なユリアンなら思うでしょうよ。
「選択肢を奪って」しまったんですよね、ヤンは。そういうのも含めての「ごめん」じゃないかな。
きっとヤンが生きていたら「親の職業を子が継がねばならない法はないよ」と再三、言われることもわかっていて、若干自己犠牲的な風味も理解したうえで、それでも人生を決意してしまうよ。ユリアンなら。

そしてユリアンには、たぶんもう一つ大事な役割があります。
私が思うにユリアンは、「読者に行動を問う」鏡としての役割を(結果的に)持っていると思います。

ヤンが退場するまで、読者は結構「赤(帝国)と青(同盟)のヒーローたちの男らしい戦いを眺めている傍観者」でいられたのですが、青側のヒーローが無念な退場を余儀なくされて、ちょっと途方にくれます。
赤側陣営を応援したとしても、せっかく好敵手だと思っていた青側のリーダーが逝っちゃうなんて、どうなっちゃうの? という喪失感が結構あるのではないでしょうか。

ユリアンはそれまで、読者と同じ目線で「守られてついて行っていればOK」な立場の男の子だった。
読者と同じく、無責任でよかった立場でいられた。(そのこと自体に本人は焦燥感を強く感じていたのでしょうけど。)

ここでユリアンは、上記の通り痛みも覚悟した上で、できるだけ「意志を継ぎ実現するだけの存在」になろうと深く決意するのです。

読者は不満を言っていればいいんですよ。「お前じゃ役者不足だ」とか無責任に次なるかっこいいヒーローを期待するだけでいいんです。

でも現実にはそんなものは現れない。
どんなに辛くおぞましい悲壮感に陥ったとしても、都合よく物事を解決してくれる丁度いいヒーローなんて現れない。
ユリアンはその事をよくわかっていて(客観視の力はヤン譲りですよね)、どんなに役者不足を理解していても、自分が行動するのが良いだろう、と信じて司令官になるわけです。(ヤンも、自分なんかが最前線で政治工作もどきなんぞをするのは、悲しいかなちょうど他に適切な人が、その時代にそこに居なかったからだ、と、よくわかった上でやっていたはず。)

「楽をしたがる」民衆の面々、絶対こんな事できませんよ。

「自分なんかが無理ですよ!皆を不幸にするだけです!もっと相応しい人がきっとどこかに居ますから!」と、その相応しい人がどこにいるのか探しもしないまま、最もマシなのが自分かもしれないという客観的な責任を見て見ぬ振りして隠れていればいいんですよね。そっちのほうが絶対楽ですから。

だからこそ、「ユリアンは決断した。で、君はなにをする?」と最も痛いところを表現する重要な役どころなのだと感じました。


・・・・・まあ、エンターテイメントフィクションですからねw どんな楽しみ方しても正しいのでしょう!
何をこんなに真面目に語っているのかw

推測ですが、ユリアンが嫌いと宣っている勢は、旧作アニメ版でしか見ておらず、そして旧作アニメ版では台詞が少なめのヤンの深く広い思想や、それを知るユリアンの苦悩をあまりしっかり表現しなかったのではないかと。
可愛い弟キャラだと思ってたのに、主人公の一人をむざむざ死なせた挙句、取って代わろうとするなんて、みたいに見えてしまったのではないかな。ヤン好きでなくても、ちょっと不遜に見えたのかも。
見てないので推測でしかないのですけどね。
ちゃんと旧作アニメも見てみたいな。


楽しみ方は幅広い

そうそう。これね。
楽しみ方、人によって結構違うと思われます。

というのも、「男と男の血沸き肉躍る愛憎豊かな闘争劇」に滾る人もいれば、それが壮大なスケールの「宇宙空間」でカッコイイ「戦艦」で繰り広げられるという爽快感に浸る人もいると思うのですよね。
永遠の「民主主義VS専制政治」の思考実験として楽しむ見方もあれば、各会戦での戦術的な立ち回りにワクワクすることもできる。

で、それを織りなす登場人物たちがみんな個性的で魅力的だから、それを枢軸に多くのファンが集うのだろうと思う。

私も軸は一緒なのですけど、どちらかというと政治的な見方のほうにワクワクしましたね。
作中の表現で言えば、「戦術」の話より大局的な視野と「戦略」をどう整えるかという流れのほうがアツかった。
そしてそれを軍人の一存では動かしえないというヤンのジレンマも。

一つ一つの会戦に関しては、パズル好きとしては面白かったのですが、できれば一兵も死んでほしくないし、しなくてよい方法があるならそっちを選んでほしい、と純粋に思ってしまう質のため、ラインハルトや帝国軍人たちがさまざまな矜持や「質」のためにいちいち一戦を交えるのは、普通に嫌なのです。
ただ、事実、実際の歴史も「そう」なわけだし、それを抽象化したフィクション内で会戦が勃発することにいちいち「いやだ」とはまあ、思わないのですけどね。(だからこそ、「できることなら戦わない道を選びたい」と苦心し続けていたヤンが好きなんですね、きっと。)

それとこの本を教えてくださった方たちが喋っていたオーベルシュタインのこととか。
組織論的な視点も強いので、「どんな組織づくりをするか」という議論にもなって面白い。
(ちなみにその時の文脈では「オーベルシュタインみたいな人間も、組織には必要なんだよ」という話だったかなぁと思います。)


政治っぽい話

民主共和制と君主独裁制を対立の軸として描いてある本作、どちらのジレンマも丁寧に書かれていて、「制度は万能ではない」「でもどういった制度がよりよいのか考え続ける必要がある」「大事なのはどう運営するかの人間のほうであるのではないか」といった問いを投げていると思います。

本編は共和民主制寄り(同盟側から見たジレンマ描写が多い)と感じますが、外伝ではルドルフ専制政治の歴史もじっくり書いてあります。
私なりの解釈を書いてみましょう。

専制(独裁制)

意思決定と実行が早いため、専制者の能力によって治安がダイレクトに変化する。有能な専制者が続く場合は民主共和制よりもよい状態となる可能性がある。
ただし、有能でない専制者もしくは害のある専制者が出現した場合、これを抑制する仕組みがない。
また、人民は権力者に支配される状態に慣れて考えることをやめてしまうため、中長期的に考えると国力(?)が下がる恐れがある。

民主共和制

人民自らが政治に関与できる。特定の人物や組織層の偏った思想に支配されることがない。ただし意思決定は遅く、また中長期的に統一感のない行き当たりばったりの政策になる可能性があり時間がかかる政策を実行しづらい。
また、作中でもあるように「独裁者を民主的な方法により誕生させることも可能」という矛盾を抱えている。


いろいろと不勉強ですが、ざっくりイメージはこんな感じでしょうか。
結果的にどちらも似たような恐れがあるわけですよね。
人間は「楽をしたがる」から、民主政治だろうと誰かに支配される恐れがある。

作品は一見、民主共和制推しに見えるが、トリューニヒトという完璧な扇動者を持ってくることでその脆さをしっかり描いていますよね。
そしてラインハルトやキルヒアイス、ヒルデガルドらが専制君主側に立ってくれるなら、むしろそちらの方が幸せなんじゃないのか?とも。

現実のことを考える際にも、面白いヒントになりそうです。
(本当は史実をヒントにした方がよりよいのでしょうけれど、興味のトリガーを単純化したフィクションで補うというのはいいことかなぁと思います。)



娯楽として/キャラクターの話

これはBLではないのか?w 否、これ立派なBLかと思われますw

個人的にはヤン推しだったので帝国側のモロモロはあまり感銘を受けなかったんですが、振り返れば振り返るほど「ラインハルトとキルヒアイス」はただのBLなのでは…という気がしてくる。
髪を触るとかも最初はあまり気にせず読んでいたのですが、一緒に「ノイエ」を観た友人が「あれは何!!?!? そういうアレなの!??!」とビビっていたので、「確かにアニメだけ見ると、よけいにただのBLだなぁw」と…。

BL界隈はそこまで詳しくないですが、ラインハルトの極度のシスコンという面は、キルヒアイスとBLであるということを否定する要素じゃないと思うのですよね。
キルヒアイスもキルヒアイスで、恋愛的に入れ込んでいたのはアンネローゼ(姉)ではあっても、恐ろしいほどの忠誠の尽くしようもすごかった。
天才のバディ役として最強なんじゃないでしょうかね。

ミッターマイヤーとロイエンタールの友情とか、キャゼルヌとヤンの同僚関係とか、ビュコックとヤンの信頼とか、シェーンコップの最期とか、人間模様の描写が本当に鮮やかですよね。
シェーンコップとカリンの下りは後付け感というか、一番俗っぽい感じがしましたけど、後半に行くにつれてキャラがどんどんいなくなっていくし、ユリアンのためにも出してくれてよかったかなと思います。



あ、ちなみに、やっぱり原作版のヤンが一番好きですね。
もともとどんな作品も基本原作派で、メディアミックスは別作品として楽しむ事が多いのですが、今回は珍しくかなり強めに「原作のヤン」が好きかな。
(そもそも異性キャラでこんなに好きになったのは他に記憶がない。俳優とかも全然興味がないので、2D3D含めてフィクションキャラクターに強い魅力を感じることがかなり珍しいです。)

アニメや漫画版はちょっと天然可愛い感じらしく、ノイエは無駄にイケメン気取る感じだし、まあ確かにあのキャラを一般受けとか分かりやすくデフォルメするならそうなるのでしょうけれども、どれもちょっと違うんですよねぇ。あんなコミュ力高くない。
それに思想が分かりづらいからかな。他人に語る性格でもないし。

実際にヤンがいたとしても、たぶん彼の本を読んで初めて大好きになるんだと思います。
たとえどこかで知り合ったとしても、普通のやりとりでは彼の深い思想が分かんないからな~。

そう考えると、やっぱり活字っていいね。ペンは剣より強し。やっぱり私は同盟派ですねぇw
積極的に意見を交換し合うディベートもそれはそれでもちろん爽快だけど、「思想を誠意をもってまとめた」本を、読者が自分の意思で手に取り解釈する、という、一見、一方通行なんだけどそこには独自のVPN構築されているというか(笑)、ラブレターみたいなもんだよね。


というわけで、めっちゃ面白い名作でした!



外伝も全部読みましたが、本編よりだいぶ鮮やかというか、作者が書きたいこと書いてますって感じだったのでおすすめ!
ちまちま買って読みましたが、こんなことならセットで買ってもよかった。