スティーヴン・バクスター[中原 尚哉 訳] / タイム・シップ THE TIME SHIPS

2020-07-29名作, science - fiction SF

ハードSF好きの知人が貸してくださった本。

いわゆるタイムトラベル物はあまり興味がないのだけど、これは壮大で面白かったです!
SF的に面白い、というのももちろんだけど、作品として「タイム・マシン」と「タイム・シップ」の連携プレーが見事です。

いつもどおり、ネタバレ含むのでご注意です。


「タイム・マシン」との連携プレー

本には帯がついていて、そこには「ウェルズのタイム・マシンの公認続篇」と書かれている。
本書「タイム・シップ」は、「タイム・マシン」という作品の続編にあたります。「H・G・ウェルズが書いたタイム・マシン」が先ということ。

そのことを知らずに「バクスターのタイム・シップ」から読み始めてしまったので、最初は帯の意味が分からなかったのですが、後半になってからそれが理解でき、「お見事!!」と感動したのでした。


タイム・シップは、1回目のタイムトラベルから帰ってきたところから始まる。
その1回目のタイムトラベルが、作品や、作中の歴史だけでなく、主人公にとって非常に大きな意味を持つということが分かるのだけど、どんなタイムトラベルだったのかの詳細な描写が無いなぁ、となんとなく不思議に思っていたんだよね。
その1回目のタイムトラベルについて詳細に描いて、次の旅立ちまでを描いたのが「タイム・マシン」だったというわけ。
「公認続篇」と言わしめるのも深く頷けるくらい、最初のつなぎも素晴らしいし、作中での表し方もとても愛と尊敬に溢れてる、、って感じがします。
ものすごく俗っぽく平たく言うと、「これ、原作ヲタが本気出してオマージュしちゃった、原作者も真っ青のガチ続篇」w
いわゆる原作レイプが全く無いどころか、要点を上手いこと活かして、より壮大な物語に仕上がってます。

タイム・シップの上下巻の壮大な作品のなかで、1回目のタイムトラベルがどういった意味を持つものだったのかはほとんど描写されているので、タイム・マシンを読まなくても面白く読めます。
むしろ私のように、順番を逆にして読むのも、ある意味感動があると思う。


スケールとディティールが逸品

さてSFとしては。
「タイムトラベル物」ってジャンル自体が、スケールが小さめに見えていたので、もともとはあまり興味が無いのですが。
※「タイムトラベル物」は、「タイムパラドックス」に解をもたらさずに、せいぜい1~3時点くらいの時代でのてんやわんやをやって終わりだと思っているため。

が!

タイムシップは、1回目のタイムトラベルを入れると、往復で2回とカウントして、通算11回もタイムマシンに乗って時間航行をする(!!)し、最終的にとんでもないところまで遡ったり、未来へ行ってしまったりするし、しかも「タイムパラドックス」に一応落とし所をつけるわけです。

上巻で5回、下巻では、暁時代と「ファースト・ロンドン」の記述が長くはあったけど、6回も時間航行して、色々と回収していく。そのどれもが、ものすごく丁寧なのです。
適当な描写をして時間を行ったり来たりするだけではなんの感慨もないのだけど、1時代の描写をものすごく丁寧に描くから、主人公たちの不安や期待や思い入れなんかにとても共感できるわけで。

中でもやはり、暁時代の「ファースト・ロンドン」後のタイムトラベルの描写は感慨深いものがありました。。
恐竜がいる時代に、1980年代の人間…どころか、ネボジプフェルの時代の知恵まで授かった人類が作った「ファースト・ロンドン」ですもの。1981年は想像もつかない状況に…。
ちなみにこの1981年、「ネットは広大だわ…」というかの名セリフを思い出さずにはおれない内容です。


そしてSF好きとしては共感せざるを得ない「危険を顧みても真実を追い求めたい」という情熱や、「戦争や、人間の持つ日頃の恐怖や欲望なんかが、いかにくだらないか」ということ、そして序盤から最後まで「モーロックへの畏怖とネボジプフェルという友人への情」や、主人公の成長(考えの変化)が描かれ続けてます。
それから時間を移動するときの描写をしっかりするのも、特長だよね。


SFだけど、物語性が高い

SFは「世界がどうなる」「種がどうなる」という壮大なテーマだったり、人間としての哲学に迫る内容が多いので、細かな人間関係を情緒的に描くことは少ない用に感じますが、この作品はそのあたりもしっかり書ききってます。

上巻の終わりではパーティにジョインしたと思っていたモーゼズがまさかの離脱でびっくりしたのだけど、「戦争編」というか、戦争のくだらなさを読者に印象づけるという意味では一番の演出でした。

ネボジプフェルとの友情劇は、やはり同じ時間航行家としてあれだけ苦楽を共にすれば、情の一つやふたつ、湧いて当然です…。
過去・未来の二つの特長や知恵が、色々な時代で活き、助け合って、描写は最後まで淡々としつつも、感慨深いものでした。
ここにモーロックの畏怖を裏表で混ぜてくるところが、小説家としてニクイというか、ウマイなぁと思う。

時間を移動する時の描写は、私の知る「タイムトラベル物」では無いものだったので、かなり新鮮だった。
で、それがまたとても丁寧なので、いろんな未来がありうるのだなと、これもものすごく面白かった。
サイエンス描写が分かるSF好きにとっては、かなり興味深い箇所であったのではと思う。

それから後半、ネボジプフェルとともに更に100万年の未来を目指すあたりから、「アレー?これもしかして、スターチャイルド的展開アリウルー!?w」と思ってオロオロしてたのですが、笑
最終的には、最後まで残っていた最大の2つの伏線(ウィーナの救出と、「プラトナー」としての登場)も回収し、一応ほっと一息という最後でした。


“モーロック"

モーロックへの畏怖に関しては、結構病的に描かれております。
なぜ主人公がそんなにモーロックに畏怖を感じるか、という答えの一つが、「人肉を育てて食べている(ところを未来で見てしまった)」だと思うのだけど、実はこれ「タイム・シップ」ではおそらく比喩にとどまっていて一回も直接的には書かれていない気がするのだよね。
最後まで、エロイ族とモーロック族の関係は、互いに依存し合って…みたいな表現はされていても、「エロイはモーロックに物資供給を受けて楽しく暮らせる/モーロックは適当に育てたエロイを闇夜に捕獲して捕食する」という関係性は全く描かれていなかったと思う。

これは結構すごいと思うのよ。
タイムマシンを読んでから読んでいる読者には、どんな比喩であろうともよく納得できる書き方になっていると思うし、読んでいない読者的には、少々不思議な感覚がつきまとうのだけど、「タイム・マシン」を読むと一気に分かるという。(別に読んでない読者の方は想定してないと思いますがねw)

つまり私は、なんで主人公がそこまでモーロックに畏怖の念を抱くのか、確かにちょっと不思議でもあったし、タイム・シップでは全く登場しないウィーナになぜにそんな思い入れがあるのかもわからなかった。

最終的に、主人公はウィーナの時代に戻るわけだけど、きっと「タイム・マシン」を先に読んでいる人は、ようやく溜飲が下がったという思いで読めたんだろうなぁと思います。最終的に、主人公が自分の時代ではなくウィーナの時代を選んだのも、10回のタイムトラベルを一緒してきた読者にはものすごく納得できる答え。

うーん本当にうまいんだよね。続篇として素晴らしい。



あと、私が単純に馬鹿なんだけど「タイム・マシン」を読んだ後でさえ、「主人公に名前がない」ことに気がつかなかった!!

私が馬鹿なだけなんだけど笑、でもこれも結構すごいです。

「タイム・マシン」は短編だし、半分以上が言葉がろくに通じない未来での描写で「名前を呼ばれる」ことが無いのでともかく、「タイム・シップ」でも、一度も名前を呼ばれない状態であんなに違和感なく書けるとは…。

う~ん。脱帽です。

これがオマージュというか、別人の原作短編があっての作品、というところが、もう本当に感嘆です。

ぜひ両方合わせて読みたいSF!

タイム・シップ
スティーヴン バクスター (著), 中原 尚哉 (翻訳)