BLADE RUNNER ブレードランナー 2049

洋画, science - fiction SFブレードランナー, ブレラン, 電気羊はアンドロイドの夢を見るか?

名作「ブレラン」の35年越しの続編。

おそらく何年も待望論があったのでしょうが、やっとここに来て実現できたということみたいです。

「ブレードランナー」のレビューはこちら

ブレランの原作「電気羊はアンドロイドの夢を見るか?」のレビューはこちら




「新しさ」には乏しい正当続編

かつての名作の続編を、話題の人気俳優ライアン・ゴズリングを起用して映像化!
しかも旧作の主人公であるハリソン・フォードも「デッカード」として再登場する、という、まさに「レジェント再君臨!」みたいなアツいプロジェクトですね。

ところが。

個人的には「…ん?」という内容だったのは否めませんでした。
ある意味商業的な爽快感のあるものを、まさに現代の視点でゼロから作ってくれたのかと思っていたのです。

もしもブレランをリスペクトしつつ現代の感性で続編を再構成するとなれば、SF的な描写ももう少しワクワクするものとなっていた気がするのですが、正直なところ「当時の感性で当時のブレランをそのまま引っ張ったブレランの未来」という世界観であり、続編としては正しいけれど、「新しい世界観をぶち上げる」というかつてのブレランの功績を再現する、とまではいかなかったみたい。


「生殖」と「アイデンティティ」の話

ストーリーは、前作ブレランの「人間とアンドロイドの違いとは」みたいなわかりやすい葛藤よりも、「幼少期の記憶を持たないぼく」という主人公が「僕は特別なのかもしれない」と疑うところから始まるアイデンティティにフォーカスしています。

あまり「人間か・アンドロイドか」みたいな二項対立っぽいテーマには感じませんでした。
より普遍的というか、SFに限らずよくある「自分のルーツやアイデンティティを疑う」という主人公であって、ここは正直SF感はほとんど無いです。

そしてもう一つのテーマは「生殖」ですね。
前作のラストでいわばカケオチしたリック・デッカードとレイチェルですが、当時のタイレル社は、なんと「アンドロイドが自己増殖できる」機能として生殖機能を既に実現していました。(つまりアンドロイドが子供を産めるということ)
二人はカケオチの末、「妊娠・出産」をしていたのです。
生殖機能を持っていたのは当時最新型だったレイチェルのロットだったのですが、その直後にタイレル社が崩壊するとともに正式にはそのアンドロイドたちは駆逐されていて、既にロストテクノロジーとなっていた。

そして今回敵となるのはそのロストテクノロジーを渇望している、アンドロイド製造企業「ウォレス社」の人間とアンドロイドとなります。
ウォレス社のトップはイカれてるマッドサイエンティストで、まるで自分は神なのにどうして生殖機能を実現できないのか?いったいどんな手違いで?と心底不思議な様子で、生殖機能を持たないアンドロイドを下卑している。
そんな中「そのロストテクノロジー(の子孫)が存在する」という噂を聞きつけて何をしてでも手に入れようとしてきます。

主人公Kはブレードランナーでもある新型アンドロイドですが、警察の上司からは「世界秩序を乱すことになるアンドロイドの生殖の証拠は抹消せよ」と命じられるため、ウォレス社と対立する構造となります。

ところが「自分の記憶はもしかして特別なのではないか」=「ただのアンドロイドじゃないのではないか?」とアイデンティティが目覚め始めてしまい、ブレードランナーとしての仕事というよりも自分の出生の秘密を探しに行く、といった流れになる。


結果的には「特別ではなかった」事がわかるも、自分と似たような経緯で「解放運動」をしているアンドロイド仲間の集団に出会い、最後は自分の意志でウォレス社と戦って、デッカードとその娘の再会を手助けする…。というところで終幕です。

ある意味、前作ブレランと同様「僕はいったいどういう存在なのだろう?」というアイデンティティを問う話、という意味では一貫していますね。


ジョイがかわいい

唯一、いわゆる未来感があっていいなぁと思ったのはジョイの描写でした。
ボディを持たないAIで、主人公Kのいわば恋人です。

Kも同じAIだけど「物理的な脳やボディを持つ」という意味ではジョイとは明確に違う。
「ジョイは(Kよりも)更に儚い存在」であるということはしっかり表現されていました。

デバイスや電気供給やネットワーク…が無いことには存在も顕現もできないわけで、そのデータやコアが破壊されたらそれはつまり死です。
まあ、電気的AIも「人形遣い」レベルで電気信号側から色々を操れるようになれば、固定のボディなど無くとも逆に最強になれる気がしますが、決まりきった制限下でしか動けないようプログラムされている存在であるジョイは、文字通り供給元が消えたら死ぬしか無いわけですね。

「人間とロボット(AI)の恋人」というのはもはや王道とすら言えるテーマですが、「ボディを持つアンドロイドと、ボディを持たないAIの恋人」というテーマは珍しいと思うので新鮮でした。

そして何より可愛かった。(重要)

Kの態度もよかったですねぇ。
ジョイに対して「所詮は儚い虚像だな」とでも思っていそうな表情なのですが、「それは自分だって全く同じ(ボディを持っているだけ)」ということをちゃんと分かっているから、悲観するわけでもない。自分で自分を憐れむのと同じですからね。

でも、だからこそ「自分は普通のアンドロイドではないのかもしれない」というアイデンティティの目覚めが重要になってくる。


デッカードは結局人間だったの?

さて、モヤッとしたのが、前作ブレランでは「リック・デッカードもレプリカント(アンドロイド)」と言い張っていた監督。
その理解のまま観ていると、まずデッカードの再登場で誰もが思いますよ。

「え?デッカードってメンテもしてなくて逃亡生活してるってのに、老けるの????レプリなんでしょ????」

さらに「レイチェルが生殖機能を持つ最初で最後の型だった」てのは分かるんですけど、それで子供を産んだということは、え~~と、デッカードは・・・・・最新型を孕ませる精子だかの機能を既に持ってたの!?ということになるんですよ。
もしくは、自分も最新型だったけどそれと知らずに、なぜか人間と思い込まされてブレードランナーをやらされていた(かなりつい最近まで記憶が捏造されたものだった)とかの「誰が何のために」の説明が必要になってきます。

さらに、終盤でウォレスたちがデッカードを誘拐したシーンで「子供はどこにいるか教えろ」みたいな感じになってますが、もし彼がレプリなら、マッドサイエンティストなんだから問答無用でさっさと解体したら?って感じなわけです。
まあデッカードは男ですから、子供が女児なら「女」の型を知りたいのでまずは拷問というのは分かりますけど・・。


つまり、デッカードはかなり人間として描かれているんですよ。
ナニソレ・・・・・。

Wikiによれば「デッカードが人間かレプリか」というのは、わざと曖昧なままにしている、みたいな感じらしい。

・・・・・・・え~~~~~・・・・・・・・・・。

そういう、大事なところをわざと曖昧にしました、ていうの無責任感に溢れててすごく嫌なんですけど…。
そんなんSFじゃないでしょ…。サイエンスフィクションじゃなくてサイエンスファンタジーだよ、それ。

本当は人間なんだけど、前作監督へ不義理するわけにいかないから「レプリじゃないっすw」とは流石に言えません、みたいな感じなのかなぁ…。


邪道だけど「ブレードランナーEX」みたいなのないかなw

確かに当時の世界観を引き継いだ正統派続編だったけど、やっぱり「新たな価値をぶち上げる」という意味でのブレードランナーをもう一度最新のSF世界観で観てみたい、というのもある。

Wikiには「もう一つ構想がある」みたいなことが書いてあるので、いやマジでEXでお願いしたい。

ただの暗いだけの「自分探しストーリー」みたいになってたよ…。(個人的な所感です…)


もともと「ブレラン」では原作の「電気羊」とは全然違う作品になってたわけなので、原作厨としてはもう別物としてみていますから、その謎に暗いところだけをもう引き継がなくていいですw

カッチョイーSF描写でドッカンバトルしてくださいw

期待してます~。

ブレードランナー 2049 [DVD]
2017, ライアン・ゴズリング (出演), ハリソン・フォード (出演), ドゥニ・ヴィルヌーヴ (監督)