細田 守 / バケモノの子

邦画細田守

2016年細田作品。
タイトル通り、バケモノに育てられる少年とバケモノの交流、というのをストレートに描いてます。

所感は「イイネ」!
そして思った以上に「家族モノ」だなと。

ただ、サマーウォーズや時かけと比べると、完全性?みたいなのは少し劣るかも。色々言いたくなる内容なのは間違いないです。


未熟な親 ✕ 周囲を信用していない少年

母が亡くなり父親が迎えに来ず、自分を跡取りとしか見てない親戚に、家を飛び出す9歳の少年「蓮(九太)」。
夜の渋谷の裏路地、そこで迷い込んだのはバケモノの世界だった。

いいですねぇ。ファンタジー。

で、強いけど一人ぼっちのバケモノ「熊徹」になぜか見込まれて弟子になることになり、独り者同士、ぶつかり合いながらも結果的に互いに研鑽し合う関係となっていく。なんと8年間。(一応師匠と弟子の関係)
この辺はドストレートなハートフル友情ファンタジーなので、ただただ「いいですねぇ〜」という感じです。

その熊徹はバケモノ界の次の宗師(大統領みたいなもん?)に立候補していて、武芸にも秀でて優しく優秀なライバル「猪王山」にもいずれ打ち勝ってハッピーエンドなるやろなという分かりやすい展開なのです。

異世界ものとしては珍しく、人間界に帰るとこをちゃんとやる

ところが後半、17歳になってかなり強くなった蓮は、熊徹の目を盗んで人間界に戻るようになり、読み書きや勉強を教えてくれる「楓」との関係も深めていきます。

ちなみに観終わった後に知ったのですがこの「楓」ちゃん、いらない子じゃね?と言われてけっこう評判が悪いらしい。

まあ確かに、前半のテンションのまま「不器用で強いバケモノと家出した少年が強くなって成長して宗師になってハッピーエンド(九太は終わりの方でなんかいい感じに人間界に戻ることになって涙のお別れ)」みたいのを期待した人からすると、「はぁ?色目使って人間界の現実的なやつに引き込もうとするんじゃねぇよ」みたいなのが…正直なくはない立ち位置です。

そして、「人間界に戻るかどうか」「父親はいるのか、受け入れてくれるか」みたいな葛藤をし始めます。
そして不器用ながらも九太の親のつもりで頑張ってきた熊徹は、留守がちな九太が人間界に戻ろうとしてるんじゃないかと不安になりブチ切れて大喧嘩。
ここの喧嘩、超絶よくある「頑固親父と子供の不幸な喧嘩」です。
あるあるすぎてリアルすぎる故に、ウヘェ…ってなった…。

なるほど、わからん!なクライマックス

心の闇(わかる)

そしてこのへんから、「人間は心に闇を宿す」の前フリがちゃんと具現化します。
初見から「え?なんで九太以外に人間いるん?」とおそらくみんなが思った猪王山の長男「一郎彦」、この子はバケモノとして育てられたのに自分には牙が生えたりしないことからアイデンティティーがかなり迷子になっており、父を負かした熊徹や強くなって認められだした九太にその矛先を向けます。
せっかく試合に勝った熊徹を刺し、渋谷で大暴れ。これはわかりやすいですね。分かります。

楓の挑発(分からん)

この時に「危ないから俺から離れて」という蓮に対して「離さないんだから!」とか言う、ヒロインが一番やってはいけないことをしてしまう楓チャン。(人気がない一番の原因はおそらくこれで、まあこれに関しては自分もおいおいと思った。)

こういう行動をするヒロインは、「彼女がいたからヒーローが救われた」「彼女の機転のおかげで敵に勝てた」みたいなのがないといけないと思うのですが、それが無かったのでよけいにです。
闇に囚われてしまった一郎彦に対して、一郎彦のことをほぼ何も知らないくせに「心に闇を持ってるのはみんな同じ!私だって持ってる!」と啖呵を切るところまではまだいいのですが、「だから苦しいのはあなただけじゃないわ」と語りかけて隙を生んだとかじゃなく、「その闇にちゃんと向き合っている私達のほうが強いんだから!」みたいな完全な挑発をするという、余計なことしないで!?のお手本を披露!

そもそも一郎彦からすれば、バケモノ界で育ったくせに人間界にも九太の味方っぽい人間(しかも女)がいるというのも目障りに違いないんですが、そんな女がいきなり啖呵切って挑発してくるって…。挑発としてはめちゃくちゃ優秀です!

熊徹が心の剣に(?????)

で、蓮ピンチか!というところで、まさかの変化の魔法で付喪神となった熊徹(???)が連の「心の闇」を埋めてくれることで、心に剣を宿した連はその力で一郎彦の闇を倒す───。

え?w

はい? あ、まあ「心の剣」のくだりをこうやって回収するのか!と、そこはちょっとウルッとしましたけど、いやいや楓が言ったように「人間は闇を心に持ちながらも頑張って生きてる」わけで、それを埋めてしまうって矛盾してませんか??

そして熊徹いなくなるのはちょっと悪手じゃない…?
「もう助からない」とか言うくだりがあったならともかく…。だったとしてもファンタジーや家族モノとしては、「異世界の父」はそのまま異世界に存在したままのがいいと思うんですけど…。

「両親の内在化」を良い方の意味合いだけで切り取ってそれを映像化したのが「付喪神になった熊徹が連の心に宿る」なのだと思うんですが、ぶっちゃけそれはちょっと気持ち悪かったすね。
内在化するのは子供目線のアイデンティティの形成の話であって、あくまで親本体は究極的には自分とは違う他人ですから、「親は自分とは違う存在」と気付いていきながら大人になっていくのだと思いますが、その親が自発的に精霊になって胸に入ってきたら超迷惑じゃないですか??

友情漫画で、もう助からないライバルが死に際に「俺を利用しろ!」と力を託してきた、なら涙涙の展開なんですけど。
蓮が一郎彦に勝つのは、楓の啖呵のように「闇を持ちつつ向き合っている方が強い」とか「熊徹や育ててくれたたくさんの人の思い出が力となり心に宿って」とかそういうのであるべきだと思うんですよねぇ。。
友情が力となったという王道的な勝ち方ではなく、ジョーカーっぽい勝ち方に見えますね。

楓自身はちゃんと筋が通ってる

さて、「離さないんだから!」の楓ちゃん、確かに「いやいやそこは離せよ」でしたが、彼女自身は一貫しています。

最後の啖呵切りが意味不明だったのは、蓮の勝ち方がジョーカーだったせいもあった。

「人間には心に闇が宿る」のは、もうそういうもんであって、それに向き合いながら人間は生きてる、ということを人間界視点でちゃんと説明して体現してくれたのは一貫して楓です。

この作品、前半のテンションのままバケモノ界でほぼ完結するのではなく、ちゃんと蓮が人間界に帰化していく葛藤を描いたわけであって、だっら人間界側の象徴とも言える楓の主張は重要なテーマであるはずです。
ということは、「闇を抱えながらも、それに負けずに力を発揮できるのは友情や親子愛や努力や、そういうものなんだ」っていう力で勝つべきだったと思うんですよね、連は。
そうすれば楓の啖呵切りは、戦いには意味を為してないけど作品としては「そうだ!楓が言ってくれたとおり!」という辻褄の合う勝ち方になっていたと思うのです。
王道で考えれば、熊徹自身が剣になって胸に飛び込んでくるのではなく、熊徹の想いは概念として蓮に宿るべきだったかと思います。


バケモノ界のラストが端折られすぎていた

蓮の勝ち方がジョーカーだった、ということを除いても、バケモノ界についていまいち分からないというモヤモヤ感も残ります。
(もしかして小説版などではちゃんと説明がされているのかもしれませんが)

そもそも、ラストでバケモノ界が「九太を祝」ってるのって意味不明じゃないですか?
確かに九太視点で見れば人間界とバケモノ界を救ったわけですが、バケモノ界から見れば人間同士のゴタゴタに巻き込まれた上に熊徹という宗師を失ったというのになぜ祝賀??
途中でバケモノたちが言っているように、ちゃんと掟に従って人間をバケモノ界に入れないようにしておけば、つまり一郎彦がいなければ、そして彼の感情を逆撫でする九太がいなければこの危機は起こってなかったわけですよ。

作品では「付喪神になる」ということがどういう意味があり名誉であることなのか分からないため、「一度宗師になった熊徹が付喪神として不在となる」ことが、どこまで「悲しくない」ことなのかもよく分かりません。
(普通に考えたら熊徹の行為は、名誉であったとしてもみんなが1週間喪に服すみたいになりませんかね?)

また、「人間界と交わらないようにした」という先人たちの知恵や経緯があっての分断に対して、バケモノ界が今回のトラブルを経てどう捉え直したのか、もよく分かりません。

察するに、一郎彦はひとまず許されると思われる&祝賀会に九太がいて楓が当たり前のようにそこにいるということから、少なくともこの3人の人間はバケモノ界には受け入れられたということなのでしょう。

しかし、やはり人間たちのせいでトラブルが起き(一郎彦と九太自信が悪いわけではないとしても)、しかも熊徹を失い、バケモノ界はそれをどう捉え向き合ったのか?ということが映画ではほとんどわからないまま終わるというのが、かなり消化不良感があります。

せめて、バケモノ界にとって「付喪神になる」とは一体どういう意味を持つのかをもう少し補足してほしかったですかねぇ。


まとめ

公式サイトにて、細田監督が以下のようにコメントしています。

子供たちには、バケモノとの修行と冒険が、心躍るおとぎ話になるように。
若者たちには、「自分は何者であるか」という彼らの時期の切実な問題に、寄り添い励ましてあげられるように。
そして大人たちにとっては、少年とバケモノの唯一無二の絆を通じ、大きな充実感と幸福感が得られるように。
これを見た時に、妙な納得感があったんですよね。
とても悪い言い方をすると八方美人をしようとして中途半端になった、みたいな感じ。

「時かけ」や「サマーウォーズ」は、青春をどストレートに描ききっていて、そこには八方美人感は感じなかった。
今回は少し媚びた感じ、もしくはやや押し付けがましい感じがあったかな。


さらに、この作品の前に発表されたのが「おおかみこどもの雨と雪」で、この後に発表されたのが「未来のミライ」。
私はどちらも見ていませんが、割と賛否両論と認識してます。どちらも細田監督?の家族観というものが強く反映されているものなのでしょうね。
とくに「未来のミライ」は、今どきの家族観からかけ離れていて共感できない、といったレビューが話題となっていたことを記憶しています。

まあでも、「バケモノの子」は本当の親子のどろどろしたところではなく「半端者の二人が擬似的な親子関係から成長する」という王道だったので見ていて安心感がありました。

上記のように細かいところは気になるところではありますが、エンタメとしては優秀な方だと思います。
観ていて楽しかった。