ソローキンの見た桜

2020-05-21史実に基づく・史実がベース, 邦画, social 社会

珍しく、なにかの広告で見て気になっていた作品。
ネタバレなし。


ソローキン(Rodion Galyuchenko)イケメンすぎないか

時代は1904年。日露戦争真っ只中。
副題に「日露戦争時代のロミオとジュリエット」と書いてあるように、まさに戦時中の恋愛を描いた作品です。
捕虜としてマツヤマに連れられてきたロシア兵「ソローキン」と、そこで看護師として献身的に働く「ゆい」が恋に落ちるわけですね。

まあ正直な所、それだけである程度あらすじは想像がついてしまうわけです。
そして私は、病気や戦争などをダシに安直なお涙頂戴フィクションに仕上げる作品って非常に苦手です。
(パニック映画みたいな、ある意味お決まりの様式美があってそれを楽しむ、という見方ならよいけどね。)

でも「沈黙~サイレンス~」の影響か、「史実に忠実であることに力を入れた」タイプの歴史モノフィクションは非常にパッショナブルかつ勉強になるなぁと思ってるので、最近はわりと好んでチョイスしています。
結果的に号泣です。(笑)

物語は、日露時代の主人公「ゆい」の孫の孫にあたる、現代を生きる女性が、日記で過去をたどるというスタイルで進んでいきます。サスペンス風味に細切れで「過去を解明していく」かんじではなく、メインはほぼ日露時代の描写であり、丁寧にゆっくり進んでいきます。

クライマックスは、「捕虜が開放されて会えなくなる」というだけではない、「ゆい」の力強さがフォーカスされる内容になってます。

登場人物全員が「良い人」っぽいラストというか、みんなそれぞれ矜持や思いがあり、だけど最後は「情」にやられるんだ…でもそれが、人間ってもんだろ… という感じになるので、ちょっと悲しいラストですが、観終わった後に悲壮感はあまりありません。


普通の恋愛映画としてもとっても丁寧でステキ(というか演技がすごく良い)です。

そして観終わった後、日露戦争について調べる前に、ソローキン役の俳優さんがかっこよすぎてそっちを検索するという…
同世代なんですよねぇ。かっこいい。
そしてインスタ見たら「魂」とかいうタトゥー掘っててわろたw
あと、チューがやっぱり日式じゃなくてズッキュンした…

ロデオン・ガリュチェンコ(Rodion Galyuchenko)氏のインスタはこちら

ゆい役の女優さんもとってもステキなのと(和顔だよねぇ~)、戦争の小難しい話はそんなに出てこないので、普通に恋愛映画としてもおすすめです。


100年前は、「おばあちゃんのおばあちゃん」の時代

さて、もはや「戦時中」といえば、第二次世界大戦を指す文脈が多い現代での、日露戦争時代がテーマというのは新鮮でした。

しかも、いくら将校クラスとはいえ捕虜の扱いが丁寧すぎてやばい。ステーキ出してたとか。
これは作中でも出てきているように、そういう人道的な扱いをするという条約があったわけですね。
「陸戦の法規慣例に関する条約」(ハーグ陸戦条約)1899年 を批准

第二次世界大戦時の(捕虜の)悲惨さを一応少しは知っているわけで、時代って本当に一筋縄ではいかないなと、なんだかしんみりしてしまいました。
互いの矜持や真摯さに敬意を払うことができていたというのに、その40年後に互いの捕虜をどんなふうに扱う未来になっていたのかと…。
私たちは未来の孫の孫たちに、そんなふうに思われてはいけないな、と思うのでした。


それと、第二次世界大戦の時代が祖父母の世代なので、もう戦時といえば祖父母をイメージするのですが、なるほど祖父母の祖父母は、ちょうど日露戦争時代の人たちなわけですよね。

1904年は約115年前であって、1世代が20~30年の幅だとすると、4~5世代前ということだ。

なんだか120年も前だと言われるとはるか昔の過去であって、もうぶっちゃけ江戸時代と「遠さ」は変わらなく感じるわけですが、「おばあちゃんのおばあちゃんが生きていた」と言われると、「まじですか」という感じになる。

そして、おばあちゃんって「2人」いるけど、ひいおばあちゃんも入れれば「4人」であり、ひいひいおばあさんって「8人」もいるはずなんですよね。
当たり前なんだけど、120年前に8人もの女性が日露時代を生きていて、それ全員、私の肉親だと思うと、「まじかよ」というかんじに、やっぱりなるのです。
私が居るということは絶対にその8人はその時代にこの世に生きていたわけだ。

まあ、だから血筋がどうこうだとか、お家が云々とか、スピリチュアルな何々とか言う気は全然ないし、好き勝手に生きさせていただくし、子供を産んだとしてもたぶん別に「この血を絶やさない」とかは思わないんですが、それくらいたくさんの先輩たちが見守ってくれているんだなぁと、都合よく解釈しようと思います。

で、だからこそ、いま、表舞台で生きている人間として頑張らねばなと。思うわけなのでした。