吉田秋生 / BANANA FISH

2020-05-22名作, comics 漫画

海街Diaryは原作ファンで、もともと吉田先生の過去作に興味があったのでトライ。
後半にネタバレありです。

2018年にアニメ化しBL界隈で盛り上がっている様子。確かに2人の男性主人公が支え合いながら敵対する勢力と戦い抜くという話で、ブロマンス風味ではある。
ただ、そういう人間の関係性なんかも非常に面白いんだけど、時代背景の勉強になるという意味でもとても面白いです。


連載開始が1985年、連載終了が1994年で、冷静終結が1989年、ソ連崩壊は1991年です。
そして本作でもキィとなってくる「ベトナム戦争」は終結したのが1975年。
このあたり疎いので、後半で少しまとめました。

*2020/6 アニメも見ました。
原作とアニメとの違いを考察する記事はこちら

ハードボイルド風ジョブナイル映画

あらすじは、NYのストリートキッズのボスである「アッシュ」が、「自分を飼っていた」マフィアのボスを恨んで反抗し始める過程で「BANANA FISH」という謎を知り、真相に迫っていく、というもの。
しかも、それは兄が廃人となってしまった原因とも関係があるかもしれない。
そしてこのアッシュのトラブルに偶然巻き込まれた形となる日本人青年「奥村英二」とその後も行動を共にすることになり、友情を深めていく。

オープニングがベトナム戦争中の戦地の描写で、仲間が発狂して銃をぶっ放すというハードな幕開け。
その後もおよそ少女漫画とは思えない展開が続きます。
舞台は最初から最後までニューヨーク。(多少田舎には移動する)

敵対勢力は序盤から「対コルシカ人巨大マフィア」というスケールで始まるのですが、お約束、「警察」「政権幹部」すら敵に回るという展開に発展していきます。
タイトルである「BANANA FISH」の謎は割と中盤前半で明らかになるのですが、もうそこまで来ると泥沼。
「仲間がさらわれる」「仲間が殺される」「脅されて仲間を守るために自分を売る」「個人的には憎めないが立場上決闘を申し込む」等々、良い意味で王道がてんこ盛り。そしてその中で、主人公たちの信頼が垣間見えるエピソードが挟まっています。
展開がやや複雑かつ速いので、「ハードボイルド風ジョブナイル映画」というのが1番しっくりする表現ですね。


ラストについては、賛否あるようです。
私は作者がインタビューで言っているように「ハッピーエンド」の解釈。というか、あれ以外に無いと思うかな。
(ハッピーエンドだと思うのは、私が大人だからというのもあるかも.)


1980年代後半という連載時代背景と、作者の吉田秋生氏「天才説」について

以下、ネタバレありです。

1980年代後半

連載開始時の1985年というのは冷戦下。世界がざっくり 共産主義(ソ連) VS 資本主義(アメリカ) で睨み合っていた時期。
平成に育った平和ボケ世代にはリアリティが無くて歯がゆい。

「BANANA FISH」というのはその時代背景を前提としていて、だから「ヤバい薬物を巡って巨大マフィアや政権幹部が動く」という世界観に、真に迫るものがある。

実際、当時は「(見せかけだけであっても)平和的に物事を進めようという程度感」が今よりもだいぶ低かったのだと思います。
つまり多くの人が、ソ連やアメリカがいつ表立って武力行使に出てもおかしくないし、裏では互いの勢力に対抗するために様々なことをやっているだろう・・・だって「戦争中」だから・・・、そういう感じだったのでは。

そして吉田氏は1956年生まれだから、本作の連載を開始したのは30歳ごろ。
作品や世界観は「映画」に、そして特に強く影響を受けた映画として「真夜中のカーボーイ(1969年公開)」を挙げている。
公開直後に観たのだとすればこれを観たのは吉田氏が13~14歳くらいの思春期。国内では学生運動が盛り上がりを見せていた(東大安田講堂事件も1969年)。
ベトナム戦争(~1975)で反戦活動が盛り上がっていて、まだビートルズ(~1970)も活動していた。

ちなみにベトナム戦争中の1960年~1975年くらいまで、「だいたい主人公が死ぬ」らしい、反戦メッセージを含むアメリカン・ニューシネマが流行していて、きっと国内でもビートルズやJazzだけでなく、ムービーカルチャーもアメリカモノが流行っていたのと思われるので、吉田氏はモロにこの影響を受けていると推測してます。
(ついでに、私が観たことがある唯一のアメリカン・ニューシネマといえばこれ「サンダーボルト」)

吉田秋生氏(勝手に)天才説

実は私は、読み始めてすぐ、海街Diaryとの振り幅の大きさに「頭が良さそうなのは間違いないけど、頭がいいというよりは"天才寄り"の人なんだろうな」と作者を分析していたんですよね。
ここでいう"天才"というのは、「視野(知識と理解)が広すぎる・かつ・解釈や傾向が自分の趣味や経験にあまり左右されない」というのを指してます。

多くの人は、自分の経験や趣味や色々なものなどから、創作物や造形物に何らかの偏り(その人らしさみたいなもの)が出るものだと思うんですよね。
「こんなプロットを考えられるなんてすごい!」と思う小説家さんや脚本家さんがいても、ちょっと調べると、ほとんどが似たような世界観の作品ばかりだったりとか、展開やキャラの特性がだいたい一緒とかいう人は意外と多い。
(全然関係ないけど、昔「辻仁成は、いつもアオイのような物静かな大人な女性と、芽実のような奔放な女性との間で揺れ動くストーリーばかり書く」というどなたかの分析を読んで爆笑した記憶がありますw)

もちろん、そういう「その人の空気感や特徴」のようなものを好んでファンが付くのだと思うし、私もそういう理由で好きな作者さんはいる。
だから、「海街Diary」と「BANANA FISH」では、舞台設定や展開の振り幅が大きすぎて「天才寄り」と認識してたんです。

でも時代背景と、ご本人の仰る「映画の影響が強い」ということ、それと海街Diary以前の作品は「真夜中のカーボーイ」の影響が色濃いブロマンスっぽい作品が多いらしいことなどから、ちょっと傾向が理解できてきました。というわけで「頭の良い人」に落ち着きそうです。笑
あとね趣味趣向はちょっと男性的だと思う。捉え方はすごく敏感で繊細で女性的なんだけど、inputとその方向性がちょっと男性的な感じがする。
ネットリしためんどくさい女性があんまり出てこないのも、そういう性格の方だからなのでは、と思ってます。

おそらく海街Diaryで大幅に趣向を変えてきた(ように見える)のは、お歳も関係している(現在63歳)と思うし、もともとああいう「ありがちな日常」をベースにしたものを書きたいと思っていらっしゃったんじゃないかと思うのですよね。
新作「歌川百景」も舞台柄、似たような空気感になるんじゃないかなと思います。


「連載の途中で冷戦が終わったから、作品の方向性が変わった説」

それまでの冷戦下という時代背景がなくなってしまったから、BANANA FISHを巡って権力者たちが策略をめぐらし合うという設定自体が陳腐化してしまった────だからアッシュの超人ぶりを加速させて彼を奪い合うストーリーになった… といった解釈を目にしました。

これは個人的には共感しません。

冷戦終結となったマルタ会談1989年12月で、単行本でいえば1989年11月20日に9巻が出ています。
この時すでにアッシュはヤバめのハッキングスキルでゴルツィネに一杯食わしてますし、そこで得た金でマックスと親子ごっこして天才ぶりを披露してます。もともと相当チート設定…。
「見てくれに騙されるな、IQ180だぞ」てのは序盤からずっと言われてますし、ゴルツィネやユーシスが、アッシュの天才的な存在感に愛憎渦巻くものを持っているのも序盤からわかるから、後半も特に違和感はない。
クライマックスに向けてそういったキャラクターたちの感情描写が増えるのも必然と思います。(前半は逆に全然ないよね、感情描写が……)


まあ、ただBANANA FISHが後半あんまりメインストーリーに絡んでこない感じになるのは、「BANANA FISH」というタイトルからするとちょっとさみしい感じはしますけどね。ミステリな要素は後半はあんまりなかったし。
もしかしたらBANANA FISH自体の影響力を少し抑える感じに変更したとかはありうるかなぁ。
そうしたら相対的にアッシュにばっかりスポット当たっちゃったとか。

・・・・・でも「最初にすべてのプロットは決めるわけではなく、キャラが自由に動き出す」タイプの作家さんのようなので、やはり大筋の流れに沿って書いてたらアッシュたちがクライマックスに向けてすごく情動的になっていった、という解釈にしておきます。


「コンピューター」「ハッキング」

インタビューで作者が「あんなの全然わからないけどハッタリ」のような感じで答えていたので、本当にイメージ的な道具として「コンピューター」が出てきているようです。
ハッタリなのに一応それがちゃんと機能しているので、すごいよなぁと。
よくわかんない最新技術ってちょっと敬遠しそうじゃない? あんなに堂々と使う勇気よ。

ところで、連載開始当時の「コンピューター」ってどういう位置づけだったんだろう。

作中で「ユーザー」と言っているのは、idとかpasswordのことだと思う(ゴルツィネのいう自分のユーザーでしか使えないはずだ、みたいなやつだけは意味通ってた)んだけど、画面がCUI。
あの当時って本当に図書館にネットに接続されてるCUIのPCなんて置いてあったのかな?
(ニューヨーク公共図書館なら置いてあったのかもしれないな。)

当時のハッキングってどういうレベル感だったのかしら…。

作中のリアリティがどうのっていう事を言いたいんじゃなくて。

本当にあの時代にアッシュのようなハッキングをやろうとしたら、どういう感じの技術だったのかなぁと。
いやー、ちゃんとコンピュータサイエンスやらなくては(汗汗汗



アニメはベトナム戦争がイラク戦争に変わっていたりとか、スマホがあるよとか、そんなに簡単に忍び込めるセキュリティなわけ無いだろ、みたいな矛盾点はあるみたいですが、カラーでアクションシーンとかを見てみたいっすね!