Bernhard Schlink / 朗読者(Del Vorleser)

2020-02-03名作, social 社会, novel 小説


手に取ったきっかけは忘れましたが、まじめな文脈で何度か目にしていたので。
ネタバレありです。


「あなたの恋人が戦争犯罪人だったら?」

全部で3部構成になっています。
主人公はドイツに住む少年ミヒャエルで、時代は第二次世界大戦後の1960年頃。

ミヒャエルは15歳のとき、黄疸で道端で吐いてしまい、通りがかった(目の前の家の住人だった)ハンナに介抱されます。礼を言いに行き、ほどなく男女の仲になり、ミヒャエルはハンナに請われて本を朗読するようになる。
ところがある日、理由も告げられずにハンナは姿を消してしまう。

ミヒャエルが大学生として法学を専攻するようになると、なんとゼミの活動で傍聴することになった、第二次世界大戦の戦犯裁判の被告人としてハンナが登場する。
二人は一切会話などのコミュニケーションを取らないのだが、裁判の傍聴を通して、ミヒャエルはハンナの秘密を知る──。

というのがあらすじです。

どういうテーマの話なのか分からない状態で読み始めたので、第一部の「純粋な年の差恋愛」にはびっくりというか、「あれ?私買った本間違えた?」と思ったのですが、第二部の法廷でハンナと再会したところでようやく意味がわかった。

そしてハンナの秘密。

第一部はほとんどが、ただの恋愛小説です。
15歳の主人公の「中二病」真っ只中の青春(恋愛)を、そして「年の差恋愛」も描いている。
女性ってふわふわすべすべしてて気持ちいけど、わけわからないところで怒ったり泣いたりするし、なんかちょっと理不尽なこともあるけど、彼女のために頑張ってしまう…。
しかも、21歳も年上であまり自分のことを教えてくれなくて、いつしか自分も自分の友人関係のほうが大事に思えてきてしまったりして…。
ほぼ、恋愛小説。ですが、これが壮大な前フリ。

第二部では、若い時に大人の女性を知って(そして捨てられて)しまった主人公が斜に構えた大学生に成長している。そして法廷でハンナと再会する。
「もう女性としての興味は感じない」みたいにナナメに構えつつも、法廷に通い続け、ハンナが「文盲」だったということと、それを隠そうとしていることに気付いてしまう。そしてそのせいで不利益な判決を受けそうになっている。
ミヒャエルは本人が明かそうとしないことを、自分が(裁判長に)明かすべきなのか悩むが、結局彼女は「文盲」を告白しないまま(周囲と比べて)不利益な判決を受けてしまう。

ミヒャエルは「戦争犯罪人」を親世代に持つという複雑な世代。
でも、心から愛した恋人がその人だったら…。
彼女に対して自分はどうすべきか、なにかすべきなのか、というミヒャエルを通した個人的な問いの他に、そもそも法廷(法律や裁判)というのはかくも曖昧であるのだということ、そして人は「慣れ」によって痛覚が鈍化していくのだということ、裁判員の振る舞い方など、戦争や法律や世代間のギャップなどを描いている。

第三部はその後の話。
語り手である大人のミヒャエルの「現在」に向けて時間軸が進んでいきます。
刑務所の中のハンナに、朗読テープを送り続け、ハンナは文字を読み書きする訓練をするという関係が描かれます。
そして、ミヒャエルはハンナの出所前にやっと再会しますが、ハンナは刑務所を出る前日に自殺してしまう。
これに何を思うのかは、かなり読者に投げられた形になっています。


エモーショナルなテーマがいくつも混じり合っていて、淡々と書かれている中にも作者が強い意志でテーマを投げかけていることが分かります。

これを「21歳も歳の離れた恋人」の二人の関係から描き出すというのは、「なるほど、すごい」としか言えません。


「法律」と「裁判」の難しさ

世の中って綺麗事だけでは成り立たない、そして人には人の(こちらには到底想像も理解も出来ない)人生が全員にある、そのうえで「人類の生存戦略は多様性」を成り立たせようとすると、他人とともに生きることってとても繊細で難しくて、そして大切だということが、大人になるにつれて段々と分かって来ます。

その中の知恵として、政治体制や街や制度や法律や様々なものを発明して適用してきたのだけど、人が人である以上「絶対」「確実」なものなんて無いわけで。

でもだからこそ、よりよい世界を作るために意見を戦わせながら、お互いに今をよりよく生きられるよう、各人ができる範囲で努力すべきだとは思う…。

裁判で勝ち負けを「決める」ことになっている現代社会では、そこ(やそこに至るまでの道のり)や、選挙などがその最前線となると思いますから、本書を通して「難しいものなんだ」と感じるだけでも十分意義のあることと思う。


また、ミヒャエルは「戦争未経験」かつ「親の世代が戦争経験者(戦争犯罪人もいる)」という複雑な世代として描かれます。
60歳以下くらいの現代日本人は、戦争未経験ですから、「戦争経験者」よりもミヒャエルの方に共感するはずで、でも今の私たちは、彼らよりもずっと「リアル」より遠いわけで、そういった危機感もなんとなく感じさせられることになります。

そしてミヒャエルの世代は日本でも、学生運動をはじめとして、その複雑さが現れていたのではないかと思います。
いまはもう戦争経験者の多くが亡くなり、いなくなっていく時期。
リアルさを覚えている必要はなく(というかそれはもう難しくなっていくから)「風化させてはいけない」というよりも、「私たちや人類にとってどんな経験であり、学びがあり、それを受けて我々はどうしていくべきなのか」ということを考える大事な歴史の1つとして、学びながら、責任を持って他者と対話していきたいなあと思います。



新潮文庫 松永美穂(訳)