アレクサンドリア(AGORA)

史実に基づく・史実がベース, image 映画

4世紀エジプト「アレクサンドリア」で繰り広げられた、女性天文学者ヒュパティアの最期。
原題は「Agora」で直訳は「広場」。2009年スペイン製作。

西洋史をやっているととにかく中東周辺の歴史を追うことになります。
多くの歴史的逸話のあるローマの歴史の中でも「アレクサンドリア図書館」という膨大なパピルス文書が所蔵された図書館があった、というのは有名ですね。


女性天文学者×宗教戦争 が紡ぐ悲劇

少し歴史を振り返りながらあらすじを追っていきます。

舞台は西暦391年、ローマ末期のエジプト。
一般的に395年に(西ローマ帝国|ビザンツ帝国)に分裂したとされることを終わりとして「末期」としているようです。

ヒロイン「ヒュパティア(Hypatia)」はその時代の天文学者かつ円錐曲線の研究者。
ムセイオンと呼ばれる学校の長で図書館長でもある「テオン」の娘であり、そしてそのムセイオンで教える教師でもあった。
この「ムセイオン」というのは、もともとは「アレクサンドリア図書館」を含む研究機関のことを指しているようで、姉妹館として建設されたのが「セラピス神殿(セラペウム)」という神殿かつ図書館という建造物らしい。
Wikipediaによれば「テオンのムセイオン」は、もともとの意味でのムセイオンを模しただけでもともとのムセイオンとは関係はないらしいのだけど、テオンは「図書館長」として判断を委ねられるシーンなどもあるので、本作において「ムセイオンという名の私立学校経営の傍ら図書館長でもあった」か「正統なムセイオンの長として描いている」かいずれかだと思われます。
(映画のWikipediaによれば「アレクサンドリア図書館の最期の館長」と書かれていますのでおそらく後者です。)

当時はいわゆるアニミズムというやつで古代の複数の神々を信仰していたらしいですが、ユダヤ教とキリスト教が席巻しはじめていた。

キリスト教徒たちがアレクサンドリアの土着の神々を侮辱するので許せない、ということでゲリラ攻撃を仕掛けたが、思った以上にキリスト教徒が増えていて返り討ちにあい門を締めて籠城。

暫くのちローマからは、「反乱者(ゲリラ攻撃仕掛けた方)の罪は問わない代わりに、セラピス神殿と図書館をキリスト教徒へ明け渡すべし」というお触れが出てしまう。
(ちなみにこの勅令を出したのは「テオドシウス1世」で、この人はキリスト教を東西ローマの国教と定め、異教の崇拝を禁じるようになります。)

この時に「図書が焼き尽くされてしまう」と、まず本の心配をしたのがテオンとヒュパティア。
このお触れの直後にキリスト教徒たちが雪崩込んでくるのが明白なため、命の危険があるにも関わらず必死で本を救済しようとするシーンには胸が痛む。
ちょうどローマ全体におけるキリスト教への転換点に、まさに彼らはいたのですね。

この事件を経てヒュパティアを深く愛していた奴隷のダオスはキリスト教徒として逃亡。

そののち、父テオンは暴動のときの怪我が癒えず亡くなってしまいます。(Wikipediaでは亡くなったのは405年なので391年から結構経っていますね。)
また、「ユダヤ教とキリスト教以外は認めない」となった状態から、さらにユダヤ人も排斥されるようになってきている。
この頃には教え子の一人でやはりヒュパティアを愛していた「オレステス」がエジプト長官に大出世しています。(このオレステス、前半の求愛行動は痛さ全開だったのですが後半のイケメンっぷりが半端ない。)

キリスト教が神の世界を絶対としていく過程で、神学以外の学問が一時的に衰退するというのは、約千年後のいわゆる「ルネッサンス」あたりまでの一般的な見方ですね。

天文学や数学を愛し、そして作中では「地動説」をも真剣に検討していたうえに政治情勢にも口を出す姿勢が煙たがられ、ヒュパティアはやがて魔女として断罪されてしまう。
この時代の魔女の断罪なんてものは見せしめの虐殺です。これが415年ということで、テオンが亡くなって10年後、ヒュパティアは独身のまま少なくとも中年にはなっていたはず。

オレステスは自身もキリスト教でありながら愛する師を救おうと葛藤するのですが、同じ教え子仲間でキリスト教主教となったシュネシオスに説得(というか脅迫)される。
なによりヒュパティア自身が「学問をやめるのは私にとって死」というスタイルを貫き通し、生きるために口先だけ改宗なんてことをしません。

もしもこのヒュパティアが本当にこの作品に描かれていたような人物だとしたら、生まれる時代を間違えたと思いますね…。
1600年くらい早かった…。
今だったら、教授やりながら精力的にメディアに出たり本を出版したり、楽しく活躍できていた方なんじゃないかな。


どうも記録では生きたまま身体を切り刻まれて市中を引き摺り回されたとか肉片を協会にばら撒かれたとか言われているらしいのですが、本作では元奴隷のダオスが「せめて」口を塞いで気絶させる(もしかしたらここでもう亡くなっていたのかも)という慈悲のシーンとなっています。

地動説と「ケプラーの法則」

物語では、ヒュパティアが宇宙の法則を研究する姿も描かれています。
市中の状況がどんどんキリスト支配となっていく中でも、教師として研究者としてムセイオンを継いで研究しつづけていたヒュパティア。

船の上の実験で「動いている船の上にいても陸にいても、上から落とす麻袋は同じところに落ちる」という実験をするも、それが何を意味するのか分からない。

彼女は当時信じられていたプトレマイオス(83年頃 – 168年頃のアレクサンドリアの天文学者)の天動説を基本として考えていて、「軌道は真円を描くはず」と思っていますが、プトレマイオスの考え方は少々複雑であり「惑星の動きは単純な理論で説明できるはずなのではないか」とも思っている。

プトレマイオスの説、地球を中心として惑星がきれいな円を描くことを想定すると説明のつかない観測データがあることは当時から分かっていたものの、概ね説明できるということでその後も広く信じられたようです。
基本的には地球が中心にあり惑星はその周りを回っているという説ですが、惑星はその軌道をさらに小さく「周転円」に沿って回っているという考え方。(なぜ周転円という考え方が出てくるかというと全ての惑星が真円に沿って回っているなら「惑星の逆行」などは起こらないはずだから。これを説明するために考えられたらしい。)
さらに中心点が地球ではなく「エカント」と呼ばれる点で、地球はそこから少しずれているという説で一応そこそこ説明はついたらしい。

ヒュパティアはオレステスから「プトレマイオスの周転円説は複雑すぎる。神はどうしてそんな複雑に世界を作ったのか」と問われ、「もっと単純な理論があるのではないか」とそれを探し続けています。
彼女の台詞を引用すると
どうして惑星たちは明るさを変えるのよ? あまりに不規則でデタラメ
太陽はどうして夏と冬でその大きさが変わるの?
そして700年程も前のアリスタルコス(前310年 – 前230年頃)の地動説に注目。
(ちなみに作中で「彼の書物は以前の火事で焼失してしまった」とあり、おそらくこれは前48年頃のカエサルによるものだと思われる。)

アリスタルコスの「太陽中心説」をベースにプトレマイオスの「周転円」で回っているのが地球だとすれば、「太陽との距離が変わる」には一応説明がつく。
しかし「プロテマイオスと同じ問題に行き着く」として「円に重なる円」、おそらく複雑であるという問題は解決しないということのようです。
さらにそれを説明できる「太陽を中心からずらす(エカント)」の考え方は「あまりにも心が痛むわ」。


ところが「地球は円では動かない」とオレステスと雑談中に「そもそも円以外で動いているのではないか」と気付き、円軌道が真円ではなく「楕円」だと突き止める。
これは史実では「ケプラーの法則」として1600年代初頭に発表されたもの。

「宇宙の秘密を少しでも明らかにしたい。そうしたら安らかに死ねる」とまで言ってしまっているヒュパティアさん、完全にフラグを立てていますので、この発見の直後に殺されることになります。
もしも事実、彼女がこの真実に近づいていたのだとしてそれらを書物等に書き記していたのだとしても「魔女のもちもの」など焼かれているでしょうから(業績は残っていないらしい)、それこそ神のみぞ知るということなのですが、創作としてもグッとくる展開でした。

さて、諸々雑談

ヒュパティアさん、亡くなった年は415年ですが生まれた年は明確には分かっていないのですね。

350年頃~370年頃に生まれているということで、391年の時点では最も若くて21歳で教壇に立っていたことになる。その場合、亡くなったのは45歳ですね。逆に最も歳が行っていたとすると41歳で教壇に立っていて、亡くなったのは65歳ということになります。

当時のギリシャローマ文明は哲学や科学などの学問は進んでいたようですし、家族感も中世ほどはガチガチでもなかったようですし、さらに寿命も今より短めと思われますので、21歳で教壇に立つ、というのは珍しくはあってもおかしなことでは無かったのだと思われます。

しかしそうだったとしても、非常に優秀で人徳のある哲学者(科学者)だったことは間違いなさそうですよね。
そうじゃなかったらキリスト教から名指しで断罪なんてされない。


ところで、どうして400年近くも経って急にキリスト教がローマを席巻したのでしたっけ。
シンプルに徐々に徐々に、ということだったっけ。何かもっともらしい理由がある気がするので、ぼちぼち西洋史を復習をしていきます。(後日追記するかも。)

一つ極端な意見として見かけたのは、そもそもローマ帝国は戦乱や乱れた国政で荒廃しつつあり、その鬱憤が闘剣など残虐であったり性的な娯楽に向き、さらに女の権利が男と同等で離婚も頻発しろくに子育てもしない状況であったために、清貧な思想や行動原理で弱者を救うキリスト教を素晴らしいと感じたからだ、というもの。
ギリシア神話等に出てくる神々は、現代人が見ても「そんな事する神とかアリなん!?」と驚くことも多いと思うんですけれども、当時のローマはそういうのにも嫌気がさしていて(そんな事するなんて人間と一緒じゃないか)、高潔な唯一神とイエスに惹かれたのではと。

正直、キリスト教徒も結構残忍なことをしていると思いますので「高潔だったからですキリッ」というのはどうかとは思うのですが、戦乱が続いてご飯も満足に食べられない状況では、天文学とか哲学を悠長に研究する気持ちよりは「信じるだけで救われますよ」といってパンを差し出してくれたほうがイイに決まってますよね、多くの人にとっては。
(まあ、残虐ショーを喜んで見ていたような人たちが高潔なキリスト教徒に出会ってどう会心したのかまではもはやよく分かりませんが…いや、神の名のもとに誰かを殺しても良心が傷まないという最強ツールを手に入れたのだと考えると辻褄は合いますね。怖すぎる推測。)

そしてその戒律?のようなものとして「離婚ダメ、浮気ダメゼッタイ!」みたいなものが、行政にとっては基盤になりやすい(人口が安定するし何より管理しやすい)というのが国造りに「効いた」んじゃないかという気もします。本当に離婚や子捨てが頻発していたのだとしたら。

それと本作「アレクサンドリア」でも奴隷が出てくるのですが、当時のローマというのは全体の1/3が奴隷だったらしい。
ヒュパティア家のように貴族でもなければ基本的には貧しく奴隷身分から逃げ出したいと思っている人も大量にいたはずで、普通に脱走しただけでは生きていけないけど、信仰して協会に入ればひとまず生きていけるわけですから、そういうセーフティネット的なコミュニティとして拡大したというのも考えられますね。



最後に、作品としてうまいこと創作してある「ダオス」。
エジプト長官になった「オレステス」、主教になった「シュネシオス」は実在の人物とのことなのですが、ダオスはおそらく創作です。

オレステスがヒュパティアを愛していたというのもどこまで史実か分かりませんが、創作だとしたらこれはかなりいい塩梅です。
オレステスもヒュパティアが殺された後に排斥されるっぽいのですがそれも含めて、非常に分かりやすいキャラ配置だった。

ダオスに関しては奴隷身分・キリスト教サイドの主人公として改宗や葛藤が描かれていて素晴らしかった。
ラストシーンも救いにはならないけど、突然連れて行かれて切り刻まれるなんて悲劇過ぎるから。
せめて創作の中だけででも少しの愛と慈悲があったのなら、という願いのようなシーンでしたね。
(別の人のレビューで「せめて俺の手で殺したい」というシーンだと感じた方もいらっしゃったようですが、個人的には「殺したい」というより「後戻りできないのならせめて苦しんでほしくない」という純粋なヒュパティアへの愛を感じました。)



というわけで、横文字が多くなかなかピンとこないローマ史の一部を美しく描いてくれました。

セットやファッションなんかも、詳しい人にとってはわりと面白いところなのではないでしょうかね。