日本消費経済研究所 / 「ふるさと食品」流通戦略

2015-02-28考察, interest 好奇心

「ふるさと食品」流通戦略 (日経流通ブックス)課題図書として選んだ一冊。
1985年発刊ってことで、20年ほど前の本ですね。
課題図書ですので、本記事ではあらすじではなくレポートを載せておきます。

全国のいろんなふるさと食品(今で言うご当地グルメおとりよせな感じ?)を紹介したり、百貨店の掘り起こし戦略などなど浅く広く、ほ~、って感じで楽しめました。

【本の内容】

『ふるさと食品』流通戦略(以下本書とする)は1985年発行。「ふるさと食品」と謳う食品を軸に、加熱する地域間流通戦略の実体と行方を調査と取材で明らかにする、として日本消費経済研究所がもつデータをもとに同研究所研究員や大学講師などの専門家が偏したものである本書の流れは、まず百貨店などの大手小売業の販売・流通戦略を紹介し、次に全国各地の「ふるさと食品」一つ一つにスポットライトを当ててその商品や産地、販売戦略について紹介していく。そして、それらがいかに成功していくか、成功するにはどういったことが重要なのか、といった話の展開で行政とのかかわりや農協の在り方、第三セクターの動きなどを追って行く。また、当時の消費者の好みなどをアンケートを用いて推測している。

商品そのものではしょうちゅうからカボス、季節野菜のセットなど、販売・流通形式としては会員のみ注文を受けつける会員制度や、年間コースなどの契約で年に数回宅配をするといったものを紹介。

ふるさと食品の位置づけとしては、画一的な商品に飽きてきた都会人を中心に、本物志向、健康志向、安全志向(安全志向については、本書では本物志向などに見られる消費者の時代的・集団的動向というよりも、一部有毒添加物が騒がれたという一時的事件性のようなものとしてとらえている。)を求め始めたという需要に応えるもの。また過疎化が進む農村を活性化させるという供給側の期待を背負ったものとされている。

一見需要と供給がマッチしているように見えて、問題点は多くあることを訴えているのも特徴。都市へ安定供給させるための味の改良や品質、鮮度の取り扱い、また生産工場の物理的キャパシティや資源調達、それでいてコストをどう回収させられるか、といった内容である。本書ではこの多くの細かな問題に対して、多くのふるさと食品の例を挙げると同時に、それに伴った実際の問題点を指摘していく。これらの問題は散在しているが、重要なのは「安定的に」供給できるかといったポイントに集約される。一時的にブームとなって廃れるパターンは最もよくないとし、本書の冒頭でも「一時的な流行や話題性で特産品が売れることがいちばんマイナス。それにあわせて生産設備を拡大した後、流行が終わってしまえば、結局泣くのは生産者になる」という百貨店側の言葉を載せている。

>ふるさと食品を使うことで、都会の消費者の本物・健康志向という需要と、ふるさとを活性化させたいという供給側の思惑を満たしていけるよう、今後の可能性を探らせる一冊である。



【関連・感想】

各産地のおいしそうな商品や開発などを浅く広く知ることが出来て、純粋に楽しめる。全国各地の田舎を、食を中心に紹介している本としても、じゅうぶんに読むことが出来る。

そして次に、約25年前の時代を描いている本にしては、2009年現在と不一致が無い内容がほとんどであることに驚く。百貨店や各流通網を持つ企業が現在「ふるさと食品」をどう位置づけているのかははっきりとは把握できないが、一つの商品戦略群としてはある程度確立されているだろうことや、保存方法が当時よりも発展しているだろうことを除けば、ふるさと食品にかける期待の内容や取り組み方などは25年前とあまり変わらないのではないかと感じる。消費者の趣向においてもそうである。つまり、本物志向・健康志向に対する消費者の趣向は25年前となんら変わっていない観がある。ただし、安全志向はこの25年の間、特に冷凍餃子などに見る事件によってここ数年来に飛躍的に増えたことであることが想像できる。

安全志向に対して本書では、ワインの有害添加物が話題となったことが、ワインの流行に水を差したという一事件として紹介されているに過ぎない。また消費者のアンケートをとってみても、食生活の留意点として、最も多い約70ポイントを獲得した「食べ物が偏らないようにして、栄養のバランスに心がけている」がある。次いで「手料理を増やす」「鮮度の良いものを」とする項目があり、その次にようやく「食品の安全性に気をつけている」とする項目があり、約20~30ポイント前後にすぎない。この当時は、本書でも何度も示しているように、画一的な商品群から多種多様性へ以降しはじめた時期、と純粋に捉えるのがよさそうである。

また、本物志向・健康志向と横並ぶ形で「ふるさとへのあこがれ」といった趣向も強いと紹介されるが、これもまた現在とあまり変わりないと感じる。しかし当時の「これから住むとしたらどんな土地が理想か」というアンケートでほぼ6・7割の人たちが「生まれ育ったふるさとがよい」と答えている(都会が出身の人の「ふるさとがよい」割合は5割まで落ち込む)にも関わらず、結局現在も都市に人が集まるという現状は変わっていないことは気にかかる点である。そういった理想に行動が伴っていないことは、ふるさとへ人を呼び戻すという課題に対して、単なるふるさと食品を都会向けに売るということだけでなく、もっとリアリティのある原因追求と解決が必要だと考えられる。

授業との関連でやはり注目すべきは、都会人(パイが大きいと言う意味で大衆)の趣味・趣向に対してどうやって安定的に生産・流通し、利益を獲得するかという点であろう。

本書では、一時的にヒットした、儲けた、という例はたくさん紹介されるが、販売が安定している例はひとつも紹介されていない。それは「ふるさと食品が流行し始めた時代である」とされていることからも妥当ではあるが、その割にはすでに百貨店担当者が「一時的な流行や話題性で特産品が売れることがいちばんマイナス。それにあわせて生産設備を拡大した後、流行が終わってしまえば、結局泣くのは生産者になる」と、生産者を気遣えるほどに、安定した販売が重要で、しかも難しいことだと言うのを重々理解しているようである。あるいはさらに安定した供給と販売のために「デイリーフーズ化すべきである」とも言っている。

だが、もし消費者が本当にふるさと食品を求めていて、本書が紹介するような百貨店の例(百貨店の担当者が足を使って発掘しにいく)や、運送業者が独自のネットワークを利用して発掘・宅配する例などによるふるさと食品をデイリーフーズ化できているならば、現在は食品全体の中間マージンや卸は格段に減っていてもおかしくない。

これには当時の読みが甘かった点が2点あると考える。

まず、「ふるさと食品」という枠を超えて本当にそれがデイリーフーズ化していった場合、それは他の小売も仕入れたがる。つまり、一産地から一小売へ、という需給の流れが崩れ、結局多くの小売がデイリーに売れる、と考えて欲した場合、産地はその需要に応えて拡大する。お互いが拡大して複雑化していったら、卸を通さないと余計なコストがかかることになる。つまり、デイリーフーズ化した時点で結局中間マージンを必要としてしまう。もしも「ふるさと食品」出身者で現在「デイリーフーズ」に昇格した食品(本書ではめんたいこを挙げている)があるのならば、すでにそれは中間マージンを必要とする流通システムに支配されているであろう。

また「ふるさと食品」ブランドは、所詮「ふるさと食品」であって、手づくり・産地直送・などその特徴を謳う限り、「たまには美味しいものを」「珍しいから買ってみる」というギフトカラーを払拭できない。毎日毎日、全国のグルメをお取り寄せする・選んで買うなどというのは、現代においても一部のアッパー層であろう。価格弾力性は、同じ食品であっても大きいのである。

そして2つ目に、「ふるさと食品」の対照的な存在、画一的な商品を大量に卸しているとして大手メーカーを匂わせているが、この大手メーカーを侮ったことである。なにも画一的なブランド商品に消費者が飽きてきて困っているのは、生産者を除いて大手百貨店や小売だけの問題であるわけではない。むしろ大手メーカー本人が最も困ってたに違いない。だからこそ、消費者が何を欲しているかと言うマーケティングを徹底的に行い、巨大な資本をもとにどんどん新たな商品を開発販売していったのであろう。既存のチャネルを支配する大手メーカーたちが次々に消費者に受ける新商品を提案していけば、別にあえて体力を使って全国のうまいもんを発掘しなくてもよい。するならするで、単発イベント的、あるいは補助的位置づけとしてやはり「ギフト」のように仕入れ販売をするであろう。

また、どの例でも、いかに消費者に受け入れられるかがキーとなってくるが、そこからも日本人がいかにグルメで味にうるさいのかがよくわかる。本書では各地の伝統的な料理や素材を「元地元民」がまとめて購入する例があげられており、「同じ日本で似たような料理があっても、やはり地元の味」とこだわっているがためであろう。

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