夏目漱石 / 私の個人主義

クイック本(さくっと読める), social 社会, non-fiction ノンフィクション

夏目漱石の晩年の、西日本での公演が話言葉のママ5本収録されている文庫。(すべて青空文庫にあります)

明治末期の日本を、東大卒の一般市民としていかに鋭く見ていたのかということがよく分かるうえ、謙虚でコミカルな人物像も見えてくる素晴らしい講演集です。

高校生か、大学生の方に特におすすめしたい。


夏目漱石の略歴とか時代

夏目漱石といえば「こころ」はしっかりレビューを書きました
それと昔「三四郎」を読んだはずなのだけど、全く覚えてないんだよねぇ。

ということでちょっと略歴を追ってみます。
生まれは明治元年の前年。そして明治44年を生きて亡くなったのは大正5年ですから、ほぼ明治時代というのを通しで体感したという方です。

割と波乱万丈な幼少期を経て東大へ入学、正岡子規と出会い、大学卒業後は教師として働くようになります。そのあとイギリス留学を経て帰国後は大学講師、そして朝日新聞へ入社して職業作家となる。
(ところで20歳ほど年下の「山本有三」が「路傍の石」を朝日新聞で連載したのは、漱石入社の30年後)

有名な作品はたくさんありますが例えば「吾輩は猫である」とか「坊っちゃん」でしょうか。
「吾輩」は、NHKドラマ「坂の上の雲」の若かりし夏目漱石が子規庵でその案を話しているとおり、イギリス留学から帰国後に発表した比較的若い頃の作品です。(ちなみに子規は漱石留学中に亡くなる)

続いて翌年には「坊っちゃん」。
これは漱石が教師として松山に赴任した経験が下地となっている作品で、特徴的なキャラクターが登場する作品として有名のようですね。

といっても、漱石が帝国大学を卒業して高等学校師範となるのは27歳くらいのときで、松山赴任、熊本赴任、結婚を経て33歳で英国留学して3年くらい英国住まいとなります。
帰国後大学講師となって数年で「吾輩」「坊っちゃん」が出た頃にはもう40歳くらい。

1902年の子規没後、日露戦争における海戦で秋山真之が大活躍したのが1904年。
ちょうどこれが漱石の30代後半ですが、日露戦争はまだまだその後の世界大戦と比べれば規模も小さく「国家総動員」的な民衆の戦いではなかったのもあり漱石は創作と評価に勢いが付き始めた時期という感じでしょうか。
(ちなみに列強情勢としては、1890年にビスマルクが失脚、ドイツの孤立が進んで英仏露の三国協商が出来上がっていっている時期ですね)

そして「吾輩」「坊っちゃん」のヒットを受けて教職を辞めて朝日新聞専属作家となるのが41歳。
性格的なものなのか、体質的なものなのかはよく分かりませんが「神経衰弱」に陥りやすく、若い頃は肺結核の疑いだとか、40代では胃潰瘍で血を吐いたりだとかしていたようですね。

「こころ」は作中で「明治天皇の崩御」と「乃木大将の殉死」が描かれることからも分かるように大正になってから。大正3年の作品ということで亡くなるたった2年前なのですね。
重みのある内容になっているのは、それまでの「漱石の生き辛さ」が反映されているということなんでしょう。


講演について

さて、収録作品はすべて青空文庫にもあります。
ほとんどは文庫で手にとって読んだのですが、家事をしているときは青空文庫をGoogleに読み上げさせて聞く、という謎スタイルで履修しました。

5編のうち、最初の4編は明治44年8月の暑い頃、西日本で講演をして回ったときのもののようです。
そして表題となっている「私の個人主義」は大正3年の11月、これは学習院の生徒に向けて語った講演です。

道楽と職業 @ 明石(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card757.html
現代日本の開花 @ 和歌山(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card759.html
中味と形式 @ 堺(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card788.html
文芸と道徳 @ 大阪(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card756.html
私の個人主義 @ 学習院(https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card772.html


最後の「私の個人主義」だけは、前の4編と違って相手が「恵まれた環境で学習院に入学した未来のある若者」だったからなのか、熱の入った感じの内容に思います。

それぞれそんなに長くないので、さくっと読むのをおすすめ。


驚いたこと2つ

まず私がこれらを読んで最初に驚いたのは「コミカルで予防線張りまくりで謙遜しまくりな話し方をする」こと。

かなり客観的なものの見方をする頭のいい人で、だからこそ自虐的な意味合いよりも、興味を持って聞いてもらうためにわざわざ親近感を感じてもらうためにそれをしています、という感じがしたこと。

たとえば現代の「TED」みたいに、「さあ、今から漱石劇場!」みたいに一気に場を作るカリスマタイプというよりは、本題に入る前にだらだらと前置きをしたり「こういうの得意じゃないけど頼まれたから」とか「あんまり用意できなかったら期待しないで」「でもそれなりにやるから我慢して聞いてよ」みたいなことを必ず言ってます。笑

それが手法というよりはその時の本音だったのかとは思いますが、難しい話をしようと思えばいくらでも出来てしまうから、ちょっと謙遜しながら雑談してオーディエンスとの距離を縮めながら、いいところで本題に入っていく、というスタイルになっています。
漱石が「向いてない」と思っていた教職時代の学びとかが活かされているのでしょうね。

「こころ」のイメージが強かったので、対外的にはこんなコミカルな冗談を言える人だったのかと驚きました。


もう一つ驚いたのは、思った以上に哲学者だな ということ。この講演集に限れば社会学者ちっくな面もある。発想が理系っぽいというか、「実体をじっと眺めて構造を理解する」という視点で世界を見ている。

恥ずかしながら、フィクション作家として人間の深いところにある悩みや矛盾をうまく書ける人、くらいに思っていたので(もちろんそれ自体が稀かつ素晴らしいことなので尊敬はしてましたよ)、ここまで世間を色眼鏡ナシに客観視したり、人間の思考を構造的に理解しようとしたりできる方だったのか、と。

「中味と形式」で「形式というのは学者が作った一側面を整理するためのものであって、形式が先に来て、それが正しいのだからそれに中味をあてはめろというのはおかしい」だとか、「大人でも、子供のようにすぐ正義と悪のような分かりやすい形式に分けて解ったように思いたがる嫌いがあるが、実態は複雑でありそんな単純なものではない」みたいなことを言っています。
「私の個人主義」でも「人間は何々主義だとかそう一つの主義で説明できるものじゃない」と言ってますね。

こういう姿勢は個人的に共感するところなので、親近感がありました。
そういう意味でもしっかり学者的な感じだったんだなぁと思います。

30年後には…

明治といえば、それこそ国のすべてを掛けて近代化し、日露戦争で勝って列強に足を引っ掛け始め、という時代。
漱石だけでなく、日本全体が欧米列強の動きに呼応して「人権」や「個人」の発想とともに「国家」という枠組みで動き始めながらも、まだ「若者が国のために自爆しに行く悲惨な戦争」などするとは、おそらく誰も思ってもいなかった、、、と思います。

「私の個人主義」講演のこの大正3というのは、西暦でいうと1914年。
欧米列強では、この講演のあった8月の少し前に第一次世界大戦の火蓋を切ったと言われるサラエボ事件が勃発しています。
個人の自由と義務、という発想をイギリス留学で強く感じたらしい漱石ですが、その欧米列強はその人権意識から「国民がみんなで国を守る」という発想でその後の世界大戦に突入していくという皮肉。

漱石は「国が危機のときは自然と国家主義になるもので」みたいなことを言っているので、この「国民がみんなで国を守る」という発想もむしろ肯定しているともとれるのですが、じゃあその危機になったときに漱石の考える「国家主義」に、本気でなるのかはアヤシイなぁと感じました。

ともかくこの「私の個人主義」では、他の4編よりも結構アツい感じの内容になっていて、それはものすごく意訳すると、
  • 君たちは権力も金力もあるのだから、簡単に濫用せず善き振るい方をしてください
  • 国家が平穏なときには個人的道徳に目を向けて、自分の人生を謳歌してください
ということと受け取りました。

そして最後の最後にこうやって↓言うのは、ものすごく心を打たれましたね…(歳を取ったからかな…)
はたして私のいう事が、あなた方に通じたかどうか、私には分りませんが、もし私の意味に不明のところがあるとすれば、それは私の言い方が足りないか、または悪いかだろうと思います。で私の云うところに、もし曖昧の点があるなら、好い加減にきめないで、私の宅までおいで下さい。
この時すでに超有名な作家さんだったわけでしょ。
熱く激励を送ってくれた上に、こんなこと言ってくれる人いるかね…


そしてこんな素晴らしい講演を聞いたオーディエンスたちが、おそらく未来の日本の然るべき権力や影響力を持っているはずの30年後、若者がお国のために自爆しているというディストピアです…。
漱石は「危機のときは国家主義になるのは自然」ということを言ってはいましたが、じゃあ少年兵が特攻するような「国家主義」を果たしてよしと思ったでしょうか。
さすがにそれは言えないのでは、と言うのがこの本を読んでの感想です。かなしい。


欧米列強がどうして国家対国家の大戦争に発展したのかは別で勉強中ですが、その煽りを受けた国のひとつとして、そして急成長して歪みはありつつも一応食らいついていて、それでも国内では漱石もしかり、きっとみんなちゃんと「無理やり発展させている」ということからくる矛盾も解っていながら、どうして捨て身攻撃みたいなところまで行ってしまうのか・・・
「誰かの戦犯のせい」とかではなく何らかの強い流れがあったのだと思うのですよね。
「戦犯のせい」にして省みなくなったらまた同じことするわけで、「頭いい人たちが揃ってたのにどうしてそうなった」というのをちゃんと事実や客観的分析から理解して、より悲劇の起こらない時代をちゃんと繋げないとなと思うわけでした。