夏目漱石 / こころ [考察]

2020-06-08考察, 名作, 味わい本(じっくり読みたい), novel 小説

高校生のころ読んだのだが、改めて再読。

以下、レビューというより考察です。

「先生の衝撃的な過去という結末に向かってぐいぐい読ませられる」点は、当時と変わらなかった。
自殺という結末だけ覚えていたのだけど、人物やその詳細、「なぜそこに至ったのか」という経緯をすっかり忘れていたので、「私」と同じ気持ちで「先生の遺書」篇を読むことができました。

これ新聞連載で当時読んでたら、ほんと続きが気になって仕方なかったと思うなー。


明治の時間感覚がよくわかる

明治に生きた文化人が明治の物語を書けば、そりゃあ明治の文化が垣間見れるのは当然。
だけど、この作品は特に「私」と「先生」の語りで、出来事のあらましだけでなく二人の感情やその原因を描いていく。だから感情移入しやすく、当時の時間感覚や文化感なんかもよく分かります。

それから面白いのは、「私」と「先生」の二つの時間軸があること。
「現代」と「物語の時代」の差を感じつつ、さらに「物語の時代」は二つの時間軸に分かれます。
この二人、せいぜい15歳程しか離れていないのだけど、「先生」は、「今の時代はそうでもないのであなたには理解し難いかもしれませんが」と断って説明する箇所がいくつかあります。この微妙な時代の差すら、二人を決定的に分かつ要因になっていて、非常に面白い。

乃木大将の死は先生の免罪符

K、先生、父(結局作中で死んでないけど)、明治天皇、乃木大将と、主に五人の男の死が物語の重要なキー。

父と明治天皇は自殺ではないが、残る三名はいわゆる自殺。

これ、めちゃくちゃスパイスになっているのが、「乃木大将の殉職」だと思う。

Kはもともと寺生まれの潔癖だったという描写がたくさんある。だから「向上心のない人間は馬鹿だ」という、かつて自分が言い放った言葉を「先生」に繰り返されて絶望し、重ねて失恋と裏切りがあり、孤独感に自害したのは分からなくもない。

語り手である先生に関しても、友人にひどい裏切りをしたという罪悪感、それを死を持ってつきつけられたという絶望感(謝れない)、最も忌み嫌っていた「善人が悪人になる」を自ら再現してしまった自分に対する軽蔑、と、まあこちらも分かる。

これで終わっていれば、共感と同情を覚えつつも、「なんというロマンチストによるロマンチストのための独善的自殺であるか」とでも思って終わりだったような気がする。

だけど先生の自殺のきっかけを「乃木大将の殉職」としたことで、先生の(身勝手な)死の免罪符をちらつかせられた感がどことなく漂う。

これが妙に後味引きずるのです。

当時の死生観の理解が深くない自分としては、「乃木大将の殉職」がきっかけとなったというのはどれほど妥当っぽいのか判断がつかない。
でも、先生の天皇への畏敬の言葉とか態度の描写や、そういう時代背景の説明は一切無かったのですよ。それなのに最後だけ「あの乃木大将だって、戦友を死なせたという自責の念から殉職したんだぜ、だから俺も」と自殺なんてするでしょうか?


ちなみに、菊田氏の「解説」では、「乃木大将のあとを追った先生の自殺については、従来からわかりにくいという評価が多い」と出てくる。
そして独自の解釈として、それは「明治の精神」( 引用元は江藤淳氏 )がわかりにくいということとほぼ同義であり、さらに「明治の精神」がわかりにくい理由は、
①時代が違うから
②とにかく先生をさっさと自殺させる必要があったため
という二点を挙げる。

①は、いつの時代の誰が「わかりにくい」と評価してるのか分からないので論じづらい上、そもそも理由になっていません。(外国語がわからないのは外国人じゃないからです、と同じ論理に見える)
②については、「なるほどそういう解釈もあるか」と。

つまり、「先生が友人を間接的に殺したことによる自責の念に苛まれ、過去を明らかにすると同時に自殺してしまう」という衝撃的なプロットはもとより決まってた。
でも、書いてみたら、あらゆることに悲観的で気力も熱もなく妻のために生きてきた先生が、ここにきてどうして自殺という決心ができようか。そんな雰囲気が確かに漂っている。
あるいは連載の都合上、紙面や時間が足りなくなって、とにかく何か都合をつけて先生にはやく死んでもらわないといけなくなった。
そういうことですよね?

これらは、せっかく物語を味わって考察するという面で言えばちょっと残念な考察です。
個人的にはカッコつけて「(夏目漱石ではなく)先生は、自身ではなかなか決断できなかった自殺のきっかけとして、都合の良い乃木大将の殉職を用い、無意識に小さな免罪符として利用した」と解釈しておきます。

それにしても、昔の文化人や芸術家はよく自殺していたイメージです。
この時代は"切腹"あるいは"究極的な自己陶酔(自己嫌悪)"で死ぬのが珍しくなかったのかもしれない。「恥」の文化だしね。そしてそれって実はけっこう似ている論理感なのかも。

奥さんはそんなに鈍感?

少々違和感を感じたのは、あんなに先生の近くにいた「奥さん(お嬢さん)」が本当に何も知らなかったのかという点。

先生の告白を読むまで、奥さんがあまりに何も知らない風に書いてあるため、私はてっきり「Kとはほとんど関係ない女性と結婚した」んだったかなと思って読んでました。
結局その「お嬢さん」が「奥さん」だったので、一女子として、「いやいや気付くだろ!」ってのが正直な感覚。

「仲の良い友人が亡くなったからといって突然あんなふうになるのかしら?」と、Kを知らない人が言うならともかく。
まさか一緒に住んでいた男二人が自分のことで牽制しあってたの気付いてないわけないよね?という感じ。
そういう意味では、奥さんはKと先生の真相について、色々と察してしまっても何ら不思議はないのですけどね。

でもまあストーリー上、別の人と結婚させてしまうと、先生が自殺する動機の一部が薄まってしまうし、奥さんが感づいたとなると別の話になってしまうので、超鈍感純朴娘という設定にしておくしかなかったのかなあと。

…という点については、「大人になれなかった先生」という考察本にて色々書かれているらしい。つまり「奥さん」は全て知っていた上で掌で男どもをころがした…。これは今度さくっと読んでみたいと思う。
「こころ」で読みなおす漱石文学 大人になれなかった先生
石原千秋 (著)
それからKとお嬢さんの関係性はほとんど書かれていないから、気になるところはちょいちょいある。

お嬢さんの不自然な所作に関しては、「お嬢さんは先生のことが好きだから、嫉妬させるためにKと積極的に関わった」的な解釈が主流っぽく、それはそれなりに理解できた。
だけど、「なぜ未亡人はKとお嬢さんを二人にして出かけたのか」だけはしっくりきてないなあ。

正直、高校生が読むには早い

と思った。

世間や人間の心理をよくわかっている高校生には読めると思うけど。

財産分与の話とか、親族の死の話とか、人生の大きな岐路である20代前半時の葛藤だとか、青春~大人への色々が書いてある。
そもそも「私が先生に惹かれる理由」が、高校生には理解し難いんじゃないかなと思ったり。
多分私は高校生当時、理解(共感)できてなかったと思う。

大学入学~大学卒業~20代前半 という、これから人生切り開いていかねばならないと息巻いている時期に、なにか崇高に感じられる人に惹かれたり、何かを学び取りたいと思ったりするのは至極当然。
「エリートであるが少々孤独で、若いがゆえに不器用な主人公」が、田舎の父親に尊敬の念を抱けず、「学がありミステリアスかつ自分と同じように孤独をかかえ、真理を得ていそうな先生」に惹かれるのは非常に共感しやすいところ。

でもそれを自ら経験したことがないと、「なんでそんなよく分からないオッサンについてまわるんだろう」と思うような気がする。


そしてもう1つ。

結局、先生は「遺書」によってものすごく下手に出た(自分がいかに情けない男かを、プライドも投げ捨てて自白した)のだということが、読み手が大人になってないと分からないような気がする。

先生は、前半はとても崇高そうな人物に見えるのだけど、ご本人の自白によれば、この人自分で言うように、本当に全然大人じゃないじゃん!と。

この高低差は見所だと思うんだよなあ。

それは「友人を欺いた」という意味での人徳の下げではなく、「自責の念に負けて結局黙って自殺した」(そしてそれを結局「私」に対し、しかも手紙という手段で一方的に自白して満足した)というショボさにあります。
昔は分からなかった。

奥さんに一切を黙っているにしても、せめて「妻が寿命を全うするまでこのまま必ず添い遂げる」とか、あるいは許しを乞うではなく、罵られ責任を取るという覚悟のもと、全て自白の上罵られる方がよっぽど大人っぽいのでは。

同性愛の話、父親殺しの話

先生と私、あるいは先生とKの同性愛の話という解釈もあるらしい。
詳しい論理はどなたのも読んでないけど、これはまあわかる。

今流行の「BL」にありそうなキャラ配置だとも思うし、そもそも「お嬢さん(奥さん)」が結構、ポジションは重大なのに意外とさらっと書かれていて蚊帳の外っぽいというのも、なんだかそれを示唆している気もする。
「奥さん」、ご都合的に用意されたキャラクターだからなのか、「生きてない」んだよなあ。
「女性として可愛らしく妻として献身的な人」という漠然としたイメージは湧きますが、どういう人なのかよく分かんないわけです、結局のところ。

先生が、Kに対してどんな気持ちで、それは何故で、とか云々、ものすごく文字数を割いているのに比べ、恋に浮かされたそのお相手については、「理解できない所作」がいくつか描写されるだけで、読者側が「奥さん」に惹かれていく過程が実はあまり共感できるように書かれていない。

わざとなのか果たして。


それから「大人になれなかった先生」で展開されているらしい、「父親殺し」。
「自分よりレベルが高いと思ったものを(何らかの手段で)超えて大人になる」様を描くという意味では、これも理解できる。

先生が、自分より高レベルと認めていたKを何らかの手段で負かしたいと思ったのも、分かります。読んでてこれは明らかだった。
それが最初は「人間的にしてやる」点で達成されるかと思われたが、なったらなったで気に入らなく、お嬢さんとの関係もあり再戦を挑んだという感じか。

まあでも、それって別に「父親殺しができなかった先生」だからこそというよりは、普遍的な感じがします。
レベルの高い人(それでいてその差が途方もなく乖離していないと判断できる際には)に惹かれれるのは当然だし、憧れだとか好敵手とかいう言葉で意識したり追いかけたりするのはすごく自然なのでは。

「大人になれなかった先生」読んだらその辺もクリアになるのかしら。


というわけで、さすが名作。

久しぶりに「考察」「解釈」を色々と読みたくなった作品でした。


1991年2月25日 第1刷
集英社文庫
解説 菊田均