サマセット・モーム / 月と六ペンス (金原瑞人 訳)

2015-09-15名作, 味わい本(じっくり読みたい), novel 小説

どんなポジティブな格言があるのかと気になっていた作品。
本屋で偶然見つけたので購入。

いわゆる物語小説はSF以外はほとんど興味が無いのだけど、最近は古典作品や人文書的なものはちょくちょく読むようにしています。


格言などない。だが面白い。

のちに天才画家と呼ばれる事になった鬼才「ストリックランド」の生涯を、その知り合いである語り手が語っていくという話。

社名にしたくなるほどの作品なのだから、「あのキャラクターの生き様を見習いたい」とか、「作品内で描かれているような真理を追求する会社でありたい」とか、そういうわかりやすいテーマが入っているのかと最初は思っていましたが、中盤あたりから、「どうも単純にそういうわけではなさそうだ」ということが分かる。

ここまで作り手の恣意的なものを感じない作品ははじめてでした。

いや、それぞれのキャラクターが恣意的に描写されているのは分かるのだけど、あくまで「飲み屋で知り合った作家が、ウィスキー片手に変わった知人の生涯を話してくれた」だけで、それにより何をどう思うのかについてはご勝手に、という感じ。

ゴーギャンがモデルらしいのだけど、ゴーギャンについてはほとんど何も知らなかったので、ホントに飲み屋で聞いた面白い話という感じですね。
ゴーギャンに詳しい人が読んだら、色々と考えたり想像したりしてしまう気もします。


「本当にやりたいこと」と「世間からの評価や信用」のバランス

「生き様を見習いたい」で言えば、ストリックランドはいわゆる「他人からの評価など気にせず、やりたいことをやり抜け」の究極として登場します。
「あなたは最低の人間だ」、「よし、言いたいことは言ったな。飯を食いに行こう」のくだりが象徴的ですね。
「こんなところで、他人の評価を気にしている場合じゃあない」という時の格言としては「ストリックランドのように」と表現する事ができると思います。

ただ普通の人間が本当にストリックランドみたいに生きようとしたら、まずは普通の親なら泣いてすがって大反対するでしょう。
しかも、それが世間的あるいは具体的な成果や評価が得られるかどうかは本当にただの運だと思うので、そうすると「本当に世間の評価や自分の生活レベルのことなどどうでもよくて、どうしてもそれをしたい」か、「運であっても(大失敗のまま死ぬ可能性が高くても)、大逆転を夢見てそれを賭けたい」のか、どちらかになりますね。

前者は「頑張ってそうする」レベルでもないと思うし、殆どの人は、社会で生きていく以上、「自由ややりたいこともいいけど、お世話になった人や愛する人を貶めたり悲しませるようなこと、あるいは誰かを傷つけることは除くか、そうならないように内容を変えるべき」という発想で、どこかでバランスする必要があると思います。

「待てよ。本当にそんな評価を気にする必要があるのか?」
あるいは
「誰に何を言われても、って色々なものを振り切ってきた(る必要がある)けど、そこまでしてやりたいことなのか?」
等、色々と考えさせられる普遍的なテーマだと思います。


ついでにあとがきで訳者も「訳していてほんとうに楽しかった」という、主人公とストリックランドの会話は、生暖かくも煩わしい人間らしい感情を少しでも忌々しく思ったことのある人間であれば、読んでいて爽快になると思います。見どころ。

逆に、「ストリックランドが爽快なのも理解できるけれど、やっぱり実際にはこんな男許せないし汚らわしい。少々胡散臭くても、イギリスのエイミー婦人のように生きていくべきだし、それが最も現実的である。」と思う人もいると思う。

そしてストリックランドの他にも、魅力的かつ象徴的な人物が多数登場します。
それぞれの描写が簡潔かつ的確で、都合のいいキャラクター配置な感じがしないところはさすがだなと。
本当にそういう人が存在している気分で聞いていられる。

とても個人的には、P305エイブラハムのくだりに共感しました。
せっかくなので引用しておきます。

生まれる場所をまちがえた人々がいる。彼らは生まれたところで暮らしてはいるが、いつも見たことのない故郷を懐かしむ。生まれた土地にいながら異邦人なのだ。幼いころから知っている葉影の薄い路地も、遊び慣れたにぎやかな街路も、彼らにとっては仮の住まいでしかない。近親者に囲まれながら自分のものではない人生を生き、たったひとつの故郷になじめないまま一生を終える。違和感にさいなまれ、方々をさまよって終の住処を探そうとする者もいる。
青い鳥症候群と呼ばれるか、いいタイミングで「見つけ」て、「あいつがいいならそれでいいんだろう」と言われるか。
それを気にしている時点で、まだまだ俗世にがんじがらめになっているんだなあと考えさせられます。


訳がすばらしい。

他の作品の訳がヘタクソなのか、それとも日本語的な表現は独特なのであって海外文学はそういうものなのか、知りませんけれどもとにかく、こんなに素晴らしいと感じた訳は久々でした。

というより、訳だけでなく、やはり原作そのものが、情景描写に優れているのだとも思います。

訳モノって、文章を読むと「ああ、多分原文はこういう感じの英語だな」と想像できる物も多いのですが、この作品は「え、これ英語で書いてあるの?信じられない。こんなの英語で表現することをそもそも英語圏でするのだろうか」と感じたほど。

これは興味という意味で、ぜひぜひ原文を読んでみたいですね。
英語の勉強になりそうです。
http://www.gutenberg.org/files/222/222-h/222-h.htm