The Kite Runner 君のためなら千回でも
あらすじに惹かれて。
人生における傑作映画ベスト3くらいに堂々ランクイン。
ものすごく良作です。
正直期待してなかった。
戦争が物語の軸に絡んでくる作品というのは往々にして過激(極端)だったり暗くなりがちですが、むやみに大袈裟な演出なしに、友情、親子愛、成長、社会とのつながりをじっくり描いてある作品。
いきおい、原作をまさかの原文でポチってしまったくらい、感動しました。
以下、ほぼほぼネタバレしております。
前半は子供時代のアミールと、ハッサンの友情を中心に描いてます。
主人公はアミールで、彼の父である「ババ」が使用人として雇っているのが「アリ」。そしてハッサンは「アリ」の息子です。
つまり、アミールにとってハッサンは「使用人」とほぼ同義なわけですね。
アミールは喧嘩もできず、フィクション作家になるのが夢というちょっと弱々しい主人公で、ハッサンは「(父の)雇い主である(ババの息子である)アミールに仕える」というポジションなのですが、アミールに比べて非常に芯があり、心が強い描かれ方をしています。
特別「ハッサンは強い」という直接的なエピソードなどは無いのに観客に伝わってしまうのはすごいです。ハッサン役の好演振りももちろん、脚本もすばらしい。
アミールに関しては、かなり冒頭でババから「やり返さない自分のためにハッサンが盾になり作った傷を、俺に”転んだから”と説明するあいつは、男として何か足りない」と言われます。それを慰め、物書きの夢も応援してくれるのが親類のラヒム。
このシーン初見時は、「仲の悪い親子」を象徴するエピソードと理解したのですが、そうではなく、後から見返すとむしろ「自分に弱いアミール」と、「厳格な父と、優しく導いてくれたラヒムというもう一人の父」を描く大事なエピソードだったのだと理解。
そんな二人でも、その友情は嘘偽りないように見えた。
しかしハッサンが暴行を受け、アミールは助けに入れなかった、というのが物語を大きく動かしていきます。
ハッサンが暴行を受けているときに助けに入れなかった、のは責められません。でも、本当は見ていたけどその後も知らないフリをして、自分の弱さに向き合えず、居心地悪いからって濡れ衣を着せるところは「こら!!!」と。
そして仲直りをする前にソ連が介入してきて、そのまま逃げるようにして二人は運命を違えてしまいます。
これは1979年のソ連の介入ですね。
ちなみに映画紹介を読むと「心の距離ができたまま時代に翻弄されて二人は引き裂かれる」的な文言になっているのですが、私はそうとは取れなかった。
明らかにアミールが悪いですよあれは。
時代とかいうより自分の責任でしょう。
謝ろうとしたけど、その時にはすでに遅かった(タッチの差で軍事介入が始まった)とかならよくわかりますが。
…ということでどうも私は「時代によって引き裂かれた」感については理解できませんでした。
その後、ババ親子はパキスタン方面に逃げます。
この「逃げる」シーンでは、ババが殺されるのではないかとヒヤヒヤ。怖かった!!
アメリカに亡命後は、しばらく親子と恋人との話が続きます。とくに親子愛の部分が逸品です。
父は厳格で、そして強い。
使用人を雇い、気前よく孤児院に寄付をしていた威厳のある父が、アメリカではガソスタで働いて、息子を大学まで通わせる。
だけど、その息子はいまだに「医者にはならない。作家になるんだ」と言う。
果たしてババはこれに対し、卒業式の日に少し文句を言っただけで、そのあと特に何も言わないのですが、この父の何とも言えない気持ちは、アミールが子供のころの厳格な父のシーンを見ている観客にはとてもよくわかる。
そしてババが体調を崩して入院中、我慢できずアミールは病室を抜けて涙ぐむ。
「故郷を離れ、一人しかいない家族を失い、僕は一人になる」ことを思うと観客も悲しくなるのですが、そこに彼女であるソラヤが追いかけてきて、未来一緒になることを示唆するというこの演出。にくい・・・・。
そして父のラストシーン、ソラヤを「私の娘」と抱きしめ、アミールとも固く抱きしめあう。
これは泣いた……。
口数もエピソードも少ない中、この親子の不器用な愛を描き切ってあるのはすばらしいです。
全編通して、ババ役も超好演でした。
父親ってどの国でも同じなのかなあ。
このエピソード、「過去の過ちの清算」(自分を罪悪から救いたい)という面もあると思うのだが、個人的にはそれよりもアミールの純粋な愛を感じました。
ソーラブ奪還編は、もしかしたら「自分すら守れない奴は何に対しても立ち向かえない」と言われたかつての自分との決別である、という「強くなるエピソード」という面があるのかもと思うのですが、こちらも個人的にはあまり感じなかった。
アメリカでのアミールはそこそこちゃんとした大人として描かれているしね。
(それにしても、ババ、よく本当のことを死の床でアミールに打ち明けませんでしたね。その是非はともかくとして、男らしいです。)
さて、この里帰りシーン、かなりドキドキです。
なんで自分の国なのに、隠れるようにして入国しないといけないのでしょう。
ここで孤児院に行くシーンがありますが、子供を保護するはずの孤児院が「いけにえ」を差し出していることを知ると、アミールは激怒します。
でも、それは好きでそうしているわけではありません。もちろん孤児院側もできることならそんなことしたくない。でも全員死ぬわけには行かないから、引き裂かれる思いだけれど、そうすることでなんとか見逃してもらって他の子供達を生かしている。
このシーンは絶対入れたかったんでしょうね。
創作系ではよくあるテーマ(より多くの命を救うために少数の命を諦めるという選択への葛藤)だし、孤児院側の意見も分かってるんだけど、自分でもやっぱりあの場にいたら、アミールのようにとっさに声を荒げているかもしれません。
結果的にはソーラブを生きて奪還することに成功。これは本当にほっとしました。
原作者が「最初は、ソーラブは助からない予定だったが、妻や周囲に言われて書き直した」と言っていて、本当によかった。。
ソーラブ奪還編は「過去の清算あるいは贖罪」「強くなる象徴」等の人間模様に載せて、国際情勢を考えずにはおれないところです。
それも、過激すぎず、極端すぎず、いいバランスで描いているので、絶望感や嫌悪感に支配されず、受け取り側も希望を感じることができるようになっています。
解説では「ハッサンが凌辱され、アミールが見て見ぬフリをしたシーンは、アフガニスタンと国際社会の暗喩でもある」と出てきて、これは気づかなかったので少しゾッとしました。
私はふとジョン・タイターの「World Peace Game」を思い出したりしました。
というか、凧は糸を切りあうというのすら知らなかった。
そして切られたら、あとは取ったもん勝ち(落ちてきたのを拾った人が所有物にしていい)なのね。少なくともこの作品では。
大人なら金という価値交換で賭けをするわけだけど、子供は、中長期間かけて純粋に戦力対決をするわけで、結構頭を使うゲームだよね。
ザコキャラでレベルアップすればいつか魔王に勝てるゲームでは学べない戦略や忍耐や人付き合いを、対人ゲームは教えてくれると思う。
本当に子供のころにするべきだよなあと思います。
さて話が逸れましたが、とにかくこの映画での凧はスリリングです。演出がめちゃくちゃうまい。
そして、「糸巻きを持つ方」がいるという、2人で一対というのもミソです。
それがアミールとハッサンの友情を描くのにとても効いている。
さらに、大したことではないのですいが、「うまいなあ!」と思ったのがハッサンの能力。
ハッサンが「凧がどこに落ちるかわかる」という、超能力というほどでもないけど、なんだか不思議な力を持っていた、というのが、とても詩的というか、ハッサンの魅力を伝えるものすごく素敵な設定なのです。
ちょっと神秘的なキャラクターなんだよね。
観客は、自分に強くないアミールを自身に重ね、なぜか不思議と芯の強いハッサンに惹かれます。
う~んうまいです。
果たして1970年代のアフガニスタンは本当にこんなに凧上げが大々的に、そして熱狂的に行われていたのかは知りませんが、とにかくキーアイテムとして逸品でした。
アミールとハッサンが子供のころ優勝する際の描写も、物語のラスト、カリフォルニアで上げる凧も、どちらも爽快で美しく、素敵です。
ちょっとちょっと。
カバーデザイン誰だよ?
海外版は表紙デザインがこれ。
この写真1枚がぐっとくる作品なのに、なんなんすかこの笑顔の二人と胴上げの写真を2枚入れるっていうのは…
と、これはちょっと不満!
インポートものは、邦題がおそろしくダサくなるパターンも多いけど、「なんでもともとのグッとくるパッケージを敢えてやめて、その写真3枚載せようとしたの」みたいなのが結構たくさんあるのですよねぇ…。
作品として、複数人の登場人物のそれぞれがそれぞれで過ごす系(Holidayとか)、あるいは群像劇みたいなものであれば、それぞれの人間のカットを合わせて1カットにするのはむしろ表現として適切と思いますけど、そうじゃない場合に複数枚載せるってセンスが悪いと思う。
本作はどう見ても「アミールとハッサンの友情」が主軸なんだから、「凧上げ合戦で胴上げされてるアミール」とかどうでもいい!!!せめて2人で笑顔で空を見ている方のカットだけにしておいてほしかった。。
それから前回の反省を活かし、日本語音声/英語字幕にしてみました。
よかった!
一度観終わった後、逆にして少し観てみたけど、やっぱりだいぶニュアンスが違いますね。
日本語音声のほうが忠実に訳してますね。
まあ、本作は英語じゃないところも多いけども。
現地の言葉を話させるという意味でも、すごく挑戦的な映画だったようですね。
ともかく、とてもいい映画でした。
原作はぼちぼち、辞書を片手に頑張って読みたいと思います。
人生における傑作映画ベスト3くらいに堂々ランクイン。
ものすごく良作です。
正直期待してなかった。
戦争が物語の軸に絡んでくる作品というのは往々にして過激(極端)だったり暗くなりがちですが、むやみに大袈裟な演出なしに、友情、親子愛、成長、社会とのつながりをじっくり描いてある作品。
いきおい、原作をまさかの原文でポチってしまったくらい、感動しました。
以下、ほぼほぼネタバレしております。
友情、親子愛、を丁寧に描く
舞台は1970年代後半のアフガニスタン。前半は子供時代のアミールと、ハッサンの友情を中心に描いてます。
主人公はアミールで、彼の父である「ババ」が使用人として雇っているのが「アリ」。そしてハッサンは「アリ」の息子です。
つまり、アミールにとってハッサンは「使用人」とほぼ同義なわけですね。
アミールは喧嘩もできず、フィクション作家になるのが夢というちょっと弱々しい主人公で、ハッサンは「(父の)雇い主である(ババの息子である)アミールに仕える」というポジションなのですが、アミールに比べて非常に芯があり、心が強い描かれ方をしています。
特別「ハッサンは強い」という直接的なエピソードなどは無いのに観客に伝わってしまうのはすごいです。ハッサン役の好演振りももちろん、脚本もすばらしい。
アミールに関しては、かなり冒頭でババから「やり返さない自分のためにハッサンが盾になり作った傷を、俺に”転んだから”と説明するあいつは、男として何か足りない」と言われます。それを慰め、物書きの夢も応援してくれるのが親類のラヒム。
このシーン初見時は、「仲の悪い親子」を象徴するエピソードと理解したのですが、そうではなく、後から見返すとむしろ「自分に弱いアミール」と、「厳格な父と、優しく導いてくれたラヒムというもう一人の父」を描く大事なエピソードだったのだと理解。
そんな二人でも、その友情は嘘偽りないように見えた。
しかしハッサンが暴行を受け、アミールは助けに入れなかった、というのが物語を大きく動かしていきます。
ハッサンが暴行を受けているときに助けに入れなかった、のは責められません。でも、本当は見ていたけどその後も知らないフリをして、自分の弱さに向き合えず、居心地悪いからって濡れ衣を着せるところは「こら!!!」と。
そして仲直りをする前にソ連が介入してきて、そのまま逃げるようにして二人は運命を違えてしまいます。
これは1979年のソ連の介入ですね。
ちなみに映画紹介を読むと「心の距離ができたまま時代に翻弄されて二人は引き裂かれる」的な文言になっているのですが、私はそうとは取れなかった。
明らかにアミールが悪いですよあれは。
時代とかいうより自分の責任でしょう。
謝ろうとしたけど、その時にはすでに遅かった(タッチの差で軍事介入が始まった)とかならよくわかりますが。
…ということでどうも私は「時代によって引き裂かれた」感については理解できませんでした。
その後、ババ親子はパキスタン方面に逃げます。
この「逃げる」シーンでは、ババが殺されるのではないかとヒヤヒヤ。怖かった!!
アメリカに亡命後は、しばらく親子と恋人との話が続きます。とくに親子愛の部分が逸品です。
父は厳格で、そして強い。
使用人を雇い、気前よく孤児院に寄付をしていた威厳のある父が、アメリカではガソスタで働いて、息子を大学まで通わせる。
だけど、その息子はいまだに「医者にはならない。作家になるんだ」と言う。
果たしてババはこれに対し、卒業式の日に少し文句を言っただけで、そのあと特に何も言わないのですが、この父の何とも言えない気持ちは、アミールが子供のころの厳格な父のシーンを見ている観客にはとてもよくわかる。
そしてババが体調を崩して入院中、我慢できずアミールは病室を抜けて涙ぐむ。
「故郷を離れ、一人しかいない家族を失い、僕は一人になる」ことを思うと観客も悲しくなるのですが、そこに彼女であるソラヤが追いかけてきて、未来一緒になることを示唆するというこの演出。にくい・・・・。
そして父のラストシーン、ソラヤを「私の娘」と抱きしめ、アミールとも固く抱きしめあう。
これは泣いた……。
口数もエピソードも少ない中、この親子の不器用な愛を描き切ってあるのはすばらしいです。
全編通して、ババ役も超好演でした。
父親ってどの国でも同じなのかなあ。
ソーラブ奪還編に観る"国際情勢"
ラヒムから電話がかかってきて里帰りをし、ラヒムからハッサンの死と血縁を聞かされた後のアミールは、ハッサンの忘れ形見であるソーラブ奪還を決意。このエピソード、「過去の過ちの清算」(自分を罪悪から救いたい)という面もあると思うのだが、個人的にはそれよりもアミールの純粋な愛を感じました。
ソーラブ奪還編は、もしかしたら「自分すら守れない奴は何に対しても立ち向かえない」と言われたかつての自分との決別である、という「強くなるエピソード」という面があるのかもと思うのですが、こちらも個人的にはあまり感じなかった。
アメリカでのアミールはそこそこちゃんとした大人として描かれているしね。
(それにしても、ババ、よく本当のことを死の床でアミールに打ち明けませんでしたね。その是非はともかくとして、男らしいです。)
さて、この里帰りシーン、かなりドキドキです。
なんで自分の国なのに、隠れるようにして入国しないといけないのでしょう。
ここで孤児院に行くシーンがありますが、子供を保護するはずの孤児院が「いけにえ」を差し出していることを知ると、アミールは激怒します。
でも、それは好きでそうしているわけではありません。もちろん孤児院側もできることならそんなことしたくない。でも全員死ぬわけには行かないから、引き裂かれる思いだけれど、そうすることでなんとか見逃してもらって他の子供達を生かしている。
このシーンは絶対入れたかったんでしょうね。
創作系ではよくあるテーマ(より多くの命を救うために少数の命を諦めるという選択への葛藤)だし、孤児院側の意見も分かってるんだけど、自分でもやっぱりあの場にいたら、アミールのようにとっさに声を荒げているかもしれません。
結果的にはソーラブを生きて奪還することに成功。これは本当にほっとしました。
原作者が「最初は、ソーラブは助からない予定だったが、妻や周囲に言われて書き直した」と言っていて、本当によかった。。
ソーラブ奪還編は「過去の清算あるいは贖罪」「強くなる象徴」等の人間模様に載せて、国際情勢を考えずにはおれないところです。
それも、過激すぎず、極端すぎず、いいバランスで描いているので、絶望感や嫌悪感に支配されず、受け取り側も希望を感じることができるようになっています。
解説では「ハッサンが凌辱され、アミールが見て見ぬフリをしたシーンは、アフガニスタンと国際社会の暗喩でもある」と出てきて、これは気づかなかったので少しゾッとしました。
私はふとジョン・タイターの「World Peace Game」を思い出したりしました。
凧というキーアイテム
日本の凧はスリリングとは程遠いイメージですが、ここで出てくる糸切り合戦は、なんと楽しそうなこと!!というか、凧は糸を切りあうというのすら知らなかった。
そして切られたら、あとは取ったもん勝ち(落ちてきたのを拾った人が所有物にしていい)なのね。少なくともこの作品では。
大人なら金という価値交換で賭けをするわけだけど、子供は、中長期間かけて純粋に戦力対決をするわけで、結構頭を使うゲームだよね。
ザコキャラでレベルアップすればいつか魔王に勝てるゲームでは学べない戦略や忍耐や人付き合いを、対人ゲームは教えてくれると思う。
本当に子供のころにするべきだよなあと思います。
さて話が逸れましたが、とにかくこの映画での凧はスリリングです。演出がめちゃくちゃうまい。
そして、「糸巻きを持つ方」がいるという、2人で一対というのもミソです。
それがアミールとハッサンの友情を描くのにとても効いている。
さらに、大したことではないのですいが、「うまいなあ!」と思ったのがハッサンの能力。
ハッサンが「凧がどこに落ちるかわかる」という、超能力というほどでもないけど、なんだか不思議な力を持っていた、というのが、とても詩的というか、ハッサンの魅力を伝えるものすごく素敵な設定なのです。
ちょっと神秘的なキャラクターなんだよね。
観客は、自分に強くないアミールを自身に重ね、なぜか不思議と芯の強いハッサンに惹かれます。
う~んうまいです。
果たして1970年代のアフガニスタンは本当にこんなに凧上げが大々的に、そして熱狂的に行われていたのかは知りませんが、とにかくキーアイテムとして逸品でした。
アミールとハッサンが子供のころ優勝する際の描写も、物語のラスト、カリフォルニアで上げる凧も、どちらも爽快で美しく、素敵です。
内容とは関係のない小ネタ
以下は全く関係のない雑談!ちょっとちょっと。
カバーデザイン誰だよ?
海外版は表紙デザインがこれ。
この写真1枚がぐっとくる作品なのに、なんなんすかこの笑顔の二人と胴上げの写真を2枚入れるっていうのは…
と、これはちょっと不満!
インポートものは、邦題がおそろしくダサくなるパターンも多いけど、「なんでもともとのグッとくるパッケージを敢えてやめて、その写真3枚載せようとしたの」みたいなのが結構たくさんあるのですよねぇ…。
作品として、複数人の登場人物のそれぞれがそれぞれで過ごす系(Holidayとか)、あるいは群像劇みたいなものであれば、それぞれの人間のカットを合わせて1カットにするのはむしろ表現として適切と思いますけど、そうじゃない場合に複数枚載せるってセンスが悪いと思う。
本作はどう見ても「アミールとハッサンの友情」が主軸なんだから、「凧上げ合戦で胴上げされてるアミール」とかどうでもいい!!!せめて2人で笑顔で空を見ている方のカットだけにしておいてほしかった。。
それから前回の反省を活かし、日本語音声/英語字幕にしてみました。
よかった!
一度観終わった後、逆にして少し観てみたけど、やっぱりだいぶニュアンスが違いますね。
日本語音声のほうが忠実に訳してますね。
まあ、本作は英語じゃないところも多いけども。
現地の言葉を話させるという意味でも、すごく挑戦的な映画だったようですね。
ともかく、とてもいい映画でした。
原作はぼちぼち、辞書を片手に頑張って読みたいと思います。