ウリ ニーズィー,ジョン・A. リスト / その問題、経済学で解決できます。

2019-09-17お気に入り・おすすめ, manage-strat 経営・戦略・思考, money お金, psychology 心理学

「経済学」と書いてあると、「所詮あんまり役に立たない理論…」という感じがしてしまう人。

もったいない!

この本は、人はどのように・なぜ行動するのか?を探る「行動経済学」の中でも、さらに実践と直結した考察や取り組みを紹介しています。

どうやって業績を上げるのか、どうやって社会問題を解決するのか。

そんな、身近なものから壮大なテーマまで、ぐっさりと切り込んでいきます。
めっちゃ面白い上にとても役に立つので、これは是非一読をおすすめです。

単純に「結果」が述べられている本というよりも、そういった結論をどう導いていくか、それに対する策をどうやって考えていくべきか、そしてそのツールの1つとして「実験」の有用性が述べられています。


まだ勘で決めてるの?「実験しよう」

イケハヤ風にしてみた。

まず「はじめに」で語られるのが、「アイスクリームの売上と溺死者数の関係」という話。

夏には、アイスクリームの売上も、出来死者数も増えるが、これを相関がありそうだと思えば、
「アイスクリームの売上が増えたから溺死者数が増えた」あるいは、「溺死者数が増えたからアイスクリームの売上が増えた」と言ってしまうこともできる。

ビッグデータが活用できる、となったとき、「これまでは、少しのデータから物事を推測していたが、これからはそんな必要ない。データをそのまま見れば良い。」と言っていたが…

著者はデイビッド・ブルックス(「あなたの人生の科学」の著者)の言葉をそのまま引用しています。

億千万のものごとが互いに互いに相関しあい、またデータをどう組み立てるか、何と何を比べるかで、そうした相関が違ってくる。意味のある相関を意味のない相関と区別するためには、何が何を起こしているか、因果を仮定しないといけないことが多い。つまり、結局人間が理屈を考える世界へと逆戻りだ。
大企業はデータを集めたはいいけど、それをどうやって見たらいいのかわからなくなってしまっていると指摘。
著者の仕事は、「データを作り出す前に」関心のある因果関係について考えてからデータを取る、と、「実地実験」の有用性を述べています。

加えて、「ほとんどの場合は、正しいか分からない伝統とか勘で物事を決めている」ことも、随所で述べられています。

たとえば、いい成績という望ましいアウトプットを実現するためにはどんなインプットが必要だろう?
・・・(中略)・・・
教育を研究している人たちなら、こうした疑問に対する答えをもう見つけているんだろう、あなたはそう思うかもしれない。なにせ、教育にまつわる議論はアリストテレス以来続いているし、アメリカは100年以上前から正式な公的教育を子どもたちに提供してきた。
でも実際は、ぼくたちは教育では本当は何がうまくいくのか、どれだけうまくいくのか、なんでうまくいくのかを調べるのに、実地実験を体系的に利用してはこなかった。
という「教育」に関してもそうだし、NPOの広告の打ち方などでも同様の話が出てきます。
「それが一番いいって昔から決まってる(わかってる)んだよ」的なアレですね。

でも、じゃあどうしてそれがいいと言えるのか?
そして、今もそれは当てはまるのか?

これに、「勘」「伝統」「経験」とか言ってたら一向に物事は改善しない…わけですよね。

インセンティヴがもたらすもの

まずは、インセンティヴってどういうもの?という話。

インセンティヴは、なぜ・どんなふうに影響するのかをしっかり考える(実験する)必要がある。

例えば、幼稚園のお迎えに遅れたら罰金を科す、という制度を導入したら、それが小額だったため逆に「急いでお迎えに行かなくて良い権利を小額で買った」親御さんが増えてしまった。
(これ、日本でやったら、罰金を科す幼稚園に対してや、小額であっても「払えばいいや」と罪悪感なしにその権利を行使する親に対して、それぞれ周囲から相当なバッシングがありそうですが…。)

つまり、インセンティヴは正しく使わないと逆効果にすらなるかもしれない。
意味を変えてしまう」。

例えばで出てきた話が興味深かったので、こちらを引用。
自分のティーンエイジャーの子供に、麻薬はとても悪い(から、手を出すな)ということを教えるとする。

でも、ちょっと疑いの心が頭をもたげ、子どもに薬物検査を受けろと言ったとする。
そういうことを求めると、ティーンエイジャーと親御さんの関係はどう変わるだろう?
あなたはもう、親というだけではない。あなたは警官でもあることになってしまう。
そして子どもはとにかく麻薬はよくないと思う代わりに、薬物検査をごまかす道を探すことばかり考えてしまうかもしれない。
ちょっと極端な例えだけど、親がやってることは間違ってない。
でもこれ信用問題だから、子どもが分別ついてないときにこれやると、ほんとに「親に叱られるから」麻薬はダメ、という発想になる可能性高いと思う。

ちなみにこの直後にある例えも面白いですw

飲み屋でステキな人と出会い、いい雰囲気になって、お持ち帰りありかも的な雰囲気なのに、「ウチに行かない?」「なんなら100ドル払ったっていい」と続けて言ってしまった途端、相手を売春婦か売春夫に変えてしまう・・・そして関係はぶち壊しに‥

いやーほんとにセフレ狙いであっても、こんなことする女や男はめったにいないと思うけどw、例えとしては非常に面白いですね。

誰かにやる気を出させるために何かをしようと思うときは、まず、その誰かがインセンティヴがなくてももともと持っている、いい結果を出そうというやる気(中略)をインセンティヴが押しのけてしまわないかを考えないといけない。
それに「周囲からの見え方」もかなり変わります。

空き缶1つについても、インセンティヴがないなら、たくさん集めてリサイクルセンターに持っていくお隣さんを「環境保護に熱心なんだな」と思うが、小額のインセンティヴがあると「小銭にしかならないのに、卑しいなぁ」と見えてしまう…
(日本は実際に、ホームレスの方がこれをやってますよねぇ‥)

男女差別

まずは、男女差の話題から。

女系が強い民族と、男系が強い民族で競争に関する実験を行った… 本当に「男性の方が競争に強いのか」

結果は、女系が強い民族(カーシ族)であれば女性が、男系が強い民族(マサイ族)であれば男系が強いと出た。
純粋に「男のほうが(生まれつき)競争に強い」わけではない。

さらに、女系が力を握っていたほうが、全体として利益があるかもしれない、ということや男女差(男性の方が競争に強い)のはつまり「男の子らしく」「女の子らしく」という社会文化のせいであり、変えるならそこからだ、ということ。

なんとなく思ってはいるものの「本当にそう」かどうかは誰も確かめられなかったこのテーマ。

女性の社会進出などを奨励する本でもたいてい「生まれつき女のほうが家事育児が適してるとか、稼げないというのは幻想である。結果そうなっているのは教育や社会文化の賜物であるから、(そういう社会とうまく折り合いをつけながらも)自信を持って」というくだりが多いですよね。

教育をよくする

教育のために、どんなインセンティブを設けたらよいのだろうか?

こう言うと、「モノで釣って一時期だけ成績を上げたって意味がないよ」と否定的な返答が返ってきそうです。

でも、結果が一時的じゃなかったら?

それに、筆者が取り上げるのは「家庭環境や地域の状況で、まともな公立教育すら受けることができない」という、アメリカの貧困地域。
どうしたら教育をほんとうの意味で届ける事ができるのか。
貧困を脱することができるのか。
パブロフの犬みたいなやり方であっても、それで問題が解決するならばやらない手はない。

人がインセンティブによっていかに行動するのかを、実際に学校まで作って「実地実験」をしていきます。

インセンティブについては、例えば
・未来にもらえる報酬より、すぐに貰える報酬の方がやる気が出る
・「良ければもらえる」より、「最初にあげておいて、よくなかったら取り上げる」ほうが成果が出る
・子ども一人を教育するには、教師や親など関係者がいるが、誰か一人にまとまった報酬を出したほうが効果が大きい

といったエッセンスも入っています。

趣旨には直接関係ないけど、ぐっときたのは「妹には教育を受けてもらいたいと願う、包帯を巻いたティーンエイジャー」。
外を出歩くと発砲されて死ぬ、なんてことが日常茶飯事の地域です。
なんとかしてあげたい。
でも、「どれが正解(効果がどれくらいある)かわからないものに、コストをかけている場合じゃない。だったら、実験しなくては。」と、読者も感じるんじゃないでしょうか。

差別をなくす

差別には2種類ある。

・「悪意」による差別
・「経済的」差別

悪意からくるものは、「嫌いだから」という理由で起こる差別。
ただ、これは近年は減ってきている。

これは「相手には選択の余地がある」と思っている場合に起こりやすいらしい。

「あんた黒いよな。あんたは自分で好き好んで黒いわけじゃない、それはオレにもわかる。でも、いったいぜんたい、なんであんたユダヤになんてなったんだ?」
悪意が頭をもたげるのは差別をする側の人間は、自分が評価しようとしている相手が、自分で好んでその特性を見に付けていると思うときであること多い。
でも、実際にはその人のことをよく知れば知るほど、型にはめて考えることができなくなる…と続きます。
これ、まさに「ものさしの話」に繋がってくる気がしますよ。

そして近年顕著なのが「経済的差別」。
ようは、「そっちのほうが儲かりそうだから」している差別で、別に好き嫌いや悪意は介在していないということ。

例えば体が不自由な人が見積を取ると健常者よりも高く出されるが、これは不自由な人が嫌いだからそうしているのではなく、おそらく不自由で面倒だから何軒も見積を取ったりしないだろう、だから高めでも発注してくれるだろう…という思惑によるもの。
ここでは、「今日中に三軒見積を取るんだ、と言うだけで健常者と同じ見積もりになる」という実験結果が出てきます。
(おそろしい…)

経済的差別は、他人の懐具合について、自分は何らかの情報を──正しいにせよ間違っているにせよ──持っていると思い込むことからも起きている。
そしてここで面白いのが、ネットを通じて、自分の様々な情報が売り手側に漏れていることが、「経済的差別」となっているという話。
(こっちの人はこんなステータスやライフスタイルで、お金を持っていそうだから、高い商品ばかりを表示させよう、とかいうのも含まれる。)
そして「お客には差別的な待遇の対象となっているかどうかが分からない」ということが問題なのだと。

なるほど確かに。
これについては「売り手が、どんな情報を持っているのかを開示する法律を設けるべき」といった話もある様子。

これは今後重要な視点になっていくと思います。

人の行動を少しいい方向に変えさせる様々な実験

ここでは4つ、興味深い実験を引用。

1、インセンティヴは大義名分になる可能性がある

暴力が多く、まともな勉強ができないような学校幾つかに競わせ、校風が最も良くなった学校には、スーパースター(ここではカニエ・ウェストというラッパー)を読んでプライベートコンサートをする。。

ここでは暴力沙汰が(すべての学校をあわせて)30%も減ったことや、プログラムが終わっても校風が悪い方へと戻ることはなかった、という結果が出てきます。

これってものすごいことですよね。
個人的に気になったのはここ。

でも実は、ものごとを変えたのは、本当はコンサートというインセンティヴではなかった。
ウェストを見られるチャンスは、実は、子供たちが本当はほしいと思っていたものの大義名分になっただけだった。
つまり安全に勉強できる場だ。
子供ってカッコつけるところもあるし、なにより狭い世界で生き抜かなくてはいけないので、同調圧力が強いのだと思うのです。
そこで、「ウェストを呼ぶ」という大義名分のもと、「いい環境にしようぜ」ってみんなで言い合えるようになった…、これはものすごく重要じゃないかな。

空気を読むことに辟易している大人の集団にも、全く同様の効果がある可能性がありますね。

2、ナッジ(そっと後押し)

「本人も気づかないうちに行動をいいほうへ変えさせる、小さな変化」とのこと。

例えば、健康を考慮して、クッキーやポテトチップスは手の届きにくい(誰かに取ってもらう必要があるなど)場所に置き、取りやすいところに野菜や果物を置くなど。

また、免許更新などの手続きのときに「臓器提供をします(あるいはしません)」という意思表示をオプションとしてつけておくと、提供者が増えるらしい。

どちらも「ちょっとした手間」を省いただけですが、成果は大きいでしょう。
ビジネスの世界にいる人なら、いかに「手間が離脱につながっているか」とか「それを改善するだけで売上が変わるか」などを研究していることも多いかもしれませんね。

3、リーダーについて行け

これはNPOが寄付を増やすために、「シードマネー」をいくら位にするとよいのかという実験。

必要なお金の33%はもう調達できていますと書いたほうが募金は増えたが、すでに目標の67%は調達できていますと書いたほうが集まった募金の額は大きかった。
シードマネーがもっと少ないと(たとえば10%)寄付は減った。
なんと…。

これは日本語で言えばいわゆる「勝ち馬に乗る」ですよね。
ほぼ成功するだろうと思われるものには、便乗する…というもの。

そして「すでに必要な99.9%は集まっていますと宣言すれば、たぶんあんまり寄付は集まらないんじゃないかと思う。」とも書いてあります。
これは「そう思うというだけで事実かどうかはわからない」と書いてありますが、たぶんそうでしょうね。

ユーザ側の気持ちになれば「そうだよなぁ」と思うけれど、これを仕掛け人側として発想できるか。
こういうのも含め、「ユーザの立場になって考える」のが大事なのだなと思いますよね。

4、トンティン

これは簡単に言うと「グループみんなでお金を出し合い、属する人の頭数が減ると、もらえる額が増える」というもの。

つまり、最初に払う金額は全く同じだが、他の誰かが死ぬとバックされる金額は徐々に増えていく…
(自分は長生きしなくてはいけない… あるいはグループの他人が死ぬように仕向けたり殺すとオイシイ…)

チャリティの方式として、「宝くじ方式」と「トンティン方式」の説明があります。

宝くじ方式:
もらえる額 → 一定
当たる確率 → 買う人が多ければ多いほど下がる

トンティン方式:
もらえる額 → 出した金額に比例する
当たる確率 → 一定

「1円でも出せば、1回につき、商品が当たる権利を1回お渡しします!」 というチャリティと、
「出した金額に応じて、一定の確率で当たる商品のグレードが変わります!」というチャリティ、
どっちがより寄付額が集まるのか。

結論としては、トンティンの方が寄付額が大きい。
・好みが分かれている人が属す母集団であれば、トンティン方式の方が、当たる商品に興味のある人間から、特に多く寄付が手に入る
・リスクを嫌う人が属す母集団であれば、トンティン方式のほうがいい

ただ、ここは説明がかなり省かれているので、ちょっと納得感が低いところ。
なんとなく、そうだろうなあという想像はできるのだけど、母集団の数や「好み」の分類方法や種類、割合なんかで変わってきそう。
これは確率の問題にありそうだし、実際に実験のしがいもありそうですね。


「おたがいさま」

完全に余談ですが、母が昔「日本の『おたがいさま』の発想は本当に素晴らしい」と、静かに言ったことを忘れられません。

さらに友人が「先輩の産休で仕事増えて超ウザい!でも、私も産休とるつもりだから、それでいいんだよ!迷惑かけちゃダメって思い悩んでても意味ない!」と言ったことも忘れられない。

ここでは、「寄付の用紙に、もうDMを送らないでください、というチェック欄をつけたら、寄付数も寄付額も増えた」という実験が出てきます。そしてその後も、全体の寄付額は変わらないらしい。

お客に気を配る企業なら、お客は意見を聞いてもらうのをとても喜ぶのを知っているべきだ。
そして彼らは、もうやめにしたいですかと尋ねられるととてもうれしいのである。
交渉の方法としてもよく出てくるね。
「これこれをして差し上げるから、あなたもそれをしてください」のパターンと、
「道筋を作っておいて、あっちが気づいたこととして言わせる」のパターン。

前者は「おたがいさま」を引き出す方法だし、後者は「自分の意思で言ったことは正しい(重要)だと感じる」というもの。


そして「実験しようよ」という締めに向かいます。

企業で実験するにはたくさんの「壁」がある。
例えば、いわゆる「力を持っている既得権益層(昔の成功で昇進し、その仮面を剥がされたくない経営層)」とか、「変化に伴う不確実性や道の事柄に腰が引ける・過去の安全策を取り続けたい」、とか。

さらに
管理職は、会社の業績を高めるために解決策を提供し、難しい判断を下すのが仕事だと思っている。
つまり、会社が直面する難題に対して、自分は最初から答えをもってないといけない、そう思ってるのだ。
おおう… すごくその通りだと思います…

たしか「ビジョナリー・カンパニー」にもあったように、「(金のなる木を保有している間に)多産多死の文化を作る」だったか。
失敗もたくさんあるけど、その中で成功例が出てくるんだから、たくさん実験しろよということ。

なんとなくキングジムを思い出しましたよと。


そして、実験のやり方です。

      1、何を変えたいかを決める
      2、変化をどう測るのかを決める
      3、実現する方法をいくつか思い描く
      4、コイントスして実行する(「対照」の状況と「実験」の状況で結果がどう違うかを比べる)
1と2は重要ですね。
これはしっかりやらないと意味がありません。

というわけで、非常に勉強になった一冊でした!


さあ実験だ!

町へ出よう ──── 白衣とポケット・プロテクタを捨てよ ───

そして本当は何がどうなってるか見てみよう。