垣根涼介 / 光秀の定理

2019-09-12史実に基づく・史実がベース, クイック本(さくっと読める), manage-strat 経営・戦略・思考, novel 小説

光秀の定理 (角川文庫)「これは青春小説だ!」のポップに惹かれて。

日本史モノはあまり読まないので、珍しいです。

まさかポップ買いさせられるとは。笑



光秀が愛おしくなる

光秀に関する知識といえば、「本能寺の変で信長を自害に追い込んだが、その後すぐに秀吉に討たれる」くらいのもの。
私は序盤読み始め、すでに「光秀の話」だということすら忘れていました。笑

…というくらい、先入観がなかったのが更に面白かった所以かもしれません。

本作では、新九郎という兵法者(やたら剣が強い人)と、愚息という坊主、という二人の創作キャラが物語を回していきます。
といっても、この二人は歴史の表舞台に出てくるわけではなく、読者にとってその時代を生きる名も無き語り手、という位置づけ。
でも、この二人がとっても良いのです。

そして、光秀。

中盤までどうも冴えない感じが続きますが、そんな光秀の葛藤や悩みに読者は寄り添うので、終盤に味が出てきます。

つい、光秀が(ついでに信長すらも)、同じ人間なんだなあと愛しくなる不思議な本。


モンティ・ホール問題

序盤からキィになる、愚息の賭け事、「おわん問題」。

4つのうち1つのお椀にサイコロを入れて伏せ、どれに入っているかを当てればあてたほうの勝ち、という賭け事。
ポイントは、掛けたあとに「はずれ」が2つオープンされ、残った2つの椀を前に、「掛けなおすか、掛け直さないか」を選べるというもの。

答えは、「賭けなおした方がいい。」

最初にあてる確率は25%。4回に3回は「はずれの椀」に賭けてしまう。
だけどこのあと残される2つの椀は、「あたり椀」か「はずれ椀」しかない。
一見、確率は1/2にも見えてしまうが、最初に「はずれ椀」に賭けてしまう確率のほうが高いということは、もう片方の椀が「あたり椀」である確率のほうが高い。

だから、「賭けなおしたほうが良い。」
…というのを、モンティホール問題というそうですが、これが物語を通して出てくる「定理」に掛かってきます。

最初に答えを書くと当たり前な感じがしますが、物語は当然ミスリードを誘い、光秀は終盤の活躍に掛けて、この問題を解いていくことになります。

光秀が実戦でこれを応用(というかカンニング?)するくだりに関しては無理がある気もするけど、物語全体をつなぐテーマとしては非常に面白かったなと。

歴史物には珍しい視点なんじゃないでしょうかね。


新九郎と愚息

愚息は、一休さんに少し似ています。
本気で真理を追求したがるゆえに、金儲けの宗教組織に辟易しているところとか。

愚息は階級意識が大嫌い。

今でも世界や日本には、階級制度の名残がビジネス(資金力)に形を変えて根強く残っていますが、「誰が誰より偉い」「偉くない」、というようなのがお嫌いの様子。
ただ、そんなことを言っていても普通は生き抜けない時代だし、そんなことを言っていても世の中はいきなり変わったりしないのもよくわかっている。
だから、せめて自分は世捨て人として階級制度の外で一人、のらりくらりとくだらない(=素晴らしい)人生を謳歌するのみ──。

それから「強いだけで頭は弱い」新九郎。
彼が成長していく過程を描くことで、時の流れや時代背景、光秀との対比を描き、読者と時代をつなぎます。

新九郎は可愛らしいほど素直なバカなので、序盤、とくに光秀との出会いは本当に微笑ましいです。(笑)金品欲しさに深夜に他人(光秀)を恐喝するという場面にも関わらず(^_^;)

この「普通じゃない坊さん」+「頭は悪いが素直な性格で、べらぼうに強い剣士」という組み合わせは上手いなぁと思います。

愚息は世捨て人、新九郎は愚息と共に行動するため、最後まで時代に翻弄されない(にくい)俯瞰的なスタンスです。
この二人を光秀の気の置けない友人として登場させることで、あくまで第三者でありつつも、光秀の葛藤や悩みや野望を読者に伝えてくれます。

純粋に激動の時代をのらりくらりと生き抜いた二人の物語としても、面白いかもしれない。


語り口と構成

語りは、新九郎視点と、天の声視点の2つ。

これ自体は珍しくないと思うのですが、この「天の声」、二種類あります。

  • Ⅰ、「その世界での天の声」と、
  • Ⅱ、「読者と全く同じ世界での天の声」。
歴史小説はあまり読まないのでこれが珍しいのかどうかは正直わかりませんが、私の知る小説の中ではかなり異質。

例えば、Ⅰは、「新九郎と愚息は、族長の申し出を断った。」とか、「この後、よもや十兵衛が✕万石の武将になろうとは誰も知らないのである。」みたいな、「その世界観の中での状況説明」。

Ⅱは、NHKの大河ドラマの本編のあとに放送される「✕✕縁の地を訪問〜 光秀は✕✕年、○○にて休息を取ったと言われています」みたいな、現代の人による、現代の視聴者に向けた説明語り。

この作品、Ⅱが、本編の真ん中にちょいちょい差し込まれるのです。

せっかく物語として世界に入っているのに、いきなり「歴史コラムのコーナー」みたいな、作者から読者への説明がナチュラルに混じるので、「んっ…?!」と(笑)
説明してくれるのは有り難いんですが、読者はフィクションなのを分かって読んでるので、せめて①視点での語りにして欲しかった。言い切りにくいなら、コメジルシつけまくって最後に解説、とかでもこの際いい。フィクションとして書ききってくれ!(笑)

…というのはまあ蛇足です。読みにくい!という訳でもないので、気にならない人は気にならないと思います。


そして構成。

そもそも、愚息と新九郎が読者のアバターであり、光秀は二人の友人でしかないので、光秀の描写は実はそこまで多くありません。
光秀がどんなふうに仕事をしているのかも、愚息と新九郎の推測、程度の描写が多いです。

椀の賭け事の解を得るあたりで、「来るぞくるぞ、この後ついに信長に仕えて、そして本能寺の変が──」と盛り上がるのですが、なんとその後、いきなり光秀が亡くなって数年後、愚息と新九郎が久しぶりに再開する場面へ。

肩透かしも肩透かし。
まぁ、そもそも全体の温度感として「第三者的視点から光秀を語る」感じだし、そのイベントについて事細かに創作したり演出する気はない、ということなのでしょう。

でも、「きっと我々の友人であった、非凡な才能を持ちながらも血と時代に翻弄された不器用な光秀は、こんな苦渋の思いで断行したのだろう…」と、読者もつい頷いてしまいそうな推察です。



Ⅱが入ることや、語り手は、その時代に生きた架空のキャラクターなのに俯瞰視点であり続けるという位置設定、確率の問題というキイテーマ、そして「本能寺の変を書かない」やり方。

単純に物語として面白いだけでなく、読者にあらたな光秀像を提案し、そして少し変わった作風に新鮮な驚き。
いや~たまにはポップ買いもいいですね。
歴史小説なのに、小難しい書き方は少なくかなり読みやすいので、さくっと読めるにも分類します。

光秀好きもそうでない人にも、楽しくさくっと読めると思います。おすすめ。



どうでもいいけど、カバーデザイン、タイトルロゴ、すごく良いですね。
カラーリングも含め、好みです。