森 博嗣 / 「やりがいのある仕事」という幻想
本屋で見つけて。
森さんてエッセー書くんだ、と興味。
どちらかというと仕事にやり甲斐感じるタイプなのもあって読んでみました。
さくっと読めます。
でも、まとめてる最中で思ったけど意外に奥深かった…。
と同時に、「働かない=いけない(よくない)」も幻想。
さらに「この仕事はあの仕事よりも格好いい(偉い)」なんてのも思い込みである。
そして「仕事にやりがいを感じるべき」も、そういう事にしたほうが都合がいい人たちが言ってるだけ。
ということがまったりと書かれてます。
確かに、仕事をしているものが家族を養っているという「見た目の不可欠さ」とか、金持ちの周りは潤うとか、お金を使えば他者を意図通りに動かすこともできる、でもそれは「その人の偉さ」ではないよねと。
それは例えば、若い時に苦労して働いたという自分の人生を正当化したくて「働くって大変だけど素晴らしいことだよ(そうでない奴はダメなやつだよ)」みたいに、「そういうことにしたほうが嬉しい人たち」が喧伝しているだけかもしれない。
種の保存の観点から、「人より多く稼ぐこと(稼げる仕事)=偉いこと」と、無意識的に次世代に思い込ませようとしている気もする。
やらなきゃいけないものを、どうせなら楽しくやりたいと思うのも人情。
でも、本来は、リターンに見合うと思うコストを差し出す、という、ただの交換行為。
何でもかんでも「好きなことをしなさい、好きになることが大切」という事にしてきた手前、仕事も自発的にそう思ってもらわないと困るから、「やりがいを持って楽しく働いてます」という人がそうでない人より偉いということになったりする。
「平日はただただ苦痛で最低だけど、しっかりやればお給料は高い。その分、週末に思いっきり課金ゲームできるんです!」っていう人は、「格好良くない」のか?
「この仕事にやりがいを感じてるんです!ドヤァ」って人は、なんでそんなことわざわざ自慢するのか?
何に幸せや価値を感じるかは人それぞれで、そこに優劣などない。
その理屈が正しいと思うなら、心はそれに沿うようにしてみましょう。
階級社会では、階級に合わせて仕事が自動的に大体決まってたから、仕事の内容によって人をランク付けして見るのは当然といえるかもしれない。
それを倒して民主主義となるが、同時期に起こった産業革命で大金を手にした人々が結局、自分たちに物事が有利になるようにした。(一定の税金を納めていないと投票券がない、といったように。)
また、五章にて、戦後日本の話も出てきます。
「お国のために」ということが生きがいだと感じていた人の価値観が崩壊してしまったことや、そのタイミングで好景気となり
でも、ある一定のレベルで生きるために、あるいは何かしたいことをするために、そのために時間や労働力を差し出してオカネをもらっているというただの交換が仕事の本質だよ。
その内容によってその人の偉さだとか そんなものは決まらない。
どっちが人間的に偉いとかではなく、一緒にやっていく上で得意なものを分担した結果、家事育児が女性で、外に出て働くのが男性という図式になっている場合が多いだけなのに、なぜ家庭で家事育児をしている女性は「下」とみなされるのか。
スポーツであれば単純に「オフェンス」「ディフェンス」に分かれているだけの話。
口先では「平等」言いつつ、本人もそのつもりでいるけど、やっぱり養うのは男で女は家庭で、そして稼いでくる男のほうが偉いと思っている男がほとんどだと私は思ってます。
森さん実はあんまり好きじゃなかったんだけど、こんなことを真顔でサラッと言える理系教授とか惚れますね…。
あるある相談ネタに、「それの何が問題なのかよく分かりません。」みたいにさくさく回答していくというスタイル。
自分は理系のこういう物言いはむしろ好きなので、実際に目の前で言われても「冷たい」なんて思いません。
でも、そうでない人が多いという事で、いちおう「冷たさ」とか「あたたかさ」に関するフォローも入ってますw
頭が凝り固まってると袋小路に入って出てこれなくなる時もあるので、この章はたまに読み返すとすっきりしていいかも。
世の中は今後こうなっていくし、こんな仕事は危ないと思ったほうがいいんじゃない?みたいな話が、こちらもまったり書かれてます。
このへんは、自分には眠たくなる内容でした。
(夜だったのでここで寝ちゃいました。)
SF好きには物足りんかも。(関係ないか?
似たような話なら鈴木さんにも分かるネットの未来とかがおすすめです。
あとは就職についてまともに考えてれば普通はぶちあたる、
「みんながいいという大企業がほんとに君の思う”いい”なのか?」
「今流行ってことは、少ししたら流行らなくなるってことだよ。わかってる?」
というような内容です。
以上。
SF好きとしては、「生きるための仕事を人間がしなくてはいけない時代さっさと終わらないかなあ」とか普通に思ってますし、
女性としても、「男尊女卑FUCK」なタイプでかつ「職業に貴賎なしがモットー」なはず な の に、
いざ自分のこととなると、親にもいろいろ言われるし、世間の目もある(と思い込んでしまっている)からか、「働いてないと肩身が狭い(階級が下である)」とか、「この仕事よりもあの仕事のほうが偉い」と無意識的に思ってしまうこともやっぱり多いです。
森さんは「まずは理屈で考えるべき」と仰ってますので、忘れないように反芻したいと思います。
森さんてエッセー書くんだ、と興味。
どちらかというと仕事にやり甲斐感じるタイプなのもあって読んでみました。
さくっと読めます。
でも、まとめてる最中で思ったけど意外に奥深かった…。
「仕事によってその人の価値が決まる」は幻想
第一章は、「働く=偉い」と、なぜか大多数が思い込んでるけど、そんなことはまったくないでしょ という話。と同時に、「働かない=いけない(よくない)」も幻想。
さらに「この仕事はあの仕事よりも格好いい(偉い)」なんてのも思い込みである。
そして「仕事にやりがいを感じるべき」も、そういう事にしたほうが都合がいい人たちが言ってるだけ。
ということがまったりと書かれてます。
確かに、仕事をしているものが家族を養っているという「見た目の不可欠さ」とか、金持ちの周りは潤うとか、お金を使えば他者を意図通りに動かすこともできる、でもそれは「その人の偉さ」ではないよねと。
それは例えば、若い時に苦労して働いたという自分の人生を正当化したくて「働くって大変だけど素晴らしいことだよ(そうでない奴はダメなやつだよ)」みたいに、「そういうことにしたほうが嬉しい人たち」が喧伝しているだけかもしれない。
種の保存の観点から、「人より多く稼ぐこと(稼げる仕事)=偉いこと」と、無意識的に次世代に思い込ませようとしている気もする。
やらなきゃいけないものを、どうせなら楽しくやりたいと思うのも人情。
でも、本来は、リターンに見合うと思うコストを差し出す、という、ただの交換行為。
何でもかんでも「好きなことをしなさい、好きになることが大切」という事にしてきた手前、仕事も自発的にそう思ってもらわないと困るから、「やりがいを持って楽しく働いてます」という人がそうでない人より偉いということになったりする。
「平日はただただ苦痛で最低だけど、しっかりやればお給料は高い。その分、週末に思いっきり課金ゲームできるんです!」っていう人は、「格好良くない」のか?
「この仕事にやりがいを感じてるんです!ドヤァ」って人は、なんでそんなことわざわざ自慢するのか?
何に幸せや価値を感じるかは人それぞれで、そこに優劣などない。
その理屈が正しいと思うなら、心はそれに沿うようにしてみましょう。
幻想が生まれた理由
そもそも人間は歴史的に、生まれながらに階級が存在した時代があった。階級社会では、階級に合わせて仕事が自動的に大体決まってたから、仕事の内容によって人をランク付けして見るのは当然といえるかもしれない。
それを倒して民主主義となるが、同時期に起こった産業革命で大金を手にした人々が結局、自分たちに物事が有利になるようにした。(一定の税金を納めていないと投票券がない、といったように。)
つまり、王族や貴族から一般階級の人たちが「のし上がった」時代に、「金を稼ぐ者が偉い」あるいは「強い」という観念が社会に広まったのである。それから、「明日食べるものがない」というような、「働くこと」が生きることとほぼ等価だった時代には、確かに人生において「働くこと」の重要度は高かった。
こういった経済的な成功者は、今でもほとんど健在で、事実上社会を支配しているといえる。
だから、「人間は仕事で価値が決まる」という現実ができた。
また、五章にて、戦後日本の話も出てきます。
「お国のために」ということが生きがいだと感じていた人の価値観が崩壊してしまったことや、そのタイミングで好景気となり
死に物狂いで戦うつもりで育った人たちが、死に物狂いというほどではないにしても、一所懸命になれるものが、まるで神様から与えられたように目の前に現れた。
それが仕事だったのだ。
仕事は戦いだ。男は戦士だ。戦うからには命懸けで挑むべきだ。それが人間の生き方であって、そうでない者は、臆病者で怠け者で脱落者だ。生きていく資格はない。少し極端だが、そんな価値観である。まだそういう人たちが組織の上の方にいたり、家族だったりするので、大人はそう言うかもしれない。
でも、ある一定のレベルで生きるために、あるいは何かしたいことをするために、そのために時間や労働力を差し出してオカネをもらっているというただの交換が仕事の本質だよ。
その内容によってその人の偉さだとか そんなものは決まらない。
ただの役割分担
男女平等についても、「女性が社会に出ないと平等ではない」と考えることそのものが変だよねと。どっちが人間的に偉いとかではなく、一緒にやっていく上で得意なものを分担した結果、家事育児が女性で、外に出て働くのが男性という図式になっている場合が多いだけなのに、なぜ家庭で家事育児をしている女性は「下」とみなされるのか。
スポーツであれば単純に「オフェンス」「ディフェンス」に分かれているだけの話。
「稼いでいるのは俺だ」なんていう夫がいたら、それは明らかに失言で、別れても良いだけの理由になる。くぅ……… イケメン…………
口先では「平等」言いつつ、本人もそのつもりでいるけど、やっぱり養うのは男で女は家庭で、そして稼いでくる男のほうが偉いと思っている男がほとんどだと私は思ってます。
森さん実はあんまり好きじゃなかったんだけど、こんなことを真顔でサラッと言える理系教授とか惚れますね…。
問答の第四章
これは結構面白いです。あるある相談ネタに、「それの何が問題なのかよく分かりません。」みたいにさくさく回答していくというスタイル。
自分は理系のこういう物言いはむしろ好きなので、実際に目の前で言われても「冷たい」なんて思いません。
でも、そうでない人が多いという事で、いちおう「冷たさ」とか「あたたかさ」に関するフォローも入ってますw
頭が凝り固まってると袋小路に入って出てこれなくなる時もあるので、この章はたまに読み返すとすっきりしていいかも。
そのほか
二章と三章は、主に学生向け。世の中は今後こうなっていくし、こんな仕事は危ないと思ったほうがいいんじゃない?みたいな話が、こちらもまったり書かれてます。
このへんは、自分には眠たくなる内容でした。
(夜だったのでここで寝ちゃいました。)
SF好きには物足りんかも。(関係ないか?
似たような話なら鈴木さんにも分かるネットの未来とかがおすすめです。
あとは就職についてまともに考えてれば普通はぶちあたる、
「みんながいいという大企業がほんとに君の思う”いい”なのか?」
「今流行ってことは、少ししたら流行らなくなるってことだよ。わかってる?」
というような内容です。
以上。
SF好きとしては、「生きるための仕事を人間がしなくてはいけない時代さっさと終わらないかなあ」とか普通に思ってますし、
女性としても、「男尊女卑FUCK」なタイプでかつ「職業に貴賎なしがモットー」なはず な の に、
いざ自分のこととなると、親にもいろいろ言われるし、世間の目もある(と思い込んでしまっている)からか、「働いてないと肩身が狭い(階級が下である)」とか、「この仕事よりもあの仕事のほうが偉い」と無意識的に思ってしまうこともやっぱり多いです。
森さんは「まずは理屈で考えるべき」と仰ってますので、忘れないように反芻したいと思います。