池上彰 / この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう 池上彰教授の東工大講義

social 社会まとめ

2011年に池上彰氏が、東工大で特別講師として13回の「教養」講義をしたときのものを書籍化。

大人であればどことなく分かってる事が多いかと思いますが、それを色々と紹介して「自分の頭で考えて」「物事を批判的に捉えるようになって」という本です。
過去に読んで眠っていましたが、せっかくなので、処分する前にあえて細かいところをメモしておきます。



文言は自分用になっているのと、「この本に記載されている解釈や事実が正しいのか」は検証してませんので悪しからず。正しさを保証しません。自分で補完しているところもあります。
2012年の本なので、約10年前ですからそのへんも誤解しないようにしたい。

そういえば池上さんは「わかり易く説明するフリしてちょくちょく嘘を混ぜるから悪質」等とネットで言われているんですね。

個人的にもともと池上さんは、「初見時はなんとなく分かった気分になるけど、結局あとから思い返すと何も覚えてない」という気持ち悪さから、まぁあんまり好きではありません。
この本に関しても全く同様で、実際の講義では違ったのかもしれませんが、情報の粒度や深度がバラバラで、「何のためにそれ言った?」みたいな情報をつまみつまみで散りばめてある感じ。
「教養」の講座ということなので、学科以外の世間のいろんなことに目を向けましょうね、と、ニュースの見出しを色々切り貼り紹介してくれる、いうものとしては良いのかもしれませんが。



1.実は原爆を開発していた日本(教養)

戦中(1941年)から、日本は原爆を研究しはじめていた。
しかしその後にプロジェクト開始して国家プロジェクトとして大規模に開発を進めた(1942年@マンハッタン計画)アメリカと違い、日本は陸軍(@理化学研究所)と海軍(@京都帝国大学)で別々だった上、ほそぼそとした研究に終止したために敗戦までに間に合わなかった。

終戦後たった8年、1953年にアイゼンハワー大統領の掲げる「平和のための原子力」政策に日本は賛同。

とくに1955年に議員となった、当時読売新聞の敏腕社長である「正力松太郎」が強くプッシュ。(巨人軍の初代オーナー、日本テレビ初代社長でもあり、原子力の父・プロ野球の父・テレビ放送の父とも呼ばれる)
その読売新聞が1954年にプッシュしていたため世論が賛同に流れ、1954年度予算で多額の「原子力予算」が付く。

1957年、岸信介「自衛権の範囲内であれば核保有も可能」

1964年、中国「原子爆弾実験成功!」 東京五輪もこの年

1968年、核拡散防止条約(NPT)調印、日本は2年後に署名。


2.領土の本音

日米安保の領域

日米安保は、「日本を守る」のではなく「極東における国際の平和及び安全の維持」のために駐留している。
「極東」というのは フィリピン以北・日本・韓国及び中華民国支配下の地域など日本の周辺地域。

イランVSイスラエル

イランの地図にはイスラエルがない。(代わりにパレスチナと書かれている)
イスラエル建国によって多数のパレスチナ難民が生まれた、という思いでイスラエルを認めていないから。

中国共産党VS中国国民党

かつての台湾の地図ではモンゴルも中国も「中華民国」と書かれてた。
今の中国(中華人民共和国)は共産党だけど、それは日本における戦後(1946年~)の内戦で国民党(中華民国)に勝利してから。で、国民党が逃げ込んだのが台湾。台湾は「本土はまだウチの領土だ」豪語してたわけですね。
中国本土は台湾を独立国として認めてないので中国の地図では「台湾島」と記載されている。
ちなみに現在は台湾の地図でもモンゴルは独立国として記載されているとのこと。

インドVS中国

インドと中国は中印戦争をして、実は国境が確定しない。なので第三者の日本では点線で書かれてる。

敵の敵は味方

北方領土(国後、択捉、歯舞、色丹)は?
日本の領土だけど、旧ソ連に占領されてそのままロシアに占領されている。
中国は日本に対してなにかと強硬姿勢だが、中国の地図では、日本の色で塗られている。

地政学的に「敵の敵は味方」理論ってあるよね。
あと、「お隣は基本的に敵」理論(?)もあって、ロシアと中国は仲良くない。
冷戦のとき、ロシアは中国と敵対していたインドと友好関係を結んだり、中国はインドと敵対していたパキスタンと結んだりとオセロゲームしていたわけだが、それと同じ理論で、当時の毛沢東はロシアと敵対していた米(とその友好国の日本)と結べばいいと考えた。
という意思表示として、北方領土は日本のものだと認めてあげるよ、ということになっているのだとか。
1972年に田中角栄が訪中して「日中友好ブーム」が起きた頃のことのようです。

韓国と北朝鮮と

韓国VS北朝鮮の関係から、お互いの地図にはお互いが主張する首都が載っていない(韓国ではソウルが朝鮮半島全体における首都であり、北朝鮮ではピョンヤンが朝鮮半島全体における首都になっている)

韓国「日本に占領されている間に『日本海』に変えられた!『東海』と呼称すべき!」ということで、韓国の地図には「日本海」ではなく「東海」と書かれている。

ついでに、北朝鮮の地図では日本とアメリカは色が塗られてない(国交樹立してない≒国として認めてない)



3.日本国憲法は改正すべきか?

立憲主義というのは、国王だろうとその国の構成員全員が守るべき「憲法」のもと国をやっていきましょうという考え方。
人間は生まれながらに権利を持っていて、それを政府に委ねているのだ、というジョン・ロック「社会契約説」が基本的な考え方になってる。

北朝鮮や中国のように、憲法の中に特定の政党に権力を丸投げすることを記載している国もある。

2003年にイラクがフセイン政権崩壊した際は、ゼロから憲法を作ることになったので、米占領軍が暫定政府として手順を踏ませた。

日本の現在の憲法は?

GHQにより指示されて一度は国内で「憲法問題調査委員会」にて検討をしたが、これが民主的な内容ではないと怒られて、GHQは独自に草案づくりを開始。有志「憲法研究会」が出した「憲法草案要綱」とかも参考にされているらしい。
で、1946年3月に草案として発表。その年の12月に女性も参政権を認められていて、翌年1947年に行われた衆議院選挙で当選した人たちの議会で審議(芦田均委員長による「憲法改正特別委員会」)、11月に公布、1947年5月3日に公布。
路傍の石の山本有三が、わかりやすいようにと文言を調整したらしい。

9条「自衛隊は違憲か合憲か?」

一番最初の草案では「第二項」には
「陸軍空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。」
としか書いてないが、これを「芦田修正」で「前項の目的を達するため」というのが追加されている。

これによって「自衛のためなら」軍力を保持しても良い、という解釈ができる、ということになった。

1650年、朝鮮戦争が勃発。これで日本国内はいわゆる「朝鮮特需」が起こったりもするわけですが、韓国支援で駐留米軍が遠征に行くために、日本国内で(主に共産勢力が)武装蜂起したときに鎮圧できるよう、マッカーサーが警察予備隊の組織を指示。
これが4年後には「自衛隊」という名前で25万人にまで拡大。

26年後の1976年、自衛隊基地建設に反対した札幌の地元住民が「そもそも自衛隊は憲法違反」と訴えたんだけど、結局札幌高裁は住民の訴えを退ける。

裁判所というのは「違憲立法審査権」があるので、裁判所は口出す権利があるのですが、このときは「政治の範疇なので裁判所は口出すべきじゃない」とかいって逃げている。フワ~~~


自衛を超えていく?

1990年、イラクがクウェート侵攻して、多国籍軍に空爆を受けるという「湾岸戦争」が勃発。
このとき日本は、戦争に参加するわけにいかないからと130億ドル出したのだけど、クウェートに感謝されなかったから、「国際貢献のためには、直接人員を派遣する(できる)べきだ」という世論が盛り上がって、二年後の1992年、「国連平和維持活動協力法(PKO法)」が成立。
さらに2007年には防衛庁が防衛省へ昇格し、自衛隊法が改正されて、「自衛隊の海外での活動が本来業務」になっている。

ちなみに自民党の改正案では「国防軍」という位置づけになってるらしい。



4.紙切れを「お金」に変える力とは

日本では「稲」 → ネ → 値
中国では「子安貝」 → お金に関する漢字の偏に「貝偏」が多い理由
古代ローマでは「塩」 → 給料「サラリウム」→ サラリー

持ち運びや保存等の理由で腐らない金・銀・銅が用いられ始める。
日本では石見銀山@島根 のものとかがよく流通した。

でもこれも重くて不便なので、両替商が「預り証」を発行するように。[紙幣の始まり]

明治になって金本位制で国立銀行条例を制定(1872年)。「国立」を冠する民営銀行が次々とできる。
そのときは数字がつけられていて、「第一国立銀行」はいまの「みずほ銀行」。
金と交換できるので「兌換券」と呼ばれるけど、みんな金と交換したがったので、不換紙幣も発行できるようになり、今度はみんな発行しまくってインフレに。

中央銀行である「日本銀行」が銀との兌換紙幣を発行する制度としてインフレの調整をしようとした。(1882年)
さらに15年後くらいの1897年には、日清戦争に買って儲かってたので金本位制に。
しかし金の物量にどうしても左右されるので、さらに約40年後には金本位の廃止、「管理通貨制度」となります。(1942年)
(戦中なので、金本位がキツかったんだろうと思われますねぇ…)



ちなみに世界的には、1944年から「ブレトンウッズ体制」ということで、米が世界の中央銀行として固定相場制の仕組みがスタート。日本は1ドル=360円だった、というのは有名な話。
ただそのアメリカが、冷戦中に欧州に資金援助したり、ベトナム戦争でお金使ったりしたため、実際には金より多く流通させてしまっていた。
英と仏がそれに気づいて交換せよと要求したら、米はまさかのニクソン大統領が「交換すんのやめる」と宣言。これがニクソンショック。1971年。
以降、変動相場制となっていきます。

中央銀行は「買いオペ」として民間銀行が保有している国債を買って現金を増やすことで、多く貸し出しさせる(金利が下がる)、また、その逆「売りオペ」して金利を上げるなどしてインフレやデフレをある程度コントロールしている(事になっている。)
が、インフレが続くと購買意欲が下がって低金利だからといってデフレに戻る…なんてことには、実際にはなってない。



5.悪い会社、優れた経営者の見分け方

株主が無能な経営者をクビにする、というのは普通はできそうなのに、日本ではあまりそれが現実的でない。「株主持ち合い」しているから。1964のOECD加盟で、日本の株を海外企業が購入できるようになって加速。
株主持ち合いは、仲良し企業同士がお互いの株の一部を持ち合ったうえ「お互いには口を出さない」という、本来の株主の特徴を活かさない、仲良しコミュニティのこと。
90年代、日産のカルロスゴーン氏が持ち株を理解不能で売り払ったことで、連鎖的に国内の持ち株はだいぶ減ったらしい。



6.経済学は人を幸せにできるか

経済という言葉は、明治時代に福沢諭吉が「エコノミクス」を訳したものと言われている。
世の中を安定させて人々を幸せにすることを目的とする学問、資源の再配分を考える学問 と言われる。

昔は、打倒資本主義の「マルクス経済学」と、「近代経済学」の2派が主流だった。
1989年のベルリンの壁崩壊で資本主義社会が崩壊するとマルクス経済は人気がなくなり、現在では近代経済学を「ミクロ経済」「マクロ経済」としたものが主流。

経済学は、人は金銭的理由で合理的に動くはずだ(合理的経済人)、という大前提にたっているが、実際にはそんなに合理的ではない。
※だから「科学」ということになっているが(え、そうなの???)物理や化学のように正確な法則の把握は無理。
経済的合理性ではなく、実際の人間の動きを観察することで考えようというのが「行動経済学」

景気の具合はGDPの増加具合で表される。相対値なので経済規模が大きくなると鈍化する。
持っている資源をフル活用すれば実現できると思われる成長率、というのが「潜在成長率」であり、これが発揮できていれば「景気が良い」ということになったりもする(指標の一つ)。

アダム・スミス

「近代経済学の父」と呼ばれる。1776年「国富論」。「見えざる手」を言った人として有名で、政府はあまり口出すべきじゃないという思想。
資本主義の基本的な考え方はここから。

カール・マルクス

完全な自由競争に任せていたら恐慌などによっていつか崩壊する、と資本主義を批判し、「労働価値説」を唱える。
生産活動には人々の労働(力)が最も価値あるものであり、それをいかに守るかという仕組みにするべきという説。
これが社会主義のベースとなる考え方。

ジョン・M・ケインズ

いやいや、じゃあ恐慌をコントロールすればいいんじゃない?
国が借金をしてでも支出を増やして公共事業を行えば景気が回復する、とか、累進課税制度等を提唱。

1929年のウォール街大暴落では、米政府は当初はアダムスミス的な「政府は口出すべきでない」立場だったが混乱が続いたため、4年後、ルーズベルトがケインズを信じてニューディール政策を行った、というのは有名。
景気回復後は支出を抑えて借金返済に回すべき、というのがケインズの主張だが、実際の政治では(政治家の立場的に忌避されるので)支出を減らせず赤字拡大になった。
リーマンショックのときも全く同様で、結果的にユーロ危機を招いている。

ミルトン・フリードマン

新自由主義(リバタリズム)と呼ばれる。規制や統制に徹底的に反対の立場。
最低賃金制度や家賃統制の撤廃、麻薬取引の合法化など、とにかく自由にさせるべきという考え方。
この思想の人は「リバタニアン」と呼ばれたりする。

小泉政権とかが色々民営化したりとかしたのもこの流れらしい。
ということは竹中平蔵もそういう感じかな。



7.リーマン・ショックとは?

低所得者でも組めるローン「サブプライムローン」のおかげで、住宅バブルが起きていた。

アメリカではローンが支払えなくても担保である住宅を手放すだけでよいから借り手はシンプルに嬉しいし、それで借り手が増えると住宅価格が上がっていくから売る方もドンドン売る。で、この住宅ローンの債権を投資銀行が買い、リスク低減のために他の債権と混ぜて商品化して販売していた。

2007年に住宅バブルがはじけて、そうすると住宅手放されても売れないから焦げつくし、しかも金融商品が複雑に組まれていたから損失額の計算が用意ではなかったのが、混乱に更に拍車をかけた。

また、ギリシャの赤字が引き起こしたユーロ危機は、消去法で安全と思われた円の値を上げて、2012年あたりは円高(100円切ったりしたこともあった)である。ちなみに2021年初頭にはイギリスはEU離脱完了済。



8.年金に入るべき?

年金とは、「長生きした時にお金がなくて生活していけなくなるリスク」に備えた保険である。
保険という性格から考えるとお金持ちには支払わなくてもいいわけだけど、そうするとお金持ちが加入しなくなってしまう。

1942年に厚生年金(会社員向け)が開始され、1961年には国民年金(基礎年金)が開始。
当初は積立方式だったけど、インフレに弱いので1973年に賦課方式要素を強くする@田中角栄
※年金額の大幅引き上げ、老人の医療費無料など行ったらしいけど、この頃は人口増えている時代だからねぇ。。

日本の年金は「2階建て」と呼ばれている。
1階分=国民年金(基礎年金)で、これは自営業者や学生や無職、ほぼ全員入る(けど学生は納入免除可能)やつ。
半分は税金で賄われてる。※2009年までは国の負担は1/3だった。

2階部分=会社員なら「厚生年金」、公務員なら「共済年金」
ここは報酬(給与)に対して比例する額を納入する。それぞれ、半分は会社もしくは国や自治体が出す。
で、配偶者がここに属していると、自分は無職(主夫・主婦など)でも国民年金(1階部分)は満額受け取れる。@1986年~
※これも、いわゆる高度成長期に「クレヨンしんちゃん的家族」を模範として、そしてそれがうまく言っていた表れですねぇ。

現在では、働いている人(女性)より優遇されていることになるということで見直しも検討とのこと。


企業とかが独自にやってるのが「厚生年金基金」。
2012年に、厚生年金基金の運用会社であるAIJ投資顧問が資産消失で問題になった。
それとは別に、2000年後半に問題になったのが「消えた年金問題」。これはかつて「基礎年金番号」が転職や所属の変更時に新しく割り振られたりしていたものを、1人1人固定の番号に統一するという統合作業で盛大にミスり、正しい照会ができなくなった事件。

ちなみに、年金に入ってると障害基礎年金が生涯に渡って支給されるよ(豆)



9.テレビ

CM(スポット広告)は、GRP(グロスレーティングポイント)という単位で発注する。「一ヶ月で1000GRP頼む」みたいな。
GRPは「視聴率×回数」なので、資料率が高ければ高いほど早く1000GPRを実現できるので、その分多くの案件を受注できる状況になる。なのでテレビ局は資料率を気にする。

視聴率は、「テレビを持っている全世帯のうち何世帯がその番組を見ているか」。電源付いてるかどうかは関係ない。
関東・関西・名古屋では600世帯、その他は200世帯が調査対象。統計学的にはこんなもんで十分。(スープの味見)
(電源ついている中での「どれ見てる」は、占拠率。)

ただ、統計学的な調査なので当然誤差はある。そりゃそうだ。
「視聴率10%」とでたとき「誤差はプラマイ2.4%以内にとどまる可能性が95%」ということは、視聴率12%も8%も誤差の範囲(有意差はない)!


テレビ放送が日本で始まったのは1953年。6年後の皇太子ご成婚パレードで一気に普及、さらに5年後の東京五輪でカラーテレビも爆発的に普及。

ところでアメリカではかなり後発のFOXニュースは明確な右寄り・共和党寄り。
2003年のイラク戦争は当時の共和党大統領である「ジョージ・W・ブッシュ」が開始し、それを(おそらく擁護?応援?)する内容を放送しまくってCNNの視聴率を抜いた。

ちなみに日本では、放送は政治的に中立であるべきという放送法がある。電波は有限であり国民の財産であるから、という考え方による。
アメリカでも1949年に公正原則が導入されていたが、1987年にこれを破棄。放送局が激増し、多様な言論を享受できるようになったので、ということらしい。



10.オウム真理教に理系大学生がはまったわけ

※どこにも「理系大学生がはまったわけ」が書かれてない…。

1984年:ヨガ道場「オウムの会」
1989年:宗教法人へ
1990年:衆議院議員選挙に信者が多数立候補
1995年:地下鉄サリン事件
2012年:指名手配犯2人が逮捕

6年間で多数立候補できる基盤を作ったというのはすごいよなぁ。
90年の選挙で「国家権力による票数操作の陰謀」と主張・・・・・どこかで見たような・・・



11.「アラブの春」は本当に来たのか?

チュニジア

2010年、チュニジアにて市役所前で抗議の焼身自殺をはかったムスリムの少年がいた。
ムスリムにとっては自殺はご法度。これがアラブ諸国の民主化運動に火をつけた。

ちなみにこのときの大統領はベンアリという人で、CIAと仲良くて親米で23年間独裁してきた。
イスラム主義政党の設立を認めなかった。
反政府行動鎮圧のための軍出動命令を拒否されて、サウジに亡命。
このあとはムスリム同胞団母体の「アンナハダ」が第一党となっている。

エジプト

「ムスリム同胞団」は1928年に対西洋文明&イスラム文化の復活を掲げて結成。
そこから生まれた原理主義思想家が「道標」という過激な本を書いて処刑されたが、その本はアラブ社会に影響を与える。
サウジからアフガニスタンに亡命してアルカイダを組織、911の主犯と言われたウサマビンラディンもこれに影響を受けているらしい。

2011年、カイロ@エジプト でも大掛かりな抗議集会が起こった。
ここで与党の本部が放火されてムバラク大統領は退陣し、ムスリム同胞団が母体の自由公正党「ムハンマド・モルシ」氏が大統領に就任。ただしエジプトのムスリム同胞団は穏健な感じになっているとか。(パレスチナでは過激な反イスラエル組織「ハマス」の母体となった)
だが就任後、ムスリム同胞団からは脱退したと表明している。

エジプト民主運動に参加した民主派は票が割れてしまったため決選投票に(民主派を)押し込めず、最終的に旧体制か、イスラム原理主義者かの選択を迫られて多くが棄権していたため、前途は多難。


もともと王政だったエジプトは、軍事クーデタで「汎アラブ主義」のナセルが就任。
英仏が利権を持っていたスエズ運河国有化などを行ったけど、対イスラエルとの戦争で大敗してシナイ半島を占領される。
大統領が変わったあと、アメリカの仲介で和平交渉となり、半島は返還されるのだが、イスラム原理主義者は(イスラエルと平和条約を結んだことが気に入らなくて?)大統領を暗殺。
その後に就任したのがムバラク大統領だった。なので彼はイスラム原理主義勢力を封じ込める政策だった。。
(ちなみにムハンマドモルシ氏はこのあと2013年、イスラム主義的な新憲法を目指したことで反政府運動が起こり、大臣らのクーデターによって拘束されて死刑判決がでた。その後終身刑となったが死去。本当に多難でしたねぇ。。)



ちなみにアラブ、中東、イスラム世界 は別物。いっしょにすな。

アラブ:アラビア語を話す人々が住む地域。北アフリカ~アラビア半島全体。イランは含まない(※元ゾロアスター教のペルシャだしね)
中東:左端はエジプト、北はトルコ、アラビア半島全部、右端はイラン の一帯。
イスラム世界:ムスリムが社会の中心となって活動している地域。だいたい北アフリカ~パキスタンやカザフスタンあたり。


リビア

エジプトの西隣、チュニジアとも面しているリビア。

こちらも昔は王政だったけれど、1969年のクーデタで「カダフィ政権」となる。※42年のかなりの長期政権だね
「人民による直接民主政」と謳ってたが実際には独裁だった。
カダフィはLOVE「ナセル@エジプト」でアラブ民族主義。同胞たちの解放運動を支援、テロ支援ということで反米国家として名を馳せたが、2003年は核開発放棄を宣言、それなりにやってきていた。

が、こちらでも民主化運動が起きた。それを徹底して弾圧(虐殺)したために国連が動き、NATO軍から空爆を受け崩壊。
次の政権では穏健派(非ムスリム同胞団母体政党)となった。


シリア

シリアでは1970年にクーデターで実験を握ったのがアサド。
2000年に死去して息子のアサドが独裁を世襲。社会主義のバアス党です。
ロシアとの関係も良好(軍事同盟国)

シリアはイスラム教スンニ派が多数派だけど、アサド一族はシーア派らしい。

アサド父はムスリム同胞団が国内に拠点を作ったと知ると、街で無差別虐殺。
だけどこのとき殺されたのがイスラム原理主義集団だったから国債社会は見て見ぬ振りをした。

アラブの春では多数派のスンニ派(つまりこれが民主化運動とほぼ一緒ということ?)を、同じスンニ派であるサウジやカタールが支援。

ちなみに国連では安保理決議が実現しない。
シリア利権を持つロシア・中国が(リビアでは棄権してカダフィ政権が崩壊してしまったという反省から)拒否権を行使しているため。



12.大統領選でわかる合衆国の成り立ち

大統領と首相は違う。

大統領:国家元首
首相:行政のトップ

英国、オランダ、デンマーク、日本は女王や国王がいて、彼らが国家元首なので大統領はおらず、行政は行政トップである首相が議院内閣制で選ばれて代行する。
アメリカ、フランス、韓国などは女王や国王がおらず、大統領がいる。これは共和制。
※日本は天皇が国家元首だとは明文規定がないが、象徴として…まあ、つまり実質そういうことになっている。

でも、大統領と首相が両方いる国もある。
どちらが実質的にトップなのかは、どちらか国民の直接選挙で選ばれているかによる。
議会に選ばれているほうは象徴的なものだったりなど。


アメリカは医療費が高額で、保険も高額なので、4,700万人とか言われる人たちが無保険の状態だった。
これを2020年3月、オバマ大統領(第一期)が、「医療保険制度改革法」を成立させ、90%近くの人が保険に入れる形を整えた。
が、これが自由を侵害する社会主義的な個人への介入だとして共和党が猛反発。
国に関わることは州の裁判所ではなく「連邦裁判所」にて争われるが、これが連邦最高裁にて合憲となった(2012年6月)。

ちなみにこの連邦最高裁判所の判事は9名。判決は多数決。
で、この判事を指名できるのは大統領で、(本には書いてないけどこれ9名全員が終身制なので、身を引くか亡くなるかしないと席が空かない)任期中に席が空けば指名することができる。
2012年当時は保守5名、リベラル4名。トランプが保守をねじ込んで2021年は保守6名、リベラル3名となっている。
で、当時も保守優勢だったわけだけど医療封建制度改革法は合憲となった。(保守派のはずの長官ロバーツが合憲判断をしたため。)


大統領選の流れ

アメリカは50の国にあたる州それぞれが議会、裁判所、軍隊を持っている。
大統領選は厳密には「大統領選挙人」を選出するので微妙に直接選挙ではない。

■「代議員」えらび。[予備選挙/党員集会] 

これがその年の1月から始まる。
各党(といっても最終的には組織力のある共和党か民主党のいずれかになる)は候補者を指名する「党大会」で候補を絞り込むが、これに投票できるのが「代議員」。この代議員選びが、予備選挙か党員集会(平たくいうと話し合いで合意する)かというのは州によって違う。
これが同じ木曜のある日に集中するので、この日を「スーパー・チューズデー」と俗に呼ばれる。(3月上旬)
(ただし確か、実際にはもう党員集会って難しくなってきているから予備選挙が多いんじゃなかったかな?)

■各党「候補者」絞り込み。[全国党大会]
各州で「勝ったほう」がその州の代議員を総取りするというのが「勝者総取り」。何回聞いてもスゲーよな。
これは候補者を決めるための「代議員」の総取りの話だけど、本戦の大統領選挙人も同様に勝者総取りなので、例えば2000年のゴアVSブッシュでは、総得票数ではゴアのほうが多かったのに、ブッシュが大統領になるということが発生した。
この本によれば、この2012年の全国党大会では勝者総取りではなく得票数に比例した代議員獲得、とした州もいくつもあったとか。
(第三者から見てると勝者総取りってメッチャおもろいけど、民主主義ならそりゃそうよねぇって感じ。)

■選挙人選び=本選挙
これが11月第1月の月曜日の翌日。
選挙人の数は全部で「538」人で、これが過半数(270)を超えたら勝者となる。
選挙人が新たに投票するのが本選挙ってわけではなくて、選挙人の人数=票数ということになるわけだ。(だから実際の票数と違う結果になることがある)

ついでに、どうして「11月第1火曜日」じゃないのかというと、そうすると「11月1日」になってしまう可能性があり、これは「諸聖人の日」という祝日にあたるからダメなんだそうだ。(11月なのは農閑期だからというのと、日曜日は協会いって静かに過ごす安息日なんでNG、月曜は昔は馬車とか移動に時間かかったんで日曜から出発するのはダメなんでNG)


アメリカは宗教大国

もともとアメリカは、英国からプロテスタントがやって来て(勝手に)建国した国。
なのでプロテスタントが多く、カトリックは少数派。いままでカトリックで大統領になったのはジョン・F・ケネディだけ。(他はトランプ含め全員プロテスタント)

モルモン教というのは、キリスト教から派生した宗教で、旧約聖書・新約聖書のほかにモルモン書も聖書となっており、昔は一夫多妻制だったりとかして他のキリスト教からは異端とみられている。


2010年から、共和党指示の「ティーパーティー」という団体が大きな影響力を持ち始めた。
英国支配(重税)に抗った「ボストン・ティーパーティー」に引っ掛けているもの。税金がとにかく嫌いでいわゆる新自由主義。かつ右派。
こちらは「パーティ」よろしく政治団体なので、2020年の大統領占拠にも当然影響を与えていた様子。

これに対するのは「99%運動」。「ウォール街を占拠せよ。」
金持ちは1%で、99%は苦しい生活を強いられているんだ、と主張。
近年の所得格差を拡大したのは共和党のブッシュ(おそらく2代目)の時代。なので半共和党でもある。
※ちなみにこちらはこの2012年の選挙のとき盛り上がった活動を指すっぽい。



13.なぜ「反日」運動が起きるのか

(…これもあんまり「なぜ」起きるかは書いてない気がするけども…近代中国史ってことで)

中国の人口は13億人、共産党の党員は8260万人。この党員から選ばれる中央委員会が?人、更に上の中央政治局が25人。常務委員がこのうちの9名。
ということで、実際に政治意思決定をしているのはこの9名。「チャイナ・ナイン」

※どうでもいいけどアメリカの最高裁も判事が9名だなぁ…。

共産党内にも、二世系列の「太子党」、成り上がり実力派の「団派」の2派に分かれるらしい。
現在も就任している習近平氏は二世なんだって。


ところで共産党が生まれたのは、1921年。
こちらも最初は53名が住宅の一角で第一回党大会を開いた。ここに毛沢東もいた。
ちなみにこのころ世界的に共産主義を広めていく「コミンテルン」が活動。日本共産党も翌年に出来ている。
アメリカはちょうど「ジャズ・エイジ」。2年後にはソ連が成立しております。
シベリア出兵終わってヒャーしつつ、1800年代後半に影響力を発揮した「マルクス」に感化されて社会主義・共産主義的な思想が世界的に広がりだす。

もともと1919年、第一次世界大戦でドイツが負けたあと、ドイツが支配していた山東半島が中国に還るのではなく日本の支配になっちゃったんで、これに抗議する「五四運動」の盛り上がりから共産党が生まれた。
そういうわけで「半日」がそもそもの基になっている、と。
(VS西欧帝国の植民地支配、という意味ではもはや日本はその発想はもがれて久しい。他国様を侵略支配するなどという考えは、戦後GHQ教育の賜物で考えにも及ばない人間が多いと思うので、だから大陸の方々と温度差があるのかなぁ。)

当時は蒋介石の国民党にボロクソ負け続けていたんだけど、農村に拠点を移しながら都会を包囲していくという方法で組織を大きくしていく。
(1937年の日中戦争では、たしか国民党と組んだんだったっけ? 蒋介石のほうが弟子に説得させられて?)
第二次大戦が終わると即座に 国民党 vs 共産党 の内戦となるが、これで勝利となり、1949年に中華人民共和国を宣言する。(国民党は台湾へ逃げ込む)
このあとは分かりやすい独裁、弾圧、虐殺。

1976年(ベトナム戦争が終わった頃、日本では角栄ブーム、第一次オイルショックあたり)に死去。
次に鄧小平氏がトップ。そこで「政治と経済は別やで!」ということで資本主義経済を入れて農村の人民公社も解体、経済が発展していきます。

だけど1989年、日本では消費税が導入され、米ソでマルタ会談(米ソ集結)が行われた年、天安門広場で学生たちを弾圧。



14.北朝鮮

ブータンはそれまで王政だったが、2007年に王の意思で議員内閣制に移行した。

ところで朝鮮半島は、1910年の日韓併合から終戦(1945年)まで日本が支配(統治)していた。
北朝鮮は日本敗戦後はソ連に占領されていたエリア。(南は米国)
当時のソ連のスターリンがソ連寄りの国にしたいとおもい、朝鮮半島出身で当時はソ連軍の大尉となっていた「キム・ソンジュ(金成柱)」=「キムイルソン(金日成)」をトップにした。

その息子が「キムジョンイル(金正日)」総書記。
1948年に韓国が独立国となると、2年後の1950年には統一のために北朝鮮側から戦争を仕掛ける。これが朝鮮戦争。
韓国側には米軍が支援し(日本軍も出てるよね)かなり北までいったが、中国が「義勇軍」を送って38度線まで押し戻した。そこで一応停戦となり、細かいイザコザ(というか北朝鮮が時たまブッ殺しに来る)がありつつ現在にいたる。
1968年には、31人の工作員が韓国の制服を着て大統領官邸前に集合して大統領暗殺を図って韓国側も多数死者を出したり、
ビルマ訪問中の大統領をブッ殺そうとして爆弾を仕掛けだが、大統領到着前に爆発して失敗。ただしビルマの要人や韓国政府が亡くなっている。

金正日は毛沢東流の農業政策を行って、やっぱり飢餓を引き起こしたりもした。
これが1995年から3年間、かなり大規模な飢餓を引き起こしている。(おそらく我々の北朝鮮の貧しいイメージはこの辺のイメージが原因な気がする)
2011年には金正日総書記が亡くなり、「総書記」は永久欠番扱いだった。(が、最近(2021年)になってキムジョンウン(金正恩)氏が証書気になりましたね。)


政治体制は中国と似ている。
中国は中国共産党だけど、北朝鮮は「朝鮮労働党」が国家の上に立ち指導する、と憲法に明記されている。
かつ、国防委員会委員長を兼任していた。

一応、小選挙区制で17歳から選挙に行けるんだが、これはまぁ100%信任するための(何のための?????)儀式。

また、人々は「3階級」に分類されている。上の方が偉い。
核心階層:日本支配時代に抵抗運動をしていた人、労働者、貧農の子孫
動揺階層:富農や中小商店の経営者、インテリの子孫
敵対階層:日本政府の仕事をしていた人、資本家の人の子孫

スゲェな。資本主義社会の真逆を行く感じだ。そしてFUCKニッポンて感じだな。
首都である平壌に住めるのは核心階層の人だけ。


1987年、大韓航空機爆破事件、というのがあった。
バグダッド → ソウル行きの大韓航空が空中爆破されて115名が死亡。

このテロの実行犯の2人は経由地のアブダビで降りていて、うち1人は日本のパスポートを持っていた。
が、実際には北朝鮮の工作員だった。そこで日本語教師(日本から拉致された人)の存在が明らかになり、今に続く拉致問題となっている。

2002年、小泉純一郎が「日朝平壌宣言」をまとめて国交交渉を開始。
日本人拉致を認めた金正日総書記は、日本が主張する17名のうち13名を認めて5名は帰国。
8名は死亡、4名は入国記録がない、と答えており問題が解決しないまま国交交渉もストップ。



15.君が日本の技術者ならサムスンに移籍しますか?

これは学生の討論授業。

日経大企業で研究をしていた技術者がサムスンに引き抜かれた。が、日本に戻ってきた時に採用されなかった…
という記事を読んで、賛成か、反対か、それ以外かで手を挙げさせて色々意見を言ってもらうという授業。
生徒は結構楽しかっただろうけど、社会人としては当たり前的な話が多いのでここは割愛。



以上