波頭 亮 / 思考・論理・分析

2020-02-10manage-strat 経営・戦略・思考まとめ

「思考力が足りない」と指摘くれた人が読むと良いよ、と教えてくれた本。


闇雲に悩むのではなく「正しく」思考するために

「君、考えてないよね」と誰かに言われることって、特に大人で、それなりに生活できている人であればあるほどショックを受ける言葉だったりするのではないでしょうか。
少なくとも私は、それが「正しい思考」かどうかはともかく、「何も考えてない人間ではないはずだ」と思っていたので、結構ショックでした。

正直、何を持って「考えてない」と言われたのか、そしてどうすれば「考えられる」ようになるのかが分からなかったので、まずは参考として上げてもらった本を読んでみよう。という試みです。

全部で3章。
非常に読みやすくて頭がスッキリしてきます。

ぱっと見、「あーなるほどね、はいはい。MECEとか知ってっし」みたいな感じで「なんちゃって」で読み流すこともできそうなのですが、無駄がなく、しっかり抽象化されている言葉が沢山出てくるため、自信がない人、本読むことに慣れてて変な自信がある人などは、逆にしっかり理解しながら読み進めたほうが良いと思います。

私は「私は分かってない」という気持ちで読み進めましたので、最初はなんとなく分かった気になって読み流さないように、日本語の意味を間違えないようにと図示したりしながら何度も読み直しました。

一章ずつ、自身用にまとめていきます。
(自分用のため、表現は省いてありますのでご注意です。)

【第一章】思考

第一章は「思考とはなにか」について。

思考とは、
・思考対象に関して
・何からの意味合い(メッセージ)を得るために
・情報と
・知識を
・頭の中で加工すること

思考の核となるのは、
「自分が持っている知識」と「情報収集で得た情報」を「突き合わせ」、要素ごとに同じと違うに分けること。

これらが「分けつくされた」状態が「分かる」=「解る」ということ。

「正しく分ける」ための3要素

  1. ディメンジョン(次元)の統一
  2. 適切なクライテリア(切り口)の設定
  3. これは切り口の選択肢を多く知っていれば知っているほどよい
  4. MECEである
  5. 定性的なテーマの場合、完全なMECEは困難なので「MECE的」であればよい。
「思考」の結果、得られるのが「思考成果」

2つの「思考成果」

1、識別(それは何?) → (想起) → 属性(それはどんなモノ?)
それは何?がわかるためには「特徴的な違い」を認識する必要がある。

そのためには、この2つに気をつけるべし。
・適切な比較(何と比べるか?)
・適切なクライテリア(どの切り口で比べるか?)

で、これらは結局「知識」が必要となるのであり、つまり「知らないことは分からない」のだ。
ここで用いる「知識」は、体系化されているととても良いでしょう。

2、関係性の把握(それとアレの関係)
関係性は、以下の様な構成と要素である。

関係性
 ├ 独立
 └ 相関
   ├ 単純相関
   └ 因果

このなかでも「因果」関係の捕捉が、思考成果に重要となる。

でも、関係性が「因果」かを判断するのは難しい。
ある結果には複数の原因がある場合もある(ヨコの要素)し、その原因はさらに別の原因の結果である(タテの要素)事がほとんどだからだ。

相関の中でも、それが因果であるかを確認するには、下記を考える。

1、時間的序列があるか?
「雨降って地固まる」のように「どちらかが常に先に起こる」という順序があるかどうか。
でも、実際には「就職率が高いから優秀な学生が入学する」のと「優秀な学生が多いから就職率が高い」のように相互に因果しているものも多い。

2、意味的連動性があるか?   
高収益の企業を分析したら「社長の趣味が釣り」という相関が見て取れたが、そんなことが経験則的に納得できるか?
「じゃあ社長はゴルフをやめて釣りをすれば会社が高収益になる!」ってマジで言ってるの!?んなわけないでしょ!
というような内容になっていないか。

これは意外と気づきにくい。だから十分な経験と知識が必要になってくる。

そして、正しく因果関係を捕捉するための留意点(アドバイス)として3つある。

因果関係を正しく捕捉するための3つの留意点

1、直接連動関係か?

スピードの出しすぎ → 事故
という図式は、遠因ではあるものの直接的な連動関係ではない。これは因果と言えないので注意する。

直接連動関係を因果として数珠つなぎにすると、正しくはこうなるはずである。

スピードの出しすぎ → (飛び出しに気づくのが遅れた → ブレーキを踏むのが遅れた) → 事故

2、第3ファクターが隠されていないか?

A:家族が増える → 茶碗が増える
B:家族が増える → 米の消費量が増える

という図式が成り立つ場合、
C:茶碗が増える → 米の消費量が増える
C:米の消費量が増える → 茶碗が増える

という図式も成り立ってしまう。これを因果だと勘違いすると、「米の消費量を増やすために茶碗を配ろう!」という政策さえ実行されてしまう可能性がある。
この「C」から見たときの「第3ファクター」が「家族が増える」であり、本来「因果」にあるのはこちら。

また、結論が正反対になってしまう場合もある
例えば「単位面積あたりで最も結核で亡くなる人口が多いフロリダ」→「フロリダは結核患者にとって最悪の地域だ」と安易に考えてしまうのも危険である。
この場合、「フロリダは結核の療養に適しているため結核患者が引越してくるため、結核で亡くなる人口が他の州より多い」というのが実態。

3、十分な因果の強さがあるか?

ある結果の原因となる要素はいくつもある場合が多いが、それぞれの原因と結果の連動性に強弱がある。

例えば、「傘をさす」の原因として「強く雨が降っていた」と「強く陽が差していた」が考えられたとすると、「陽が差していたから」傘をさす人のほうが少なく(弱い)、「雨が降っていたから」傘をさすほうが多い(強い)のではないだろうか。

「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉もある。
どの原因がどれくらい強く影響しているかということを正しく把握すること。

思考の属人性

思考成果を大きく左右する重要なファクターがある。

知識の属人性

思考する際に「突き合わせる」情報となる「知識」は、当然、人によって違う。
だから、「識別」も違えば、「想起」するものも違い、「関係性」も違ったものになり、必然的に思考成果から得られるメッセージも違ったものとなる。

性格の属人性

もしも知識が全く同じ人が居たとしても、思考成果に対する「評価と解釈」が人によって違うため、全く同じメッセージになるとは言い切れない。

「人を襲うヒグマが目の前にいる!逃げないとやばいかも」まで思考成果が同様だったとしても、

A「めったにないチャンスじゃん!もうちょっと観察しようぜ!」
B「は!?今すぐ逃げるに決まってるだろ!」

という事が起こりうるということ。

じゃあ、結局「全員バラバラに行動するのはしょうがない」ということなんだろうか?

【第二章】論理


誰もが正しいと認めざるを得ない思考成果をもたらしてくれる方法論がある。

その方法論が「論理(ロジック)」であり、その「ロジック」の根拠として、客観的正しさを担保してくれるのが、「正しい情報(ファクト)」である。

「論理的な思考によって、客観的に正しい結論を得る」ための要件は3つある。 

① 思考対象の「命題がファクト」

② 論理を展開するための「命題構造がロジカル」

③ ロジック自体が妥当

②と③は必要条件であり必須。
この②と③が揃っていれば、「形式的」にはロジカル(論理構造の妥当性inference+論理自体の妥当性valid=logic)=「論理的には正しい」と言える。
でもこれだけだと「客観的には正しくない(論理展開は妥当だが結論は真ではない)」という結論になりうる。

①が揃ってこそ、「客観的に正しい」=「結論は真である」といえる。


以上で出てきた「論理」「論理の展開」について書く。

論理とは(論理の定義)

根拠から主張(結論)を導く思考のプロセス(下図の矢印そのもの)を[ 論理 ]という。

 「 根 拠 」 ─────[ 論理 ]─────> 「主張/結論」 

└───────────────────────────────┘
そして、この構造自体が 論理構造 である。

論理構造は2つの条件によって成り立つ。

1、命題が少なくとも2つあること(根拠と結論)
  命題:S+Vで表されるもの/等号などの記号で表される式

2、2つの命題は根拠と結論として意味的に繋がれ得るものであること
  ○「春が来た」→→「桜の花が咲いた」
  ✕「桜の花が咲いた」→→「ナマコは軟体動物である」


論理展開(推論)の方法論2つ

論理展開は「推論」とも言いかえられ、これは「ある既呈命題を根拠にして論理構造を作る」こと。

つまり、上記の「 根 拠 」を与えられた状態で ───[論理]───> と「主張/結論」の構造を完成させるということ。

で、この「論理展開(推論)」を正しく行うには、2つの方法論がある。
好きな方を選べ。どっちかしか無いはずだ。

A:帰納法

帰納法とは、「①観察事象をサンプリングし、②複数の観察事象の共通事項を抽出し、③その共通事項を結論として一般命題化する」論理展開。

つまり、「現実の事象の中から普遍性を持つ一般命題を得る」ということ。

これはもう一つの「演繹法」と比べて実証科学的であると言える。
「観察事象」が個別具体的な現実事象であるから、かなり現実的で実証的な性質を持つ。
どういうことかというと、帰納法で得た結論は「真か偽か」で正しさを判定しづらいということ。だから「どれくらい確からしいか」という「強弱」で正しさの程度を表したりするイメージだ。

現実世界は矛盾や例外に溢れているし、そもそも観察事象をサンプリングしている時点で「100%」とは言えない。
アホな例えだが、ある人物が「この街の男ってみんな野球が好きだよね」と言ったとして、「え?この街の男全員に確かめるなんて無理に決まっているから絶対偽だよね、嫌いって言う男が1人もいないってどうやって証明すんの?」みたいな(中学生みたいな)話になってしまう。

だからこそここで大事なのは、次の2点だ。

① 適切なサンプリング
・観察事象(命題)は何らかの共通事項が成立するように揃えること
・観察対象全体を代表させるようなサンプリングにすること(統計学的に適正なサンプリング)

そもそも共通事項が認められないような命題を集めても意味がない。
それと、サンプル数が少なすぎるとか、特性が偏ったサンプル構成にならないように気をつけるということ。

② 共通事項のくくり方
共通事項をくくるのは、以下のような手順で行う。この作業自体は、わりと純粋論理的な判断作業である。

1.観察事象における共通事項と「非共通事項」を仕分ける → 共通事項はそのまま結論に使える
2.「非共通事項」の中の共通事項を見つける
3.「1」と「2」で見つけた共通事項を組み合わせて命題を作成し、一般命題化する

でもこのとき、「2」のくくり方に留意すること。

・アジが、雨の日にたくさん釣れた
・アナゴが、雨の日にたくさん釣れた
・アマダイが、雨の日にたくさん釣れた

という事象から、「アのつく魚は、雨の日にたくさん釣れる」という結論を出したとしたら、帰納法としては正しいが、客観的に正しいとは言えない。

表面的な共通項の軽率な一般化や、偶然に一致しただけの現象の一般化に陥らないよう注意しなければならない。

B:演繹法

演繹法とは「規程命題を大前提と照らし合わせて意味的包含関係を判断し、その意味的包含関係の中で成立する必然的命題を結論として導き出す」論理展開。

     [ 大 前 提 ]
       ↓
[ 既呈命題 ] →→→→ [ 結論 ]

・既呈命題:AはBである
・大 前 提:BはCである

上記のこの関係さえ成立していれば、

・結論:AはCである

という事ができるということ。

これはもう一つの「帰納法」に比べて「純粋論理的」であるといえる。
数学的判断、形式的に明快な判断が可能ということ。

既呈命題「この街の男は学生時代に(A)野球部に入っている(B)」
大 前 提「野球部に入っていた人間(B)は野球が好きである(C)」

ということが正しいのであれば、単純に「この街の男は(A)野球が好きである(C)」と結論付けてしまえる(論理的に真と言える)ということ。

でもこちらにも大事な留意点が2つある。

‎① 大 前 提 が意味内容的に既呈命題を包含していること
いわゆる「集合」的な意味合いで、大前提の主語に、既呈命題の述語が含まれてないといけないということ。
[ 大 前 提 ] の主語は、(B)か、(B)を全て含むものでないといけない。

ここで、[ 大 前 提 ]が「(C)は(B)である」という形だった場合だけはちょっと微妙で、その場合は「(A)は(C)だ」が真だとは言えないので基本的にはダメなんだが、「AはCかもしれないし、AはCではないかもしれない」という可能性を示した(「Aは絶対にCである」と「Aは絶対にCではない」という可能性を排除できている)という意味で「形式論理的には」価値を持つといえる。
まあ、現実的にはほとんど意味のない結論であるが。


② 大 前 提 の意味内容が妥当性を有していること
これは[ 大 前 提 ]が、万人が正しいと認める意味内容でないと、結論にも正しさは生まれないということ。

例で上げた「運動部に入っていた人間(B)は野球が好きである(C)」というのは、例えば「サッカー部で野球嫌いな人もいるだろう」と、明らかに事実と違うため当然ダメであるので分かりやすいが、ややこしいのは道徳や規範などだ。

不変妥当性が最も高い命題は、数学的/論理学的公理、自然科学的法則、法律や制度など決まりきっているもの。
「三角形の内角の和は180℃(数学的公理)」「窃盗は犯罪(法律)」とか。

でも「人間は生まれながらにして自由と平等の権利を有する」といった思想や価値観が反映されたもの、「公定歩合の引き上げは物価の上昇を抑制する」のような、十分な普遍性を持っていると思われる社会科学的法則であっても、公理や自然科学的法則に比べると、その普遍性はやや下がる。

そして一見正しく見えがちで、でも実際かなりアヤシイのは、「嘘を付くのは悪いことだ」のような、道徳律、生活規範。

既呈命題「太郎君は(A)嘘をついた(B)」
大 前 提「嘘をつくのは(B)悪いことだ(C)」

としてしまうと、「太郎君は(A)悪いことをした(C)」が結論になってしまい、もし太郎君が相手のためを思って迷惑にならない嘘をついたのだとすれば、太郎君が悪いことをしたとは言えないのではないか、といった反論と矛盾してしまい真とは言えなくなってしまう。

そして最も妥当性が低い(大前提に据えるべきではない)のは、個人的な経験や意見 といった属人性の高い命題である。
「運動部に入っていた人間(B)は野球が好きである(C)」はまさに個人的な経験であり、これは正しくないことに気づきやすい。

ややこしいのはやはり道徳や規範、個人の意見であり、最近ネットで言われる「主語を大きくすると炎上する」のはまさに「個人的な経験からの単なる1意見を、社会道徳であるかのように主語を大きくして述べる」から、「それは真とは言えない」という反論を広く買って炎上してしまう、ということなんだろうと思う。



演繹の [ 大 前 提 ] は帰納によってのみ論証され得る

「帰納」は実証科学的だから正しさを強弱で捉えるとか、「演繹」は純粋論理的だから真偽で述べやすいが、「演繹」で出てくる[ 大 前 提 ]はそもそも、帰納で証明されてきた。

ニュートンの法則も唯物史観もガンの病理も公定歩合と物価の関係も、すべて観察と実験による実証科学的アプローチによって方程式と法則が打ち立てられたのである。
そして、それらの一般化命題が万人に認められるだけの普遍性を立証された時点で、その方程式や法則は演繹における正しさの根拠の役割を担う大前提となる資格を得るのである。
結局のところ、演繹法を支える [ 大 前 提 ] は帰納によって成立しているので、どちらも不確実性は同じなのである。

そしてつまり、いくら形式的に論理的であっても、客観的正しさを判断する上で大事なのは「現実的に正しいか」ということなのだ。


「ファクト」と「ロジック」

繰り返すが「論理的な思考によって、客観的に正しい結論を得る」ための要件は3つある。 

① 思考対象の「命題がファクト」

帰納なら「観察事象がファクト」、演繹なら「既呈命題と大前提がどちらもファクト」ということ。

② 論理を展開するための「命題構造がロジカル」

帰納なら「適切なサンプリング」、演繹なら「大前提が既呈命題を包含している」かということ。

③ ロジック自体が妥当

帰納なら「観察事象の共通事項の抽出が妥当」、演繹なら「大前提が既呈命題の意味的包含関係の判断が妥当」ということ。

(正直「包含している」と「包含している判断が妥当」の違いがよくわかりませんが…、例えば大前提を「野球部に入っていた人間は…」ではなく「野球を1度でもしたことのある人間は…」など、形式的には含むけど大前提の設定としては妥当じゃないよね?みたいなものは③を満たさない、という意味かな。)

②と③が揃っていて「論理的に正しい」になり、①まで揃ってやっと「客観的にも正しい」ことになる。


【第三章】分析


第二章で得た「論理的思考」を活用してただしい結論を得ようとする、最も現実的な行為「分析」についてである。


分析とはなにか

「分析」とは「論理的思考」の実践である。「分けて分かる」ための実践作業である。

分析は、「思考」と同じ本質的意味合いである「分けて分かる」を持つ。
「思考」と違うのは、作業性と実践性を持っているということ。

分析の定義

一義的定義:要素に分けること

より具体的にすると、
二義的定義:収集した情報を要素に分ける作業を通して、目的に合致した意味合いを得ること

実際の分析作業はこういった流れになる。
① 何を分かるために分析するのか < 目的の存在>
② 要素に分ける対象となる < 情報の収集>
③ 要素に分ける (一義的定義の「分析」でありコアプロセス)
④ 分けてわかったことの中から目的を満たす < メッセージを得る>


構造化

まずは一番重要なコアプロセスから。

③ の「要素に分ける」とはつまり、分析対象を「構造化して理解する」ことである。

構造化して理解するとは、こういうこと↓である。

1 構成要素を明らかにする
 それが何であるか & それはどういうものであるか

2 関係性を把握する
 スタティックな構図の理解:どの要素とどの要素がどのような位置関係でつながっているか(ポジション的な意味)
 ダイナミックな連動メカニズムの理解:どの要素がどの要素の原因になっているのか、どの要素が変化するとどの要素も変化するのか


実践的分析の要件

続いて、①、②、④について。

① 目的
ある事象が発生している原因を突き止めようとしたり
何らかの状況を自らの望ましい方向へ変化させる手段を見つけようとして
行うのが通常である。
これが「どのような情報を収集するのか」「どのような分析手法をとるのか」「何を発見し、何を分析成果とするのか」のあり方を決定する。

② 情報収集
分析対象がなければ始まらない。
そしてこれこそ「ファクト」の部分となる。

④ メッセージを得る(メッセージがアウトプット)
もうここでは、要素は分けつくされて整理されている状態。
そこから①目的を満たすようなメッセージ(結論)を出す必要がある。


分析作業の基本のプロセスと勘所

具体的なプロセスと勘所について書いていく。

先の ① ② ③ ④ に対応させると、実際の分析作業の基本はこういった形になる。

1,分析プロセスの設計(①目的の確認)
2,情報収集(②情報収集)
3,情報分析(③要素に分ける)
4,意味合いの抽出(④メッセージを得る)

それぞれ、2つほどある勘所をまとめる。

1,分析プロセスの設計プロセス

設計の要件を満たすこと。そして陥りがちな沼に気をつけること。

設計要件3つ
  • 制約条件を確認する
  •  外在的条件:目的、期限 ★担当者が自由に決められない強い制約である場合が多いのでしっかり確認しておく
     内在的条件:費用、時間、手間
  • アウトプットイメージの決定(確認)
  •  具体的なアウトプットイメージを持っておく
  • 作業計画をたてる
  •  上記の制約をもって、アウトプットイメージを作るために、
     ・収集すべき情報、収集の方法
     ・情報の分析や処理の手法
     ・担当者の所要時間とコスト
     を決める
よく陥る沼(収集ばかりして結局分析を全然していない沼)

集めることに腐心して集めるだけ集めて、あとはただ報告書にまとめただけ、のような「考えてない」よね?沼。

5:5 と決め打ちして、情報収集が足りない気がしても分析に移る、くらいのドラスティックな計画と決断をしたほうがよいよ!


2,情報収集プロセス

こちらは沼が2つ。
「情報じゃなくてノイズを集めてしまう沼」と「効果は薄いのに集め続けてしまう沼」。

「情報じゃなくてノイズを集めてしまう沼」:
情報とは、「当為者の目的に対して、不確実性を減ずる意味内容」。
情報とノイズは、じつは同じに見えても、当為者の目的によって互いに変化する性質を持ってる。
「えっ?それって今回の分析に意味ある情報の?(ノイズじゃね?)」という視点を常に持っておきたい。

「効果は薄いのに集め続けてしまう沼」:
情報って効用逓減性を持っているので、どこかで目的に対する効果が小さくなっていくはず。
目的に対して、もう変化するはずのない結論が出てるなら当然、それ以上調べる意味無いし(それでも惰性で調べ続けたくなることは多い…)、明確な結論が出ていない場合でも、「もうそれ以上調べてもあんまり現状は変わんないよ…」というポイントがどこかにある。
見極めは難しいが、「逓減性を持っている」ということを知っているだけでも、「この辺で一旦区切るべきかな」と思えるのでよいのでは。


3,情報分析プロセス

集めた情報やデータから、有意な意味合いを的確に抽出する手だてが・・・・あるんですよ!! 「グラフ化」っていうんですけどね。

数字の羅列を見せられても「その数字羅列が何を意味するのか」ピンとこないですよね。それをビジュアル化すると人間って理解しやすい。
というわけで、グラフ化の原則。

二次元で描かれるグラフにする

人間が理解しやすいのは二次元までなので、二次元にしましょう。

棒グラフ:変数は2つか1つ、タテ軸の変数が強い変数的意味合いを持つ場合が多い
線グラフ:変数は2つ、タテ軸もヨコ軸も変数的意味合いを持てるが、実際には複数のサンプル主体の棒グラフが重なると見にくいという理由で棒グラフにする場合も多い
点グラフ:変数は2つ、より二元的な意味合いを持つ。★意味合いが弱まってはいけないから線で結ばない★

それから1変数の円グラフを合わせれば、十分である。


4,意味合いを抽出するプロセス(意味を発見する)

グラフ化したはいいけど、そこからどうやってメッセージを読み取るのか?(そこまで教えてくれる先生はいなかったな…)

まず注目は、「規則性」と「変化」を発見すること。
そして、「変化」では、なぜそうなっているのか?(そこで何が起きたのか?)を判明させることが重要な鍵になる。

規則性:
→ 傾向:上がってんの?下がってんの?(直線)、だんだん上がってんの?下がってんの?(逓減/逓増)、繰り返してんの?(波線)
→ 相関:直線的かつタイトか?(相関関係があるかないか)

変化: 「規則性を破る者」かつグラフ上のある1点で示される
→ 突出値:「傾向」の規則性を破ってる点がないか?(ちなみに相関においては特異値として除外される)
→ 変曲点:「傾向」と「相関」がどこからか大きく編曲している…ターニングポイント

「✕年頃から急激に売上が伸びている」とか「✕✕社だけ妙に売上が突出している」とか「相関の直線の向きが途中で明らかに変わっている」とか…「何かが起きた」という証。何が起きたのか?がわかれば、重要な意味合い(メッセージ)を発見しやすい。


合理的分析の手法(もっと実用的な話):イシューアナリシス

分析とはなにか、そしてそのプロセスと勘所を書いてきたが、「よい分析」≒「合理的分析」を行うための手段がある。

イシューアナリシス だ。

ちなみに、よい分析(合理的分析)というのは、この2つを満たす分析のこと。
 ① 結論が合目的的であること
 ② 分析プロセスが効率的であること

目的に沿ってなければどんな大発見であっても意味ないし、コストが限られている実際の分析作業では、効率的である必要があるからね。。
構造的理解をすべて網羅的に行うことが目的じゃないから、大事なところを見極めてそこにコストを集中しないと。

イシューアナリシスとは、
分析プロセスの早期の段階において、「まずイシューを設定し、そのイシューに対して集中的な分析作業を施すことによって、合目的的な結論を効率的に得ようとする分析手法」である…。

ということで、イシューを設定し、それに集中的にコストを割けば合目的的で効率的になる、ということは、つまりここで言う「イシュー」というのは、「結論を左右する重要な課題事項」のこと。
「それが分かれば大きく結論に近づく!」というそれ。
「それについてイエスかノーかによって、この話だいぶ結論変わってくるよ?」というそれ。

(ということは、「YES」か「NO」で答えられる形である必要がありそうだね。)

このイシューアナリシスのプロセスは大きく3段階。
  1. イシューの設定 ★恣意性を持つが効率性を持つ★
  2. イシューツリーの作成 ★ロジック代表★
  3. 仮設の検証 ★ファクト代表★
つまり、「分け尽くして分かる」前に、もう重要事項を決め打ちしてしまうということ。
すなわち、「仮説に依拠して分析を進める」ということ。

ちなみに、この「イシュー(仮説)を設定する」という行為自体に恣意性と不確実性が必ず介入するので、以降の作業は徹底的に「客観的」かつ「ロジカル」である必要がある。
構造化と検証に恣意性が混じってたら、それやる意味ないからね…。最初から結論決めちゃってるのと同じだから!

そういうわけで、イシューツリーはロジックを担保し、仮説の検証でファクトを担保しなくてはいけない。
これによって「客観的正しさ」を結論に持たせる事ができるわけだね。


分析プロセスの順序に入れ込むとしたら、多分こんな感じ↓
(切り口がちょっと違うから完全にこれにはならない)

1 何を分かるために分析するのか < 目的の存在>
2 イシューの設定
3 イシューツリーの作成
4 仮説の検証
– 1 要素に分ける対象となる < 情報の収集>
– 2 要素に分ける (一義的定義の「分析」でありコアプロセス)
– 3 分けてわかったことの中から目的を満たす < メッセージを得る>

イシューの設定や、イシューツリーの作成にも< 情報の収集>は入ってくる(そもそも構造化しただけでは「そうですか」で終わりどころか、それってほぼ「そういうもの」なので何の発見も別になく、そのどの要素がどういう状況だから、これがイシューなのではないか、と検討できる必要があるから、その要素ごとに情報がある必要があって…でもそれも全部綿密にやってられないから、「アタリ」をつける。これは担当者の知っている情報など事前知識や勘レベルなので、それを高めておきましょうと)

というわけで、例によって具体的な作業と勘所を確認。

(ここ、めっちゃ大事だと思うのですが、かなりサラッと書いてあります。これはこれで「イシューからはじめよ」とか読んだほうが良いのかもですね。)


1,イシューの設定

これはコツが2つ。
・包括的に分析対象領域に存在する課題事項を集める(フレームワークが使える)
さまざまなクライテリア(切り口)で事象を把握し、真のイシューを見出す努力をする

まずは1つ目。
合目的的であるかどうかも、効率であるかどうかも、このイシューの設定にかかっている(これを間違えると、つまり非効率かつ目的に沿わないものにコストを払って終わり!ということになりかねない)。

例えば、自社ブランドが下がっているからブランド力を上げたい、という目的があった時、「もっとイイCM打つべきなのでは?」と仮説を立ててしまったら…。(この場合、ブランド力が下がっている原因はCMの訴求力が足りないからだ、とい)
もし、営業マンが小売店に強引に在庫を売り込んで、そのために安売りされているのが本当の原因だったとしたら、CMがどんなにかっこよくても目的は達成できない。

この場合、この脳死マンは「ブランドイメージを左右するファクター」として、売れ残りと値引きという現象を見落としてしまったのが、的外れのイシューを設定してしまった原因。

的外れじゃないイシューを設定するには、ここで既に「基礎分析」を行う。
課題事項にヌケ・モレが生じない形で分析範囲の設定を行い、その範囲の中でイシュー候補をチェックした上でイシューを特定する。
基礎分析:「分析領域をMECEに整理した形でイシュー候補の棚卸しを行う」。

「分析領域を包括的にカバーする」のはけっこう難しい。
こんな時にこそ役に立つのが「フレームワーク」。
これに沿って情報収集や(それぞれの項目に属する)課題事項をヌケモレなく集める。

  1. 経営分野の3C [Cpmoany、Competitor、Customer]
  2. マーケティングの4P [Product、Price、Place、Promotion]
  3. 組織の3S [Structure、Staffing、System] など
例えば、ブランド力が落ちている、という分析領域に対して「4P」で課題事項を整理できていれば、PlaceやPriceにて、真の原因にたどり着けていたかもしれない。
(例えばPlaceには、地域的なものや店舗的なものやディスプレイ的なものなどがあると思われるが、きっとそういうのも含めてどんな観点があるかを知っておくと良さそう。)


2つ目。
いろんなクライテリアで考えてみること。
これは第一章で、「食べ物」を例に説明されていたわけですが・・・→ 「素材の種類(肉,野菜,魚)」「料理の国籍(和食,中華,フレンチ)」「食事の中での役割(主食,副菜,デザート)」 個人的には、このたとえは理解はできても腹落ちはしていなかった。

一応、自分はITエンジニアで、商品の売上データなどをBIツールなどに突っ込んで触っていたこともあるので、それで考えれば何のことはない。

つまり、「売上データ」を
「エリア別 > 店舗ごと > 部門ごと」というドリル表示にするか
「年単位 > 四半期単位 > 月単位 > 週単位 > 日単位 > 時間単位」というドリル表示にするか
「購入者の年代別」にするか
「リピート回数別表示」にするか・・・・・
みたいな「クライテリアごと」にグラフや表を作るわけですよ。きっとこれのことであって、ただデータを知っていると逆に「見れるクライテリア」の限界を知っているから、DBテーブル以上の発想が出てこないという弊害はおおいにありそう。

なので結局のところ、色々な切り口を常に勉強する。(DBを設計するときもこの発想はとても大事なはずだ。)
そして、「その切り口で見るとどうなるのだろう?」と考える癖をつけておくこと。


ただ、これらの中から、どうやってより適切なイシューを選び取るのかに関しては、テクニックやフォーマットはない。
「その課題事項がどれだけ目的に合致した結論に寄与し得るか」という、合目的的性のマグニチュードを意識するしかない。


2,イシューツリーの作成

ここからは、徹底的にロジカルに。恣意性が入っていいのはイシューの設定まで。

設定したイシューが適切であっても、それ自体が非常に大きなテーマということがほとんどである。抽象的すぎて、具体的にどんな情報収集や分析作業をしたらよいかわからないかもしれない。

よって、これをサブイシューに切り分けていく。
ここはMECEになっていないといけない。モレていたらロジカルに結論にたどり着けない。

メインイシューが「YESかNOか」の形になっているので、サブイシューも「YESかNOか」の形がよさそうです。

ちゃんとサブイシューがMECEであれば、「全部YESなら自動的にメインイシューもYES」となる。



3,仮説の検証

仮説性を含んだイシューと分解されたサブイシューに、情報収集や情報分析をしてYES/NOの結論を出していく…つまり、それは仮説の検証になる。

でも、実際にはそんなに単純にYES/NOといえるようなイシューではないことがほとんど。
「成長性は高いが競争が厳しくて収益率が低い」とか「成長性も収益性もともに高いが後発で参入した企業はすべて三年以内に撤退している」とか言う状況で、「市場が魅力的か」というサブイシューにYES/NOを出せと言われても……という感じになる。

そういう場合は、「イシュー(仮説)の修正と再設定」を行い、また検証して…という「仮説の設定と検証のプロセス」を回すのだ。

本には書いてないが、この「修正」は、全く関係ないイシューを突然設定するのではなく(そもそもサブイシューはメインイシューに対してMECEになっているはずだから、全然違うぶっとんだイシューにはならないはず)、少し掘り下げる・視点を変えてみるといったものになるのではと思う。

(それはサブイシューをさらにサブイシューにMECEに分解したもの?あるいはクライテリアを変えたもの…と言う気もするが、そういう記述は無い。)


論理的思考に大きな影響を及ぼす真理

人間は「理性」と「感情」の生き物だ。
「正しいか正しくないか」といった論理よりも、「美しい、嬉しい、悲しい、恐ろしい、気持ちがよい、寂しい」といった感情によって判断や行動をしているのかも知れない。

この本は前者について述べてきたが、最後に「感情」についても述べておく。

心理的バイアス

「プラシーボ効果(期待効果)」:"こうなるであろう"という先入観に変更した認識を持ってしまうこと
「スキーマ」:政治家とは強欲である、のような、事象に対するステレオタイプ的な認識

こういった心理的バイアスは、単純な事実の観察でさえ、大きく客観性を歪めてしまうほどの影響力を持っている。
しかも、このような、知識や経験の属人性および思考者の心理的バイアスを全く受けずに行える思考は、数学や記号論理学といった形式論理の世界だけ。
実践的な分析作業にはほぼ必ず「心理的バイアス」にさらされることになる。

だから、「知識も経験もある意味では先入観であり思い込みである」ということを自覚し、可能な限り注意しながら分析作業を行う必要がある。


執着心

思考や分析において正しい結論を得るために必要な条件は、 ファクトロジックである。

さらに、もう一つ重要な要素がある。執着心である。

現実の分析テーマは極めて複雑かつ、大量の情報を収集して処理したり、錯綜した因果関係を解明していかなければならないことが多い。
だから、「これは正しいと確信できる結論に辿り着くまで決して諦めない執着心がなければ、良質の分析結果を得ることは到底不可能」なのだ。

分析を進めていく中で「なぜそうなっているのか?」の答えに対して、またさらに「Why So?」を繰り返していく執着心が、レベルの高い分析結果をもたらしてくれる。
これを「これでよし!」と納得感をもって思える段階まで分析する。



さいご

素敵な一節なので引用します。
科学とは理性と論理の所産であると述べたが、森羅万象の因果を解明し、科学を発展させてきた原動力は、「どうなっているのか知りたい。」、「なぜこうなっているのか知りたい。」、「どうしても知りたい。」という人間の情熱と執着心なのである。