JOKER [考察]

2019-12-05考察, 洋画, social 社会

アメコミ好きの友人に誘われて。

まず、スリラーだと知らずに見たので、ガンガン人が殺されることに戦慄(;ω;)
苦手な人は覚悟したほうがよいでしょう。



古典的な風刺ホラー

スピンオフ元は「バットマン」。
退廃気味の大都市ゴッサムシティに現れる悪役が「ジョーカー」であり、本作はそのジョーカーが、なぜジョーカーになったのか、を描くもの。

私個人はバットマン自体に詳しくなく「ダークナイト」を見た程度です。
「ダークナイト」はハリウッドなのに勧善懲悪ものではなく、率直に感心しましたね。

しかしその「Why so?」の中身は、とても極端に言えば、「本人の心根はもともと悪くないのだが“社会のせいで”犯罪を起こすような存在になってしまった」に尽きると思います。

「相棒」とか「科捜研の女」とか、よくあるミステリドラマでも犯人側の動機として非常によくあるテーマであり、正直、それを超える内容には、私には感じられませんでした。

それ自体を非常に「救いがない」かつセンセーショナルで繊細な描写で描き上げ、それによってアイコン化され議論を巻き起こしている、という社会風刺的な表現力と影響力には畏敬の念を感じますが、エンターテインメントとしては少々捻りがない感じを受けます。

もしかしたら文章でJOKER本人の思考を開示されていたら別の印象を抱いたかもしれないので、まあ私の個人的な好みの問題で、ああいう表現の仕方では響かなかった、ということなのでしょう。


捻りは無いのに(から)風刺は効いている

ということで、この「捻りがない」というのが、風刺的にはある意味とても重要なのではないかなと思います。

「まあよくある話だよね。」
巷にあふれているし、自分たちにとっても身近であるということ。


例えば「変わった持病を持っていて、自分はつらいのに周囲には理解されないどころか冷たい目で見られる」ということ。
例えば、「(信じていた)親が、実は嘘をついていた」ということ。


ざっくりと前者は「RPGゲームのルールは全員違う/モノサシ」の話(*)、後者は「アイデンティティの瓦解」の話かなと思います。

どちらもあらゆる日常に散在している、本当にリアルなテーマ。

RPGのゲームのルールは全員違うという話

これを私は「生きづらさ」という言葉で表現することが多いのですが、あらゆる人間が思っている「普通」とか「あたりまえ」というのは、実は各人でかなり違うということ。
「努力すれば成果がついてくる」という一見「ファクト」に見える内容でさえ、人によっては、「それまでそういう経験をすること」が出来たから「信じることができている」という特権なだけ。

それくらい、各人が思う「普通」って違う。
それなのに、「平均」「標準」から逸脱しているとみなされるものは、なかなか理解されない…。

これはめちゃくちゃ難しい。
個人の人間関係のレベルでは「てめえのモノサシで他人を評価(見下したり軽蔑したり)するな」という話で終わりなのですが、組織人としてとか、親としてとか、自分に良くない影響がありそうならとか、立場が関係しだすと途端に結論が変わってきたりする。
ゆえに個人でさえ、その矛盾にどこまで厳密に向き合うのかが非常に難しいテーマであるのに、社会制度としてどこまでフォローできるのか。

「人類の生存戦略自体が“多様性”」と思ってはいても。
つまり、あらゆる個性や差異を「平等に(平等だと)認めるべき」だと思っていても。
そんなことは実現できるのだろうか。
全ての人が「生きづらくない」制度や仕組みなんて「ある」んだろうか?

でも、「そうであろうとし続けるべき」なのだと思う。


と、ここはわりとオーディエンスや社会に対しての問題提起的なテーマを含んでいると思います。


アイデンティティの瓦解という話

こちらに関しては、より「ジョーカー本人」の認知にフォーカスしたテーマ。

「唯一の家族であり、おそらく唯一の味方であった母親が、実は実の母親でもなく自分に嘘をついていた」ということが分かり、泣き笑いながら絶望するシーン。いよいよ何かが吹っ切れてきてしまう終盤。

アイデンティティの形成には、「社会(未来や過去などの概念上のものも含む)とのつながり」の自認、という要素が大きいと思っていす。
ジョーカーは自らのアイデンティティを、こういった要素で形成していたのでは。

① コメディアンを目指している才能ある若者

② 優しい母親の息子(かつ自分も献身的に世話をしている優しく真面目な人間)


そしてどちらも否定されます。

① ネタの舞台をテレビで使われたのを見て、「ネタに笑ってくれているのではなく、単純に笑いものにされている」のだと気付いた時。[怒り]
ピエロ仕事を解雇されたときは「コメディアンの才能を否定」されて解雇されたわけではないので、これはまだ否定されていませんでしたが、テレビ放映で尊敬しているコメンテーターに嘲笑されていることを理解して瓦解していきます。

本来、「目指している」のは否定され得ない(目指すだけなら永遠にかつ勝手にできるので)のだが、とても好きだった憧れのテレビマンに直接嘲笑されるというのは相当な侮辱であったのでしょう。
と同時に、おそらく父親像を彼に投影していた面もあったのだろうと思います。そんな人にバカにされるというのは大きなショックでしょうね。


② 信じていた母親が精神病であり、虚言癖があることが分かってしまった時。[喪失]
①の否定が「怒り」だとすると、これはシンプルに「喪失感」だと理解してます。


なんかいっつも「昔働いていたお屋敷(次期市長候補!)」に「助けてくれ」と、どうせ意味のない手紙書いてるなーとは思っていたけど、あまりに熱心に出し続けるから、気になって一度中身を見てしまった。
そうしたら、自分が館の主の血を引いている(母親は手を出されていたが捨てられた)と書いてある!
この時は虚言癖なんて知りませんから、当然中身を信じます。

もし本当だとしたら、こんな不当な暮らしを強いられるなんてあんまりなのではないか?
そして、僕には素晴らしい父親がこの世に存在するということなのだ!

ここに「③ 素晴らしい父親の息子」という要素が緊急で追加されます。
これはおそらく「社会的地位」「金銭的余裕」に対する打算的な期待よりも、単純に「(僕に優しくして受け入れてくれるはずの)お父さん」という「味方」候補が突然現れた、という期待だったのではないでしょうか。
(いや、ジョーカーは認知能力はわりと正常なので、いまさら優しいパパを欲しているとかメルヘンなことを思っていたわけではなく、「金くれよ金!!! 市長選にスキャンダルぶっこんでもえんか!?」と思っていたのかも…。)

でも、結局その父親候補に血のつながりを全面否定され、③は早々に瓦解。

どういうことなんだ、と調べたら、母親が精神病かつ、実の母親からは虐待されていた子供(自分!!)を養子として引き取ったとある。

ついでに、この時に「恋人の妄想」が消えます。
「虚言」や「妄想」を身近な人のものとして、そして自分にも虐待という外部要素があったことが分かり、認知してしまったので、客観視できるようになったのだと思います。

これで②を否定…されたのかなと思います。
そのあと、入院している母親を殺しに向かいます…。


これを「怒りというより喪失」と思うのは、ジョーカーは「認知能力は割と正常」だからです。

例えば、テレビでコメンテーターに「嘲笑されている」ことをちゃんと理解していますし、母親が熱心に書く手紙に対しても「屋敷で働いていたってだけでしょ?助けてなんてくれないよ」と一般常識を持っている。しかも、母親の世話をそれなりに「こなせている」。

体が不自由な母親の世話を文句も言わずに行い、一緒にベッドに座ってテレビを見、嬉しくて手を取り合って踊ったりすることすらある、という関係なのです。
「自分だって大変なのになんでこんなことしなくちゃいけないんだ!?」と、不機嫌になるようなシーンは全くないのですよね。逆に「ママがいなくちゃ僕は僕じゃない」みたいな入れ込んだ発言やシーンもない。

もしもね、「なんで僕があんな母親の世話を」というセリフやシーンが少しでもあれば、「母親だからという理由で頑張って介護してきたのに、母親ですらなかったのか!?」という怒りが殺しに向かう展開も分からなくもないのですが。

というか、「文句も言わず親の介護をして良い関係を築けている」って高等スキルだと思うのですよ。

なのでよくそんなまともに育ったと思う… 虚言癖はあったとしても割とまともに教育できてきたんじゃないか?
…むしろ「虐待されていた子供を引き取ってまともな子供に育てた」って割と感謝すべきなのでは…?

なので、「僕の人生を奪った赤の他人を殺しにいく」という母親に対する感情よりも「信じていた母親の言うことは嘘ばかりだった」という、自分自身の安心や記憶に対する喪失感、というほうがしっくりきます。


「もっと与えられるべき人間だったのに不当に享受できなかった」

という解釈もあるらしいですね。
なるほど、そういう見方もあるのだな~と。

ただ、個人的にはあまりその解釈はしてないです。

いや、ジョーカーは多かれ少なかれ当然そう思ってはいたのでしょうが、多分、それ、どんな社会でもほとんどの人間が思春期や青年期に思う、人格形成次期に思う当たり前の要素であって、別に彼に限った話でもなんでもないと思うからです。

まあ、いい大人でそれを引き摺ったままというのは少し哀れであり、それを本人の甘えだと考える手もありますが。

それこそジョーカーの生きづらい日常は「まあよくある話」なので。

ただ心情的には、ジョーカー本人が何もしないのに他人のせいにばかりするような人間だったら「夢見てただけやんけ」みたいな感じがしますが、真面目に介護もして、カウンセリングにも通って、仕事も本人なりに努力してたし、ネタを人前で披露したりとか割と自分から行動していますので、「てめえの努力不足なんじゃないのかね」と一蹴する気にはなれない、という感じです。

だからこそ「社会風刺的」だと感じたのでしょうね。

境遇は「よくある」話なのに、「殺人鬼が生まれた」というミステリーだから。


友人との会話 / ターゲットが「上級国民」である理由はよく分からない

観終わった後、アメコミ好きの友人のお言葉「あれは私が好きなジョーカーではなかった…」。

「あれ?これちょっと妄想癖のあるヤバい人が殺人鬼になったっていうだけのホラーじゃない?」

「っていうか、動機がいまいちピンとこなくて、精神病の人が殺人鬼になるっていうだけの描写に見えなくもない…これ実際に病気の方々からクレームこない?」


バットマンにおけるジョーカーは頭いいから、殺人に手を染める理由がなにかあるはずだという示唆がされている作品らしい。

当然、何か理由があれば殺人していいのか、否、そんなわけないので悪役であることに変わりはないわけですが、ダークナイトで感じた「勧善懲悪じゃないのだな」というあの感覚を補完してくれるものだと、私も思っていたのです。
ジョーカーなりの「正義」のようなものがあって、理解はできなくても考えさせられるなにかがあるんじゃないか、みたいな。




そして、個人的にはもう1つミステリーが。

ジョーカーといえば殺人のターゲットが「上級国民」で、この作品も最後はそれを示唆する終わりになっているのですが、なぜ上級国民をターゲットににしてゆく気になったのか、いまいち分からなかった。

本編での殺人は確か合計6名で、最初は地下鉄で絡んできた大手の金融マン(?)の3人、そして母親、元同僚、人気テレビマンと続きます。

最初に殺してしまった3人は、侮辱してきて身の危険も感じたから手を出してしまったけど、「上級国民」だと知るのは殺してしまった後だったような。母親もその属性とは関係ありませんし、元同僚も「馬鹿にしてくる奴」というだけであって冴えない仕事をしていた仲間ということで上級国民ではないでしょうし。

最後のテレビマンのところだけは、確かに憧れの反動もあって「お前はいいよな!!他人を馬鹿にしているだけで自分は安全で金銭も余裕のある生活を営める!!」という「VS上級国民」の体をなしていますが、これもそもそも「彼の大ファンであり父親像を投影していた」という前段があったうえで裏切られたから、という個人的な思いが強く、「上級国民」という属性はメインの動機ではないと思うのですよね。

どちらかというと「俺を馬鹿にしたやつは上級国民かどうかにかかわらずぶっ殺す」って感じじゃない?

もし母親が本当に「捨てられた」のであれば、次期市長候補(明らかに上級国民)を憎むのもわかりますが、それは母親の虚言だったわけだしなあ。


なので、「上級国民をターゲットにしてゆく」のは、終盤「上級国民をセンセーショナルにぶっ殺した」ことに沸いた民衆に持ち上げられたから…

なんやこれ気持ちええやんか。コメディタレントになって浴びたかった賞賛がここにある!
おれの目指していたコメディーはこれだったんじゃないか? …だったら俺は期待に応えて「VS上級国民」というスタイルでいこう…

と思っただけなんでは? みたいな…。

「その殺人に他人が期待するような深い意味なんて無かった」というこの感じがまた、風刺ホラーなんじゃないでしょうか…。