巴里のイザベル ー 少女アニメに見せかけた「君はどう生きるか」

2024-09-01作品から学ぶシリーズ, 史実に基づく・史実がベース



さて、今回は少々異色です。
2024年パリオリンピックの開会式で話題になった首チョンパ演出。
その是非はともかくとして、それでフランス革命だなんだと盛り上がっていたところから知った作品。1979年に放映されていたアニメです。

パリ・コミューンってどういう感じだったのか手軽に知りたいなというのが観た動機なので、「主人公以外が全滅」というネタバレにはさほど興味は唆られなかったわけですが、それらを含めてこれは素晴らしかった、というのが視聴後の感想です。

最終話を見ていたときに思ったのは、「これは『君はどう生きるか』だ・・・」でした。
以下、つらつらと感想を述べていきたいと思います。

※歴史的な部分の記載はあくまで個人の理解に基づく表現なので、学術的に正しいか等は一切保証しません。

パリ・コミューン

さて、まずは目的の「パリ・コミューンはどんな感じだったのか」。
作中では第一話から第十三回(最終回)までで10ヶ月程度の経過があり、まさにパリ・コミューンが生まれるきっかけから崩壊の日までの10ヶ月と言ってよさそうです。

ナポレオン3世の敗北

冒頭、1870年7月19日、普仏戦争が開戦するところから始まります。
当時ドイツはまだドイツ帝国として統一しておらず、プロイセン(ビスマルク首相)がその中心としてライジングしている真っ最中です。ナポレオン3世率いるフランスは対プロイセンに宣戦布告。
ついでに1870年といえば明治2年ですよ。そう考えると割と最近ですよね。
ちなみにビスマルクは非常に優秀な政治家なので、それと戦っているのだという大前提もお忘れなく。

主人公「イザベル・ロスタン」は、パリに住むいわゆる金持ちお嬢様(次女)で、十五歳。
昭和アニメの冒頭よろしく、「お転婆で木登りもしちゃうオヒメさま」が、「ドレスなんて着たくないわ~っ」とお屋敷を逃げまわっているというド直球のスタート。いいですねぇ。
ま、ここは素直にドレスを着て華々しく社交界にデビューするという流れなんですが、このパーティ中に、1ヶ月半ほど経った普仏戦争(セダンの戦い)でまさかのナポレオン3世が敗れて捕虜になったという報が届きます(1870年9月2日)。
金持ち地主たちはナポレオン3世が負けてパリが危ないと分かるやいなや早々にヴェルサイユの別荘に避難を開始。主人公も「避難できる一部の特権階級の人間」として描かれます。
つまりパリに取り残されたのは、パリ以外に行くところのない労働者階級の多くの市民たちだった。
(パリから見たときのヴェルサイユって、東京から見る軽井沢みたいな感じだったんですね。距離的には東京~さいたま程度のようですが)

ティエールとガンベッタ(国防のための仮政府)

フランスはナポレオン3世を廃位して国防のための仮政府を設立するわけなのですが、この国防政府で権力を握ったのがティエールというキャラ。
このキャラは実在の政治家から名前をとったとみて間違いないと思われますが、本作では市民(労働者階級)を弾圧する悪の権化として緑色の顔の魔物っぽく描かれております。自分の財産が最も大事であり、パリに住む一般市民たちの生活や身の安全など意に介さないというキャラクター。
顔が緑なのは、「史実のティエールとはあくまで別人の、架空のキャラクターですよ」ということを強調したかったからなのかも。

実際のティエールは、仮政府では官職になかったもののプロイセンとの休戦協定に力を尽くし、そしてパリがプロイセンに包囲されて休戦協定を結んだ後の1871年2月に国民議会選挙で行政長官に選出されたようです。ただし「史実では悪い人じゃなかった!」みたいなことを言いたいわけではなく、後述の通り実際にパリ・コミューンを蹂躙したのはやはりこの人のようです。
(まあこの人から見れば自分が行政長官ですし、やり手のプロイセンとうまくやらなきゃいけない大事な時に、内輪揉めされちゃたまんないでしょうしね)

ちなみにこの悪の権化の方針に対抗していたのが軍人のガンベッタ将軍というキャラ。こちらも実在の人物(政治家)から名前を取ったようですが、実在のレオン・ガンベッタ氏は、どちらかといえば仮政府で最初から権力というか影響力を持っていたほうのようです。
アニメではややこしいから、最初からティエールが権力者だったぽく描いているのでしょう。

プロイセンとの休戦と、パリ・コミューンの宣言

そして1871年3月26日、つまり第一話でナポレオン3世が敗れてから7ヶ月半後に、「パリ・コミューン」が宣言されます。
ここでいうパリ・コミューンというのは、Wikiによると「約2か月の間存在していた世界初の労働者自治政府」のこと。
とても乱暴にいえば、労働者階級である市民たちが勝手に政府を名乗ったということです。

このあたりは少しややこしいので、史実とアニメの流れをそれぞれ整理してみます。

史実の流れ(カッコ内がアニメ)

1870年09月:

ナポレオン3世がセダンの戦いで敗北し捕虜になり、国防政府が立ち上がる(第一話 ※国防政府の描写はなし)

1870年10月~12月:

普仏戦争は続行しつつも、仮政府はプロイセンと複数回休戦協定の協議を行う(アニメでの描写はなし)
※アニメではこの間、ビクトルとジュールの決闘騒ぎや、ガンベッタが気球でパリから脱出する等のエピソード(気球で脱出は史実)

1871年01月:

プロイセンによるパリ攻撃(1/5)~(ヴェルサイユ宮殿でドイツの皇帝戴冠式(1/18))~休戦協定(1/28)(第六話)

1871年02月:

国民議会選挙とティエールの行政長官選出(2/8)~講和条約の締結(2/26)(アニメでの描写はほぼなし)

1871年03月:

プロイセンのパリ入城(3/1)~パリ市民隆起とティエールのヴェルサイユへの逃走(3/18)~コミューン評議会選挙・パリ・コミューンの宣言(3/26)(第六話 ※ただし選挙の描写はなし)

1871年04月:

ヴェルサイユ政府軍からの攻撃開始(4/2)(アニメでは描写ほぼなし)

1871年05月:

ヴェルサイユ政府軍がパリ市内に突入(5/21)~ペール・ラシェーズ墓地での殺戮(5/28)(アニメでは11話~13話、パリ突入が12話後半)


流れとしては、ナポレオン政府が負けたあと4~5ヶ月ほどは国防のための仮政府が国民も動員(国民衛兵)してなんとか攻防していましたが、結局、パリに突入されたところで休戦協定を結んだものの、納得いかない市民が隆起して自治政府を宣言。
(実際にはこの時に純粋な市民が突然集結して政府を名乗ったわけではなく、また、この仮政府もきちんと統制の取れていた組織だったわけでもおそらく無く、ナポレオン3世敗北の時から様々な思想の人々や勢力が、新たな政府作りに名を挙げて色々な動きをしていた。その中で、より労働者階級寄りだった勢力がここで力を持った、ということだと思います。)
ティエールはこの時パリを放棄していったんヴェルサイユへ逃亡。実際にもそうだったようです。
そしてそのコミューンを、さっきまで敵だったはずのプロイセンと組んで弾圧したのがやはり緑色ティエールであり、軍人でもなんでもない市民たちのパリ・コミューンはたった2ヶ月で崩壊していきます。
リアルティエールはプロイセンと組んだのかどうかまでは分かりませんでしたが、コミューンを排したのは間違いなさそうです。

作中では、第六話で1872年1月5日のプロイセンによるパリ攻撃開始、1月28日の休戦協定、(アニメでは描かれませんが2月には国民議会選挙でティエールが選出)、3月1日のプロイセン軍パリ入城と黒垂れ幕による抗議、市民の隆起とティエールのヴェルサイユへの逃亡まで一気に描かれます。
これ、わりとさらっと描かれるのですが、すごい激動ですよね。それくらい、当時のフランスの政治というのは不安定だったのだと思います。

ちなみにこのプロイセンのパリ攻撃開始後の1月18日、プロイセンにはヴェルサイユ宮殿を占領済であり、そこで皇帝戴冠式をおこなってドイツ帝国が誕生しているらしい‥。ティエールがヴェルサイユに逃亡する時、すでにヴェルサイユはドイツ帝国の占領下と考えられますので、アニメでは「プロイセンの助けを借りてヴェルサイユに逃げた」と表現しているわけですね。

たった2ヶ月で崩壊

そしてパリ・コミューン宣言後。
アニメでは第七話以降は、歴史とほぼ関係ないファンタジックなアニメ風冒険エピソードにけっこうな尺を使うので、パリ・コミューンが実際に2ヶ月間どうしていたのか、みたいなところは詳しくは描かれません。
第十二話でパリにバリケードを作るコミューン側の描写と、そこに乗り込んで市民を殺戮していくヴェルサイユ軍(アニメではプロイセン+仮政府の混合軍)の描写。
そして第十三話(最終回)で、ペール・ラシェーズ墓地での攻防が描かれ、メインキャラクターのうち主人公がたった一人生き残って終幕となります。
このペール・ラシェーズ墓地での攻防を経て5月ごろにコミューン崩壊としてよさそう。

ちなみに、冒頭でドレス着てウフフしてる金持ち地主側だったはずの主人公が、最後、なぜコミューン側の人間の生き残り、みたいな形になるのかは本作の本当によく出来ているところ。
芸術的なキャラ配置とキャラ描写だと思います。

この頃すでにフランス革命から100年も経ってるやんけ問題

普仏戦争はプロイセンVSフランス政府なのに、なんで労働者階級が云々という話が出てくるのか。
かなり雑に言うと、フランス政府が労働者階級へ冷たい態度を取るもんだから、それに市民が反発して革命を起こしてしまったと言ってよいと思います。市民側から見ればね。

何より面白いのは、民主主義の始まりかのように習うフランス革命は、バスティーユ襲撃と人権宣言が1789年であり、この普仏戦争の約100年も前です。
アレッ、100年も前に人権宣言して、王族を派手に殺して、貴族の特権とか市民の権利ガ──とかは終わったんじゃないの? もう民主的な、すべての人に平等な国になったのでは?
これがそんなに簡単な話じゃないわけですよね。

一応その人権宣言で、制度上は王政が終わり貴族の特権のようなものは廃止になってはいたのでしょうが(多分)、別に土地を政府が取り上げられて金持ちの地位が根絶されたというわけでもなく、本作の描写を信じるなら「金持ち地主」みたいなものは無くなってはいないわけです。

それに人権宣言のたった20年後にナポレオンが出てきて帝政になっているくらいですから、まだまだ色々な派閥や勢力が入り乱れまくっていて、単純な勢力図争いでもなく、それなりに混沌としていたのだと思っていいと思います。

混沌(単純な構図ではない)

さてその混沌さですが。
第六話でパリ・コミューンが宣言されたところも「すごい激動」と書きましたし、あくまで革命軍(?)とはいえ市民を弾圧しに来るティエールのヴェルサイユ軍もすごいですが、それ以外にも、「ナポレオン3世が捕虜になったから廃位を決定して仮政府」も、まじかよという感じですよね。
一応当時は帝政だったわけです。なので、もしもナポレオン3世を「王様」「帝王」っぽい感じで捉えるとしたら、一国の王様が前線で捉えられたら、そんなさくっと尻尾切りみたいなことできませんよね。ジャパニーズ戦国時代でもあるまいし。

つまりいくら帝政であっても、私達が考えるような「代々一国を束ねてくださっているありがたい王様一族」みたいな存在じゃないんですよね。ナポレオン3世は。

人権宣言があった後、突然共和制としてきっちり国を運営できるかというと、そんなわけはなかった。
我々はこの概念を当たり前のものとして享受しているけど、当時はまだ思想として結実しはじめた、いわば生まれたばかりの人権宣言という概念で、いきなり国家運営なんて成り立たないわけです。
それでも隣の国は共和制がゆっくり育つのを待っていてくれるわけもなく、よちよち歩きなのに戦争を仕掛けてくるわけですから、そこでヒーローとして現れて帝政にブン戻したのがナポレオンボナパルトだったわけですね。
で、3世というからにはナポレオンボナパルトから3世代は帝政としていい感じに一枚岩だったのかと言うと、やっぱり違う。
フランス革命で王様首チョンパした人たちが、今すぐ共和制をうまく出来ないからっていきなりナポレオンを王様だとは思わないですよね。

というような状況なので、「まじかよ」と書きましたが、「多くの人が拠り所と思える特定の政治勢力」が無いもしくは定着しないから、いわば政治の戦国時代。
そう考えると、このアニメで描かれているような「市民のことを考えない心無い金持ち政治家」VS「真心と勇気をもった労働者階級」のような、分かりやすい善悪の構図だったわけではないということも見えてきます。

女児向けアニメではそんな複雑なこと描けませんからティエールを分かりやすい悪者にしたんでしょう。
でも実は、イザベルは最後の最後まで、ティエールやティエールサイドを政治的批判していないんですよ。
「なんでこんな事になってしまったの!? 私が何をしたっていうの?!」みたいなことは確か言っているのですが、「ティエールが憎い!」だとか「ヴェルサイユ軍からパリを守るのよ!」みたいな類のセリフは一切ありません。
これがまたすごいところなんですよね。

七話以降のファンタジック冒険アニメ

七話以降はファンタジックなアニメ風冒険エピソードなので特に思うところはないんですが、一応振り返っておきます。

六話の時点でパリ・コミューンができてティエールはヴェルサイユへ逃げていますが、プロイセンに包囲されているのは変わりません。
そこで、ジュールのツテでロンドンの知人に助けを乞うために手紙を届けてほしい、ということで、イザベルは髪を切って大冒険に出かけるわけです。

ただ単にロンドンに行くではつまらないので、何度倒しても死なない謎の怪人がずっとつきまとってきて、同行してくれた幼馴染のジャンとともにいろいろな工夫でくぐりぬけ・・・・。
ついでにその怪人はティエールの手の者です。この怪人のほかにツルッパゲの絵に書いたような悪党(パンサー)みたいな手下もいて、ただの小娘であるイザベルを執拗に追ってくる。

そしてこのあたりから、「血のコウモリ」という謎のキザマント集団が現れて、イザベルたちを助けてくれたりもする。
これは労働者階級側の味方であり、死んだはずの軍人、兄アンドレイアたちでした。
兄は元々はただの爽やか軍人だったけど、ティエールの策にハマって殺されかけ、なんとか生き延びて逃げた先で出会ったジプシーの女性(イルマ)と恋に落ち、そして庶民の生活の尊さを知って彼らを守る側になった・・・というこちらもファンタジック展開。

イザベルはなんやかんやロンドンに手紙を届けてヴェルサイユの別荘へ帰還しますが、なんやかんやあって血のコウモリもロスタン家の別荘へ逃げ込み、これが「犯罪者集団を匿った罪」とかいう言いがかりで燃やされてしまい、この過程で両親が亡くなります。
この辺はまじで何やねんみたいな流れですねw

ロンドンに届けた手紙のお陰でなにかが起こったということもなく、このまま終盤のヴェルサイユ軍のパリ突入に入っていくわけなので、この第七話~十一話くらいまではほんと尺合わせと両親に死んでもらうための埋め合わせエピソードにしか思えないのですが、一番アニメっぽいといえばアニメっぽいところでもあります。

それに、実際にヴェルサイユ軍はけっこうエグめにコミューン(市民)を弾圧したらしいので、「ティエール政府に反抗するモノを匿ったから焼き払う!」程度の残虐性は市民から見れば実際にあったのではとも思います。

あと、このあたりで多分みんな思ったのが、「ガストン何者だよww

キャラクターデザインがすごすぎる

さて、このアニメのとっても面白いところは、キャラ配置とキャラ描写です。
以下は歴史の話というよりアニメの話ですので、あしからず。

主人公(イザベル・ロスタン)

まず主人公は、ドレス着て社交パーティー出るような金持ちで、お転婆で頑固な勇気のある末っ子美女。
よくある女児向けアニメの主人公ですね。

しかしながら、アニメのオープニングですでにこのイザベルがショートカットの麗人になって戦いに巻き込まれ活躍していく・・・・みたいな示唆がされているわけですが、結論から言えば、特別な活躍はしません。
というか、一般的にヒーローや主人公に必須であるはずの「誰かを助けたいとか何らかを成し遂げて見せるという強い信念」みたいなものがほぼありません。

すごくないですか。
ショートカットの麗人として生まれ変わってジャンヌ・ダルクのような活躍を・・・期待するじゃないですか、このビジュアル。
それが最後の最後まで、特に信念なんてないんですよ。目の前の出来事に必死で抗っている、それはそれですごいんだけど、ただそれだけです。

でも、これが大事だと思うわけですが、何不自由無く育てられた金持ちのお嬢様十五歳は、カッチョイイ信念なんてない。それが普通です。
最後は立ち位置的にはコミューンサイドの人間っぽくなるわけですが、本人には深い洞察や信念は特にない(少なくともそういう描写は無い)ので、ニュートラルで終わるんです。
これもすごくないですか?

だから「君はどう生きるか」というテーマににめちゃくちゃ説得力があるんです。(と勝手に思ってます)

主人公の姉(ジュネビェーブ・ロスタン)

この姉もとんでもなくいいキャラをしています。

結構偉い軍人(ビクトル)と婚約中の身でありながら、街のピアノ教師であるジュールと恋仲にある。
結局ピアノ教師と駆け落ちするのでロスタン家からは勘当されるわけなのですが、この姉、最後の最後までこのピアノ教師のために生きます。

ジュールはコミューンの中心的人物として描かれますので、ジュネビェーブも自然とコミューンの人間となるわけなのですが、それはあくまで「ジュールのために生きているから」そうしているのであって、下野したら自分も革命風にふかされて「コミューン万歳!」とかやらないんですよ。
文字通り「愛に生き・愛に死んだ」キャラです。

昨今の物語だったら、「愛も仕事も信念も!それが令和の女の子!」みたいな、「愛だけに生きるなんて滑稽」的な風潮がある気がしますが、どストレートにこの姉は「私はジュールのためになら死ねる」と言い切るんですよね。

第十二話、イザベルとの最後の会話がしびれますので引用しておきます。
イザベル 「ビクトルはお姉様のために生き、そして、死んでったんだわ」
ジュネビ 「そう」
イザベル 「”そう”? それだけ? ビクトルが死んだのに、お姉様何も感じないの?」
ジュネビ 「イザベル。あなたは自分がなんのために生きているのか考えたことある?」
「人にはみんな生きがいがあるわ。お父様は家のために生き、お母様は私達子どものために生きた。」
「私はジュールのために生きているわ。ジュールのためになら、死ねる。」
「いつかあなたにも、私の気持ちを分かる日が来るわ。私はジュールのためにだけ生きているの。私はビクトルためには生きられなかった。」
イザベル 「ひどい! そんな言い方したら、ビクトルが可哀想だわ!」 部屋を飛び出す
ジュネビ 「ビクトル。許して。ビ、ビクトル‥」涙
いや~しびれる。
憧れはしませんが、ジュネビェーブほど自分の「なんのために生きるか」を自覚して言葉にできる人、そうそういないと思いますよ。

例えばこの父親「レオン・ロスタン」は、文字通り、何よりも家の存続を重視するキャラでしたが、面と向かって「あなたは子どもの主観的な幸せよりも、家の存続を重視してますよね?」と聞いたら「けしからん!失礼な!」とブチギレると思うんですよ。
でもジュネビェーブは「周囲に迷惑をかけてまであなたはジュールのためだけに独善的に生きてますよね?」と言われても、「はい、そうですが?」と言えてしまう人だと思うんです。

ビクトルのことを軽んじているわけでも、どうでもいいと思っているわけでもないわけです。
本当はとても気にかけているけど、だからといってジュールをほったらかしてビクトルを助けに行ったりできない。(まあこの時点で死んでますが)
これが平和な日常のヒトコマだったら病院やお葬式に顔くらい出しなよ案件ですが、もうパリ中が戦争になってますからね。
決闘までさせて婚約破棄して大騒動でロスタン家から飛び出してきた自分は、だから、表面上取り繕って気のあるフリをしたりする資格などない。
自分の独善さを完全に自覚しているわけです。

そして、この作中で最も信念のない、流されて頑張ってきただけの主人公に、「あなたは自分がなんのために生きているのか考えたことある?」ですよ。

は~~~しびれますね…。

ジュネビェーブはもしかすると、主人公サイド(金持ち)がコミューンサイド(労働者階級)に繋がりを得るというためだけに作られたキャラかもしれない。
視聴者(少女)にとって一番わかりやすい流れとして「愛のために姉が駆け落ち」だったのでそうしただけであって、それを最期までやりきらせたら結果的に上記のような達観したキャラになってしまった、というだけなのかもしれない。

というかほぼそうだと思うのですが、それでも、「他人の迷惑も理解してない愛にかまけたアホ姉」でなく、勘当された身として命を掛けてやりきったという力強いキャラになったのは、素晴らしい脚本だよなと思います。

主人公の両親(レオン・ロスタン、マリー・ロスタン)

さて、ジュネビェーブのくだりで父が出てきますのでこのまま父を。

この父は、上述したように典型的な「家のために生きた」おぢさんです。
こういう父親は現代日本にもまだギリ現存しますよね。個人的にはそろそろ時代が変わってますよと言いたいところですが、時代に合わなくなってきているというだけで、悪だとは思ってません。
ギリシャローマの時代なんかは先祖代々同じ名前を受け継いで、自分という個体よりも家のほうにアイデンティティがあったらしいですし、相続税なんてなく土地やお金や特権がそのまま子孫に受け継がれる世の中では、そうしようとするほうが生存戦略としても自然でしょうしね。

とはいえ、さすがに令和の時代には少々珍しいと思いますので、笑っちゃったセリフを引用。
これはイザベルのお兄さん(アンドレイア)が戦死したという訃報を受けた直後のシーンですね。
レオン 「イザベル、よくお聞き。泣きたい気持ちはわしも同じじゃ。だが、一番辛いのは母さんだ。ジュネビェーブがこの家を出ていき、アンドレイアがこうなった今、残るのはイザベル、お前一人になってしまった。お前だけは、母さんを悲しませないでくれ。」
イザベル 「・・・」 悲しみつつもパパの優しい言葉に染みている表情
レオン 「ロスタン家を滅ぼしてはならん。お前はロスタン家に残された最後の望みなんだ。イザベル・・・・ジャンクレマンの家は、名門だよ。」
どっしぇ~~~!!ww
兄が亡くなって傷心のイザベルに、なにか良いこと言ってくれるのかな…と、溜めてからの「ジャンクレマンを婿に迎えろ」というこのセリフに私も仰天しましたw

ジャンクレマンはイザベルにとっては金持ち幼馴染の男の子とでもいいましょうか。
そして彼から熱烈求愛をうけていますが、あなたなんか眼中にないわ!私の前をうろつかないで!と蹴散らすような関係です。
まあ、アニメのストーリー上、ジャンとは後半でいい感じになることはあるかもねとは思いつつも、ここで十五歳のイザベルに家柄の良い婿と結婚しろという話を悪気なくぶっこむとは・・・パパ!!
これを「俺を悲しませるな」じゃなく「お母さんを悲しませるな」とか言うところもズルいというか…クソおやぢですね。

最期に亡くなるシーンも、発狂というところがいい。
もしもジュネビェーブみたいに「究極的には独善なのさ」と自覚があれば、あそこでがっかりして死ぬことを選んだとしても、発狂はしなかったんじゃないかなぁと思いますね。

ついでに、パパはジュネビェーブを勘当したときにお付きのガストンに「わしの代わりに娘を助けてやってくれ」的なことを言ったりしています。
そう、ジュネビェーブが「ジュールのためだけに生きている」と言いつつビクトルを気にかけていたのと全く同じように、パパだってお家が一番だけど、それ以外には冷酷というわけではないんですよ。
というよりも、本来は多くの人が多くの人の事を気にかけながら生きているんだけど、万人に同じ内容の愛や施しを出来るわけもないので、何らかの優先順位を知らず知らずのうちにしていく中で、それは究極的には自分の独善による順位付けなのだ、ということにちゃんと自覚的かどうかというただそれだけだと思います。
このアニメ、変な演出や特定のキャラのモノローグを入れないし、そういうちょっとした一言一言が本当にリアルで素晴らしいんですよね。

母マリーについてはほとんど存在感のない、家族思いの心優しいママでしかないので特に言及するところはないです。

兄アンドレイアと、姉の元婚約者ビクトル

二人は軍人仲間。
実はあまり目立たないこの二人の関係、いやこれ以外と良い設定だよ? なんなら一番アニメっぽい二人だよ?

兄アンドレイアは黒髪イケメンで、主人公風の笑顔が眩しいポジティブ爽やか軍人。
ビクトルは茶髪イケメンで、真面目系の堅物軍人(ただしイケメンなので許す)。

「お前があんなところで死ぬわけないと思ってたよ!」等と言いながら生還を称え合い、「俺達でパリを守ろうぜ!」と肩を組むような関係。
中盤は、戦死したと思っていたアンドレイアが実は生きていて、正義の野盗(?)として帰還するわけなので、一応まだ軍人であるビクトルは「立場上、許すわけには行かない」とか堅物を見せて一発触発になりかけたりとかするんですが、それも含めてここだけ爽やか少年ジャンプしてますw

アンドレイアに関しては、姉ジュネビェーブが政治的主張というより愛を理由に労働者階級に降りたのとは違い、ちゃんと感化されて、心から庶民側についたパターンを描いているのかもしれません。
それとこのアニメのファンタジック要素が「怪人に襲われる」みたいなところしか無いので、無理やり「イケメンの謎マントが助けに来る」的な要素を入れたらこうなったのかも笑

ビクトルは最初から最後まで、真面目で心優しい上に戦闘もできるイケメン常識軍人だった。。
最後はティエールに「パリを攻撃する部隊を指揮せよ」と命令されてそれを拒否し、「あなた(ティエール)には反逆しても、フランスの人々には反逆したくない」とイケメン発言をして投獄されます。
ちなみにビクトルは終始イケボで落ち着いた感じで喋るのですが、ここでパリを攻撃すると聞かされて「正気ですか!」といったときの声だけ裏返っててめちゃ好き。笑

ジャン

ジャンはイザベルパパによれば「名門のお坊ちゃま」であり、イザベルから見ると、別荘が隣同士なので別荘(つまりヴェルサイユ)では幼少期に一緒に遊んだ仲。
子供の頃からお転婆で勇敢だったイザベルと違い泣き虫な男の子だったけど、でも絶対イザベルと結婚するんだ!と心に誓って努力し続けた結果、特別イケメンでもないけど実はラブレターが山のように来るモテ系男子である。

中盤くらいまではテンションが高くアホ面でイザベルにつきまとっては「結婚してくれる?」と飽きずに言い寄ってくる激ウザキャラですが、大事なところでそばにいて、しかも本当にイザベルを守るために体を張って、しかもいつも明るくいてくれる。
いつもちょっとテンション高めのアホなのも、辛いときこそ笑い飛ばすくらいのほうがいい、と彼なりの哲学を持ってわざとそうしていることがわかってくる。
物語も終盤に近づくあたりでそれに気付き始めるイザベルと、やっとちょっぴりいい感じに・・・。

ラストシーンで最後に死ぬのがジャンなんですが、結末を知らない当時の視聴者は、「ジャンって実はちょっといいじゃん・・・、周りが全員死んでしまったけど、ジャンの良さをイザベルも分かってきていい感じで、あとはジャンと手を取り合って生きていくという終わり方なのかな・・・?」と、もしかしたら思ったかもしれませんし、それを狙って作ったのだと思われますが、だったらもう少しイケメンにしてほしかったなぁ。

ジャンの一番いいシーンは、第十一話で実家を捨てているところ。
・・・・・・・いやいやいや、すごくないですか????
この少年、まだ若いのにジュネビェーブくらいイザベルへの愛に生きることを覚悟しちゃってるよ????
という意味ではちょっとリアリティのないキャラクターなのですよね。
ジャン家は名門なので黙っていればパリの騒動だとかは無視して優雅にパーティーして暮らしていられるっぽいのですよ。
それをいくら幼少期から「絶対に結婚するんだ!」と心に決めていた女の子がいたからといって、「ちょっと家出して好きな子助けてくる」とかじゃなく「今生の別れ」として出ていきますかね・・・・。

ともかく、ただ好きな子を守りたいからという理由だけで家を出たジャンまでもが大人のゴタゴタであっさり死んでしまい、無情さを描くにはよかったのかも。
最後の最後に「一人で自分の人生を決めなくてはいけなくなった」という十五歳イザベルの精神的旅立ちが描かれて終わるのは素晴らしかったですね。
それも、焼け野原っぽくなったパリを見下ろして「私・・・・・生きていくわ」と言わせただけですよ。すごい。

そしてここで忘れちゃいけないのは、イザベル視点では完全に「耐え難きを耐え・・・・」状態なのに、作中、ジャンの実家のように金持ち地主たちはヴェルサイユでパーティー開いてるんですよ。
史実ではパーティなんてしてたのか、あるいはしてたとしても体裁のために無理やりパーティして本当はお腹好かせてたとかなのかそのへんは分かりませんが、イザベルから見ると超絶無情なんですよね。

「あなたは自分がなんのために生きているのか考えたことある?」

その他の方々

なんといってもまずはジュネビェーブのお付きの老人(?)であるガストン。
最初はただの老齢の馬車引きか執事だと思うじゃないですか。
中盤から忍者みたいな感じになります。なんでやねんw
途中のファンタジック展開でも大活躍の忍者キャラになってて困惑でしたが、最後まで生き残り、ジュネビェーブを庇いながら亡くなるという本当の紳士でしたね。
(忍者に近いけど・・・)

それと普通のお手伝いさんであるジャンヌ。
この人は本当に普通のおばさまだった。かわいい。
こういう人がいい感じに太ってるのっていったい何なんだろね?

そして出ている尺は多いのに特に語るポイントがないピアノ教師ジュール(姉ジュネビェーブが駆け落ちした相手)。
ジュールはパリ・コミューンの指導者風に描かれるんですが、あくまでそうっぽい描かれ方をしているだけで、具体的な描写は実はあんまりない。
パリを愛するごくごく普通の善良な一般市民、、、、でした。
まあ実際のコミューン参加者もそれくらいの感じだったのかもね。

それからアンドレイアの恋人となったイルマ。
彼女はとてもいいキャラなのですが、深堀りがあまりなく男の夢要素しか見えなかったので少し残念だったかな。
「僕に本当の世界を教えてくれた最愛の君」であり美女であり身のこなしもよく、政治的にもいい感じに男性キャラに感化されて創業仲間となり、最後は尾行されてヘマるとこまでお約束、さらに駒形由美(るろ剣)かな?みたいな亡くなりかた・・・・。
せめて血のコウモリの発想はイルマ側から持ち込まれたもの、にしてほしかったかなー。

というわけで、女児向けアニメや戦争アニメに見せかけた、「君はどう生きるか」という、自立の物語でした。

最近のわざとらしいお涙頂戴物語に辟易している方、ぜひどうぞ。