渡邊 博史 / 生ける屍の結末

2020-06-08お気に入り・おすすめ, psychology 心理学, social 社会

「創」編集長のヤフ-ブログにて、最終意見陳述を読んでいたので、いつかちゃんと読もうと思っていた本。

最終意見陳述を読んだことのある人は、それ以外の部分を読むことで理解が深まったり、多くが補完されると思います。

読んだことのない人には、人にものを勧めない私としては珍しく、激推ししています。

誰も懲りない」と併読をオススメです。


「そのような感想を抱いた人は、それがご自身が真っ当な人生を歩んで来た証拠ですので喜んで下さい。」

この本は、「黒子のバスケ事件」を引き起こした犯人である渡邊氏本人による事件の詳細、それから(弁護士と?渡邉氏の)QA形式の問答、冒頭意見陳述、そして最終意見陳述が載ってます。

黒子のバスケ事件についてはWiki参照。
黒子のバスケ関連のイベントや出版社などに対して、郵送物なとで脅迫をした、という事件です。


犯罪者の手記って「犯罪心理が云々本」「言い訳本」というイメージがありますが、この本は「社会への問題提起本」です。
犯罪がどうこうっていう感じではないです、ほんとに。

そして社会と言っても、鬱憤を「世の中のせい」とひとくくりにする大雑把な話ではなく、主に教育、そして求刑において重要な分析と意見が載っているので、一読の価値ありです。


さて、ハイライトはもちろん、後半の最終意見陳述です。

非常に興味深いテーマが散りばめられている最終意見陳述の中でも、最も象徴的な言葉は、
「自分が申し上げたことを理解できる人は誰もいないと思います。(中略)そのような感想を抱いた人は、それがご自身が真っ当な人生を歩んで来た証拠ですので喜んで下さい。」 だと思っています。

これは、「犯行に至った動機」について述べた直後の文章。
「この動機を読んで、『は????』と思うのなら、あなたは幸せな人ですよ」ということ。

私はなんとなく理解してしまったのですが、本心から「は?? 全く理解できない。汚らわしい。これだから犯罪を犯す人間っていうのは・・・」と思う人は、たくさんいると思うのです。

みんなが「は??」と言える方が、圧倒的にいいに決まってますよね。

でも少なくとも、「そうでない人間もいる」ということを分かっておきたい。それから、「自分がそういう人間になってしまうかもしれないこと」、「自分が、周囲の人間や子供をそういう人間にしてしまうかもしれないこと」を、認識できたらいいんじゃないかと、思うのです。


この本を読めば、「なぜ、それが理解できない人は幸せ」だと渡邉氏が言うのかが見えてきます。


「浮遊霊」

最終意見陳述では、いろいろな言葉の定義が出てきます。

冒頭意見陳述での「無敵の人」、それからタイトルになっている「生ける屍」あたりがショッキングな言葉ですが、私が一番イメージしやすく、そして重要だと思ったのは「浮遊霊」です。

世の中にはいろんな分類、所属、属性、コミュニティ、クラスタ等があって、それらに属していることと、それを誰かが認めている(と自分が感じる)ことが、自分の存在を疑わない証拠になってる。
それらを片っ端から否定されたら、私も「社会から退場」したくなるかもしれない。

そういった社会とのつながり(ここでは「糸」と出てきます)が無くなった状態が「浮遊霊」です。

たとえ浮遊霊になってしまったとして、そこから、また社会とのつながりを作りながらポジティブにやっていこう、と考える事ができるのは「安心」を持っている人間。
(「安心」とは、「努力(行動)すれば、結果が出せると信じられる」能力みたいなもの。)
それがない人間は「ゲームリセット」を撰択しようとしても、なんら不思議は無いんだと思う。

「浮遊霊」っていま、ほんとに多いと思うんですよね。
自分がそうならないかどうかなんて、本当に分からないです。

ドラえもんの「石ころぼうし」が理解できる殆どの人が、「浮遊霊」がいかに孤独な存在なのかを日常的に理解出来ていると思います。
改めてそれについて考えさせられる機会になると思います。


親に承認されずに育つということ

ちょうど「誰も懲りない」という漫画を立て続けに読んでて、教育や家族のくだりは、既視感満載だった。

先に「安心とは、努力(行動)すれば、結果が出せると信じられる能力みたいなもの」と書きました。
え?努力(行動)すれば結果が出るなんて、能力とかではなくて当たり前の話でしょ?と思ったあなたは幸せな人。


渡邉氏は両親に対して「変わったしつけを受けた」と何度も「虐待には当たらない」と言うのですが、細かい定義はともかくとして、アニメが見たいと言ったら殴り飛ばされたというのは虐待だと私は思う。

それから、渡邉氏は直接手をかけられているけど、「誰も懲りない」の第一話の父親は、まだ手は出してません。
でも、正直、これも暴力ですよ。ぶっちゃけ、一話が、読んでいて一番辛かったです。
トシコは、幼い頃から最も親しい人間に「認めてもらっていない」んですよね。

よくある話だとは思いますが、例えばこんな感じ。
・良かったことに関しては何も言われない(褒められない)が、悪いことに関しては詰められる
・相手の望む模範解答が出来なかった場合、「お前は心が汚いからそんなことを言う」「そんな子に育てて悪いことをした」と言われる

基本的に、「そのままの自分を一切承認されていない」状態なんです。
基本的に何をしても否定される。

だからといって何もかもホメろというわけではなく、ちゃんと指導すべきは指導すべきで、甘やかせと言っているのではない。

親からすれば、「いやいや、お金も時間も人生もかけて育ててきてるんだから、”承認されていない”って何様なの?意味分からない!怒」と思うかもしれません。でも、そういう物的な話じゃないんです。

そうじゃなくて、これは渡邉氏の言う「両親の内在化」の話なんだと思うのです。

幼少期に最も親しい人物である両親は、望まなくても、「内在化」するんだと思うのですが、その内在化した両親が、何をしても否定してくるわけです。
あるいは、何をしても承認してくれない。

あらゆることを否定され、その意味を正しく解釈しようとすると常に自分が悪いことになりますから、それを幼少期から「命綱」である両親からされ続けていたら「何をしても絶対に上手く行かないんだ、そういう人間なのだから仕方ない」と理解してしまう。
「努力すれば報われる」概念なんか形成できないのです。



蛇足ですが、農作業がメインで、それを家族総出でやっていた時代って、教育っていう概念も薄く、子供は働き手と認識されていたことが逆に、こういう歪みを生まない状況をつくっていたんじゃないかなーと思ったりします。

だって最初から「あんたはこの家の大事な働き手」っていう承認になってますし、ちゃんと働いたら、当然、「ちゃんと働いている働き手」として認められますからね。

「親は子を教育するもので、子は親の成績表」みたいになってくるともう。。。。

そういう社会の構造の変化による分析とかもあったら読んでみたいなぁ。


「無理ゲーをリセットする」ことと「ものさし」が違うということ

前者は渡邉氏の例えで出てきます。
後者は「誰も懲りない」で出てきます。

いわゆるドラクエみたいなRPGでは、最初の村で情報を得たり、近くで戦って実家で回復したり、仲間が出来たり、そうして少しずつ遠くに行けるようになり、成長し、最後は魔王を倒すことになってます。
でも、最初から実家で回復させてもらえなかったり、村人が何も教えてくれなかったりしていたら、ゲームが進むはずがないです。
その当事者はゲームの設定が狂っているという認識すら出来ないから、自分が悪いんだと思ってゲームリセットを選ぶ。

この例えは本当に上手いと思いますね。

「みんなゲームの設定は同じに決まってるだろ?」と思ってる、設定が狂っていなかった人間からすると、この人は単純に怠けていただけだから、話が噛みあうはずがないんだよね。
誰も懲りない」にて、「人は自分のものさしで物事を判断する」というくだりが出てきますし、
渡邉氏も「謝罪しない理由」の一つ目に、これと思われる(前提が違いすぎて互いに正しく伝わらない)ものを挙げています。

親の教育に関しても同様の話が出てきますね。
「父にとってはそれは常識の範囲外だったんでしょう」。
「母にとっては祖父の逆であることが正義だったんでしょう」。


まあ、ものさしが人によって違うのは、当たり前かつ本当にしょうがないことだし、別に誰も悪くないと思いますが、
「人はそれぞれのものさしをもっている」ということを、常に胸に止めておくだけでも、だいぶ違うんじゃないかなと思います。

他人はもちろん、たとえ親子であっても、「ものさし」は違う一人の人間だということを、自分も強く認識し続けていたいなあと思います。


というわけで、「何となくこの世の中は生きづらい」と思っている人だけでなく、
「は!?犯罪者の本なんて見たくもない!!!」と思っている人、
「自分はカンペキな子育てをしているんだ(したいんだ)」と思っている人などなど、

多くの人に激推しということで〆です。


[蛇足] 両親に愛されて育ったかわいいアイドルが「自殺しないでください!」と訴えるということ

そういえば以前、某アイドルがテレビで自殺について話していた時

「失敗したら投げ出したくなっちゃう気持ちはわかるけど…、だけど、、生きていたら絶対いいことあるから……だから生きて下さい!って思う…」って言ってた。

「失敗して投げ出したくなっちゃう」系の動機で自殺を考える人もいるとは思いますが、これは渡邊氏に対してはまったく響かないだろうなと。

しかもこの子、両親に愛されて育ってる上に自分は結構潔癖、で有名な娘なので、むしろイラッッ!!とするかもしれない。

ちなみにこの時、某ヘタレアイドルSは、「いやまあ、我々の立場からこんなこと言っても絶対伝わらない人いると思うんだよね…、絶対私たちには分からないこともあると思うし」みたいな趣旨のことを言っていて、この子が一番わかってるなと思いました。このアイドルはやっぱ地頭いいよね。

もちろん、「失敗したら投げ出したくなっちゃうけど」の彼女のその語りかけに救われた人もきっといると思うけどね。


ものさしが違いすぎると、悪気どころか心からの優しい語りかけであってもナイフになることがあるんだなと思ったりしました。
そ~いや握手会襲撃事件とかありましたね。。

渡邉氏は恨みじゃないと何度も述べていて、それは多分本当にそう思っているのだと思うのですが、
ステージが違いすぎる人間に、自分のステージに間接的にでも関与されると、それが相手なりの優しさであっても、
「馬鹿にしてんのか!!!!!」「自分の居場所を奪うなっ!」て激昂したくなるかも。

難しいです。