テッド・チャン / Arrival(メッセージ)あなたの人生の物語

2020-04-04お気に入り・おすすめ, 洋画, science - fiction SF

原作ファンとしては、実写化するということそのものに驚いた作品。

前評判が良かったので期待していたとおり、期待を裏切らない素敵な映画でした。
併せて原作も読み直したので、後半は原作の再レビューです。
ネタバレありだよ。


「他者(未知)と向き合う」手段の具現化

突如、謎の物体が世界各地に飛来するが、生命体が地球に乗り込んでくるとか攻撃を受けるということは一切なく、ただただそれはそこにあるだけ。人類はその目的を知るために意思疎通を試みる──。

ファーストコンタクトものSFとして、とくに映画では、画的にも生命体との攻防や交流が描かれる事が多いでしょう。
この映画も原作と比べると映画的な演出を入れ込んでいますが、それでもかなり丁寧な描写が多く、終始落ち着いた雰囲気になってます。音楽も内容を邪魔しないのですごくよかった。

この作品の大きな特徴は2つ。

1、地球外生命体とのコミュニケーションは「言語学者」が「言語を習得する」という方法で立ち向かう
2、コミュニケーションを得て得た能力(概念)を「未来を同時に体験する」という演出で行う
どちらも原作を上手く継いでいます。
すばらしい点としてよく取り上げられるのは「2」の方かなと思います。

主人公が地球外生命体であるヘプタポットと交流して得ていく概念を、作品全体の「未来を体験する」をいう演出を通してそのまま表現してます。これは原作通り。
なので中盤まではよくある「複数時間軸、あるいは複数視点でのエピソードをサンドイッチさせ、最終的にそれらが1点に終結する」演出の一種なのは分かるのですが、まさかそれ自体が、ヘプタポットを通して得た概念だとは思わないんじゃないでしょうか。

ここは原作のやり方をそのまま引き継いでいていますが、よりオーディエンス側が「演出上、視点がサンドイッチされているのではなく、主人公がリアルタイムで未来を観ている」ということが分かりやすくなってます。

とくに、原作ではなかった「強硬手段に出るという某国を主人公が止める」というエピソード。
クライマックスの大事なとこであり、しかもこれでちゃんとその能力(概念)の説明のダメ押しになってます。
これは映画オリジナルですが、もともとの「地球外生命体が世界各地に飛来した」という状況からも、こういったゴタゴタは起きないほうが映画としては不自然とすら言えそうなので、ウマイ表現ですね。
(原作では、あまり「世界の状況」的な視点の話が出てこないので、そのまま映画にしたらちょっと不自然になるはずです)

ちなみに、原作ではこれについてもう少しちゃんとした説明と表現がされているので、映画だけを見て「え??どういうこと??」となった方は原作を読むことをおすすめします。
人類の「逐次的認識様式」に対して、ヘプタポットは「同時的認識様式」であり、主人公であるルイーズはヘプタポットのソレを体得した、わけですね。

そして「1」

個人的にはこの作品が大好きなのは、この「1」の要素。
スペースオペラが好きな人にとってはかなり地味でつまらないかと思うのですが、ファーストコンタクトに「言語学者」が挑む、というのが、私はめちゃくちゃ好きなのです。

それは、「相手の文化や思考や言葉を理解してはじめてコミュニケーションになる」という、徹底した相手視点が前提である姿勢の潔さと、それを「話せばわかる」「悪い人なんていない」みたいな精神論ではなく、具体的な手法を持ってそれをとりおこなうという専門スキルを伴ったプロフェッショナルの、極端に言えば命や世界をかけた仕事だということ。

映画化の話を最初に聞いた時、「こんな地味な画で本当に映画にするつもりなのか」と、つまり「大事なテーマが削がれるんじゃないか」と思ったのですが、ちゃんと「言語を習得する」という過程を丁寧に表現してます。

ドンチャンしたり、危機的な状況で助け合った人間同士が愛し合ったりとかいうサイエンス関係ないじゃん的なスペースオペラ派にはとてもおすすめできない作品です。
(スペースオペラはスペースオペラで好きなんですけどね,けなしてないですよ)

「あなたの人生の物語」である所以

と、「これはスペースオペラじゃない」と強調しましたが、でもこの作品、原作タイトルは「あなたの人生の物語」です。
「あなた」とは誰であって、どうして地球外生命体とコミュニケーションする話なのに「人生の物語」なのか。
これ、主人公の最後の決断が愛にあふれているというか、「人間の愛」の一端を見たというか、そういう気持ちになったときに理由がわかるようになってます。

単なる「地球外生命体とコミュニケーションして新たな概念を得た」だけの映画であったら、全く別の作品になっていたのだと思うのですが、それを経て最後に主人公が決断するのが、とても人間くさい、愛を感じる選択なんですよね。
なので、じんわりした感動があって。

タイトルがそっち側に振ってあるということは、この作品のメインテーマは「地球外生命体とのコミュニケーション」ではなく、「主人公の愛のある決断」の方なんですよね。
(そういう意味では、映画版のタイトルは邦題も英題も逆側に振ってると感じます。よりSFにしたかったんだろうなぁという気はします)

テッド・チャン氏はかなりハードなSFも描く方なのですが、「人間くささ」をもものすごく綺麗に表現してしまう。
それをちゃんと映画で表現してあります。う~ん。好き。

2020/04/03 再視聴&再読
再読してやっと気付きました。
「ルイーズは愛のある選択をした」と書いてますが、原作にはこういった表現が出てきます。
同時的意識という文脈においては、自由は意味をなさないが、強制もまた意味をなさない
未来を知ることは自由意志を持つことと両立しない
つまり、ルイーズは「自由意志でゲーリーと結婚したり、”あなた”を産むことにしたわけではない」ということ。

だから実は、もっともっと(逐次的認識様式から見れば)寂しい話なんですよね。


映画の表現と演出について

さて、ここは少々小話です。

ルッキンググラスの表現

こちらは原作より相当大きくなっており、無重力とか重装備とか表現が盛ってありましたが、そうでないと不思議な感じ不足なので妥当な表現だったかなと思います。
「高さ10フィート、幅20フィート」のサイズしかないので「まるで横長のルッキンググラス」であり、映画では「ルッキンググラス」という名前が用いられなかった(SHELLと呼んでいた)のはこのせいなのでしょうね。

ヘプタポットと文字表現

もうちょっと可愛い感じをイメージしてましたが、こちらも大きな違和感は無いです。原作にはある「頭部を取り巻く7つの瞳」がなかったのは、シリアスな感じを残したかったからなのでしょうかね。
文字の表現は、円形で出てきて、お~、なるほどと言う感じ。本当におしゃれでかっこいい。
実際にこれがデタラメじゃなく、記述可能なものとして作られているのであれば、もっと素晴らしい。

ゲーリー(ドネリー)

なんで名前変えるんですかね。映画って。イメージとしては相違なくてよかったです。
でも、「光は最短経路(あるいは最長経路)を辿る」というエピソード、これはぜひ映画にも入れてほしかったなぁ…。「フェルマーの最小時間の原理」というらしいですね。
逐次的・因果論的に考えれば、進んでみなくては分からないはずの「進む先の条件」を、進む前からすべて知っていて「最短(もしくは最長)経路」を必ず通るという。

ルイーズの「夫が私と別れた理由がわかったわ」に対して「結婚してたのか」と突っ込むところはめちゃくちゃ好きです。君だよ,きみ!

ストーリー差分(映画ではヒーローしている)

映画としての創作部分は、原作をレイプしない形でうまく補完してありとてもよいです。
原作は短編であることもあり、ルイーズとゲーリーの会話で割と淡々と進むのですが、それだけで映像化したらかなり地味なわけです。それに原作は、言語のやり取りの描写がほとんどなのに、結局「目的は分からなかった」というオチなので、流石に映画にはしづらい。

これに対し、「言語の習得」シーンは割と丁寧に書きつつも、映画ではルッキンググラスのサイズを相当大きくし、ヘプタポットたちに邂逅するシーンも緊張感が溢れるものにしている。
原作では示唆する程度にしか書かれていなかった「革新的もしくは新たな技術等を彼らから引き出せるのではないか」という欲望や「本当に人間に害を加えたり支配したりしないか」といった、非常に人間的な感情をかなり明確に描いていて逆にリアリティがあってすごく良かったです。
「各国が足並みを揃えられず世界規模で一発触発になり、ルイーズがヘプタポットの言語習得で得た能力を使って間一髪世界を救う」というシーンもGood.

原作では、「ルイーズが未来っぽいものを見ているのは、作品の演出とか、ルイーズに予知能力が芽生えたとかではなく"同時に体験しているのだ"」と分かる駄目押しのシーンは「ノン・ゼロサムゲーム」なのですが、映画では文章による説明がない分、やっぱりこれだけでは分かりづらいようです。
そこで「未来で教えてもらった電話番号と台詞を、いま、使うことで未来を救った」というシーン。流石にここまでやれば分かるでしょう。
映画としても主人公がヒーローたりうる理由付けにもなっているし、すごく好きです。

映画版の目的は「3000年後に人類の力を借りたい(そのためには人類が一致団結してほしい)」というSFとしてはあるある設定で、いつもなら「チープだなぁ」とか言っていたところですが、原作の「彼らの目的は分からずじまいだった」ということ自体にはあまり強い意味がある作品ではないと思うので、深く触れないまま一応映画としての溜飲を下げる形になっていて、こちらも文句なしです。


原作「あなたの人生の物語」

さて、改めて原作を読むと、そもそも「演出が表現が」とかじゃなくて、ストーリーの骨子自体が本当によくできています。

結末が単純なハッピーエンドではないという点からしても、「2001年宇宙の旅」と少し似ている雰囲気の作品なのですが、「泣いた」という感想が出てくるほど、人間くさくて温かい感じもするのです。

リンクにある文庫本は短編集なので、この作品もボリュームは多くないのですが、淡々と無駄なく綺麗にまとまってます。

「ノン・ゼロサム・ゲーム」の下りは映画でもそのまま出てきていて、ここで「リアルタイムなのだ」ということがちゃんと分かるようになっている点もすごくいい。
しかもそれが「今はいないパパが言っていた」エピソードなので、もう……本当にムダがないんですよね。悶絶しそうなほど綺麗。

しかも、ハードSFとしても逸品だと思ってます。
「未来が見える」という、一見スペースオペラものにありがちなテーマと見せかけて、じつは「逐次的」な概念をぶっ壊すというぶっ飛んだ視点であり、そしてそれを1人の主人公の意思決定(そこには実は自由はないのだけど)を通して具体的に表現する。

はー、素晴らしい。。

何がどう好きかは映画の方の「2つの特徴」で書いたことそのものなので割愛しますが、映画よりも淡々としていて、代わりに、未来の主人公が「あなた」に対してどんな気持ちだったのか、が直接表現されているので、これは似たような感覚になったことのある女性は結構泣けるところなんじゃないでしょうかね。

短篇集の、この作品のお隣りにある作品たちは結構ハードなので、似たような気持ちで読むと面食らうと思いますが、ハードSFとしてはどれもおもしろいです。

ひっそり敬愛していたチャン氏が世間一般に評価されるのは複雑な気分ですが、こういうSFがもっと評価されるようになるといいなと思います。

あなたの人生の物語
テッド・チャン (著), 公手成幸 (翻訳), 浅倉久志 (翻訳), 古沢嘉通 (翻訳),