入江昭 / 歴史家が見る現代世界

2019-09-10史実に基づく・史実がベース, social 社会

近・現代史をもう少し勉強したくて。
Amazonレビューがかなり優秀だったので。



老若男女、一回は読んで心の片隅にとどめておきたい

初回の読書中の感想は、「ぬるっとしてる」。
あまり細かい話がなく鳥瞰的で思想的な話が続くから、というのと、特に後半は世代的にもあまり新鮮な話ではなかったからです。

でも、この記事をまとめるためにもう一度読んでいたら、「いやいや、これめっちゃ大事なこと言ってる」と、その重みがわかってきました。

本の主題は目次を見れば明らかなように「国家という括りで歴史や現代世界を捉える時代はすでに終わっている」という内容です。

筆者は、1953年にアメリカの大学で学び始めた時は、歴史というのは「アメリカ史」「イギリス史」「中国史」のような国単位(しかも強大国)で捉えることが一般的だったと述べてます。
でも、1990年台以降、筆者を含めてトランスナショナルな視野で歴史を捉える歴史家が増えてゆく。

グローバル、もしくはトランスナショナルな視野での歴史とは、
① 世界全体の動きをとらえようとする姿勢
② 国や文化などの国境を越えた人間同士のつながりをたどる
③ 同じ地球に生息する自然も歴史研究の視野に入れる

ということらしい。

本書では、なぜ、というより、「そういう歴史感が醸成されてきた流れ」を見ていきます。

なかなか普段「歴史」という括りでは見られない構造的な視点で話が進むので、これが面白い。

例えば、1930年代の世界恐慌頃から「教育や福祉も国が責任を持つべきだ」「ゆりかごから墓場まで」という大きな政府論が影響力を増すが、20世紀後半の国境を超えた経済的な繋がりが濃くなっていくと今度は「小さな政府」「夜警国家」論が増加してゆく。

例えば、1920年前後など世界大戦前には影響力のあった「理想主義」が大戦の影響で弱まり、国単位のパワーバランスで国際社会を捉える「現実主義」が主流となるが、冷戦の終結は「現実主義」では説明できず、「理想主義」的な思想が見直されるようになってきている。

例えば、1960年代後半のベトナム戦争での「大国の意志でアジアの小国の運命を左右すること」に対する反対運動の一部が「近代化路線」批判となり、「近代化」という発想そのものが「西洋」をモデルにしていて、これに当てはめるのは「知的帝国主義」じゃないか…、として段々と「西洋をディセンターしていく」発想が影響力を持っていく。

特に第二次世界大戦後(1950年代~)の急速な経済的繋がりや人の移動の影響もあり、人々は国単位だけで世界を捉えなくなってゆく。

もちろん、物理的な土地に住む以上、リージョン(地域)やネーション(国)の括りは無くなることはない。
でも市民権の前に人権があり、国家の前に人類がいる… そういう発想で積極的に世界の諸問題に向き合っていくようなナショナリズムを持てるべき

そういった話を丁寧に進めていきます。


1950年代に渡米し現在は米国籍である著者は、なぜわざわざ日本語でこの本を執筆したかについて
日本にとって米国が重要なのはパワーの関係、すなわち日本が米国の「核の傘」の下にあるからだとか、強大国化する中国に対し両国がバランスを維持する必要があるからだといった、旧態依然とした方程式は過去の見方を現代にあてはめようとするものである。

そのような見方にもとづく「積極的平和主義」なるものも、もとより時代遅れの発想にすぎない。

といった日本の状況を憂いたから、と説明しています。


ちょうど先日「私が経験した日本の歴史教育」という記事を読み、教育の影響もあるだろうな、間違いなく…と思っています。

日本ってわりと昔から国内で色々と完結できる強さ(?)や特徴(独特の言語とか)を持っていた国だと思うけど、「もう日本語喋ってるだけじゃ明日のご飯も食べられない」という状況にほとんどの人がなってからのようやく「国家を超えた発想での教育」が始まる…なんていう寂しいことにならないといいな、と思います。

今後いち日本人として、いち地球人として世界にどう影響していくか、していかないのか、考えさせられる良書です。

意識的に選択するということ

ところで、「世代的にもあまり新鮮な話ではなかった」というのは、「国家という括りで捉える時代ではない」に対して目新しさを特に感じなかったからです。
でも、これは筆者のように歴史の経緯を知った上でそう思っていたのではなく、私が1980年代後半生まれだから、というのが大きいんじゃないかな。

この年代って、オイルショックもバブルも経験してなくて「対他国」のドラスティックなトラブルを一度も経験してないばかりか、ネットネイティブだからなのか、多国籍企業が当たり前の時代だったからなのか、「環境問題」ってうるさく教育されてきた世代だからなのか、あまり国境を意識せずに生きられたんですよね。

最近の小中学生なんかは、近所に住む歳の離れた隣人よりも、YouTubeで同じ動画に「first comment!!」とかやってる外国人のほうがよっぽど身近に感じると思いますしねぇ。

経緯はともかく、結果的にはそれはあまり悪くないんじゃないかな。
ノーボーダー、プラネットアース的な発想に、意図していなくてもなってきているのでは。
本書が展望する「これから」のシーンにも合致しそうです。

個人的にもIT業界の端くれの人間ですから、サーバ(電子データ)はもはや国境という概念で制御できないことや、国よりもamazonやGoogleのほうが影響力を持っているのではないかと思っていたりしていて、「国単位のパワーバランスだけで世界を捉えている場合じゃない」というのはしっくりする感覚です。


でも、大人になったいま、たとえ結論が同じであっても「経緯を知っている」上での判断や認識を、可能な範囲でしたいなと思うわけです。

気付かないうちにあたりまえになっていただけのものに対して「だってそういう時代じゃん」というだけでなく、「意識的に選択している」というのは、「そういう時代なんだよ」という議論の余地のない態度でいるよりも「そう思っていない」人に対して優しく、そして建設的な影響力があるんじゃないでしょうか。



自分用の付箋

以下、再読したときにメモしていた箇所を転記しておきます。
引用ではなく私の解釈で書いているので、ちゃんと理解したい方は本を読むことをおすすめします!


P.21
要するに、従来の歴史認識では国家の発展や国家間の抗争といったテーマが中心とされ、その結果、外交や戦争に比重が偏る傾向があった。
しかしグローバル史観を導入すれば、国家より全人類、分断より相互依存が主な枠組みとなっていく。

P.22
日本では…近隣諸国とのあいだに過去の記憶について大きなギャップがあるとされている。
しかし、それは国別の歴史にとらわれているからだ。
本当は存在しているのは「世界の歴史」であり、その意味では人類の歴史は一つである。
そして、それはすべての人々が共有しうるものだ。
歴史が世界を分断することになってはならない。

P.30
1990年代から、グローバル史観は強くなっていく。
その要因はいくつか考えられる。

1:1960年代後半のベトナム戦争での「大国の意志でアジアの小国の運命を左右する…」の反対ウンドの一部が「近代化路線」批判へ。「近代化」という発想そのものが「西洋」をモデルにしていて、これに当てはめるのは「知的帝国主義」じゃないか…。若い学者たちが唱え始めた

2:1970年代、80年代は、西洋の枠組みからとらえた「オリエンタリズム」批判…

→ どんどん「西洋をディセンターする」流れになってゆく


P.43
十九世紀末に始まった欧米主導型のグローバリゼーションは、ほんとうの意味でグローバルな減少のものとなる前に中断し、やがて反グローバルな流れによって逆行し始めるのである。

P.45
冷戦期の新帝国主義は、かつての帝国主義のようにグローバリゼーションの勢いを止めてしまうことにはならなかった。むしろ一九五〇年代以降、グローバリゼーションの流れは再び大きくなって、「再グローバル化」の流れを生み出す。

第二次世界大戦後の新帝国主義は(経済的な)グローバル化の波を止めることはできなかったということ。


P.57
政府機構(ステート)と市民社会(ネーション)が両輪のように回転して初めて近代国家が成り立つ(とされた)。
かつてキリスト教などが大きな影響力のあるネットワークを持っていたが…近代国家はこれを政教分離させた。

P.61
もちろん、今日にいたっても依然として自分たちの独立国家を持たない人たちもいる。…一つの民族として自分たちの国を持ちたいと考え、運動する人々は無数にある。
…それほど国家という存在が、人間のネットワークのなかでも最重要だと考えられているわけで、…十八世紀以降の欧米の歴史が世界中のよりどころとなっているからであろう。

…しかし、数限りなくある人間関係のなかで、特定の国家と市民とのつながりがすべてに優先するという現象は、他のつながりと同様人為的なものではないのか。
やがては国家権力と大衆とのつながりも弱まる可能性があるのではないか。


P.62
一九七〇年代は、世界中で国家ができあがっていたその時に、グローバルなつながりもかつてないほどの規模とスピードでできあがり、「大きな政府」から「小さな政府」に向かうという結果につながり、中央政府の権力が弱まり、市民社会の影響力が高まるという現象が生じた。

一九三〇年代の大恐慌あたりから、国家は福祉(教育・健康・福祉など)にも責任を持つべきという「大きな政府」の考えが強くなっていく。
政府からの融資や公共事業での仕事の分配などにより「政府と市民とのあいだに新しいネットワークが作られていった」


P.72
国境を超えた結びつきもかつてないほどの規模で作られていった…
経済面ではすでにグローバル化が進んで、相互依存的な世界を作り上げようとしているときに、「大きな政府」はどのような対応をしていくのか。
積極的に経済のグローバル化を促進した国もあれば、ソ連や中国のように徹底的にそれに対抗した国もあるが、結局「再建、発達のためには資本主義諸国の市場経済との交流が不可欠だ」として緊張緩和してゆく。

…ようするに問題は、福祉国家はグローバルな経済と両立するのか、ということだ。

P.74
大きな政府のジレンマから、「小さな政府」夜警国家理論が出てきた。
二十世紀後半のグローバルな経済では、国よりも企業や個人が中心的な役割をはたしている。
したがって、市民同士がお互いに助け合うといっても、一国だけではなく、むしろ世界各地に散在する「非政府組織」がどのようにして相互扶助の関係を作っていくのか、という問題になる。

政府が適切な役割を果たすべきとするリベラリズムとは違い、夜警国家に戻ろうというのがネオリベラリズム。

また、振興国家も欧米や中国の共産主義的な国造りを目指したり様々な形となっている。うまくいっていないところもある。そもそも国よりも言語や民族や宗教のつながりの方を重視している人達もいる。


国家とは、「中央政府などの国内秩序を保つような仕組み」と、「同じスペースに住む人々」が、思想や組織によって繋がり合って成り立っている。


かつてから血族、宗教団体、商人の組合など「国家の一部ではない組織(ノンステート・アクターズ)」が存在したが、1970年代以降、それらの勢力が増してバランスが変わってゆく。

その中でも経済のグローバル化と結びついて影響力を持ち始めるのが、多国籍企業。
…複数の国の資本や労働を結合するコミュニティである以上、多国籍企業が追求するものは、従来のような特定の国家の「国益」とは別のものである。

これらはそもそも国境を超えた存在であり、ここのステートのガバナンスでは対応できない。だから国境を超えたガバナンスが大事になる。
1970年代にはアパルトヘイトに反対し、白人と有色人種を分けるような企業はボイコットし、南アフリカでの営業を禁止すべきだという運動が起こり、1991年の人種隔離政策の撤廃につながっていく。

NGOやNPOもノンステート・アクターズである。

NGOが反国家的な動きをするようになるのは1960年代頃から。
1970年代にベトナム戦争の休止や米ソ関係の緊張緩和で一時下火になるものの、今度は人権や環境問題をテーマに盛り上がっていく。


さらに、年齢(若者、高齢者)や性別、障害など様々な切り口で国境を超えたアイデンティティで人々は繋がりつつある。


現実主義 VS 理想主義。

第二次世界大戦前は理想主義だった。
理想主義は、1940年代、1950年代、第二次世界大戦や冷戦といった「現実」とあまりにかけ離れていたため影を潜め、現実主義が圧倒的な影響力を持つようになってゆく。

1960年代後半から、理想主義が復活しはじめ、現在ではナショナリズム中心ではなく国際主義的な観点が復活した。

とはいえ国際関係を考える上で、軍事力などを無視して良いとは言わない。
軍事力や経済力などの「パワー面」と、思想、心理、理想、感情といった「文化面」がある。
ハード・パワーが影響する地政学的に分断された世界(潜在的に対立や抗争を前提とする)と、
ソフト・パワーが影響する文化的ネットワークの存在する世界(潜在的に世界の国々や人々を蒸しつける)
があると考えてみる。
これらは本質的に別のものだが、少なくとも軍事力以外の面もあり、とくに文化面を重視すべきだ、というのは世界の共通見解担ってきている。

…でも、いまだに古典的なパワーゲームの概念にこだわる人はいる。
ごく一部の国家の軍事力・経済力に焦点を絞って、あたかもそれが全世界の命運を握っているかのような錯覚を持ったほうが、知的にも楽で、心理的にも安心だからだと思われる。

もちろん、主権国家は依然存在はしている。
しかし、国家という単位だけで世界を理解することはできない時代だ。


ナショナリズム自体はなくなることはないが、時代に要請されているのは国や文化や社会を誇るようなナショナリズム。
さらには環境や人権など世界の諸問題の解決に積極的に関与しようとするナショナリズムだ。


パワーではなく文化、国単位ではなく世界的な視野で国際関係を再構築するための手段とは?

まずは「リージョナリズム(地域主義)」を見ていこう。

特定の大国の支配下に置かれない地域共同体としては、第二次世界大戦後のヨーロッパ共同体である。
ドイツ・フランスが主導し、1957年には EEC(ヨーロッパ経済共同体)European Economic Comunity が発足。
1993年いはEUとなり、ユーロが流通しはじめる。
関税の撤廃だけでなく、移民、環境、人権などについても共通の政策を取ろうとしてきた。
「移住の自由」という原則は、一部反論も出てきてはいるが撤回の動きはない。
EUは「共通の理念にもとづいたコミュニティ」「記憶を共有するコミュニティ」だと言われる。


アジアでも二十世紀後半から、国境を越えた枠組みを作ろういう動きが出てきた。
日露戦争直後に、非西洋、半欧米とした見方でアジアというまとまりの見方が広がる。

1943年、東京で開かれた「大東亜会議」は、アジアの運命をアジア人でつくっていこうという考え。
でもこれは日本の大陸進出の正当化の宣伝文句の粋を出なかった。

1967年にASEAN(東南アジア諸国連合)が発足。
ASEANプラス3、特定の二国間の自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)も進んでゆく。

さらに東アジア、東南アジア、さらには太平洋諸国も含んだ共同体という発想が広がってきている。
太平洋が一つの包括的な地域を形成するという考え方は、ペリー訪日の時代(1853)にすでにあった。
米国と日本の戦場となってからは米国もカナダもオーストラリアも、自分たちは太平洋国家なのだという意識が高まった。

1989年創設のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)には、ロシア、メキシコ、ペルーも入ってる。

パシフィック・リム(外枠):太平洋を囲む国々
トランス・パシフィック:環太平洋(太平洋全域~面するアジア諸国や極東ロシアまでも含む)

TPP(トランス・パシフィック・パートナーシップ)協定は 2006年にNZlandなどで発足。

米国・カナダを含めるとアジア・太平洋の貿易総額は世界総額の5割を超えている。
経済的な繋がりは太くなっている。

文化や思想を共有することに関しては、EUに比べると多種多様すぎて困難であるように見えるが、1490年代にアメリカ大陸が発見されて以降、貿易が始まり経済的な結びつきが起き、大戦での記憶も共有している。

仮に共通した『解釈』がなくても、歴史自体は不変である。


国と国とのあいだをつなぐインターナショナリズム(国際主義)は、近代国家が出現し始めた17世紀から現れている。
ネーションが利益追求をすると戦争へと向かいがち。
戦争の可能性を低減、勃発時も範囲や被害をできるだけ少なく・・・という意識で、「戦時の法則」「戦争の法」といった概念で国際法として具現化してゆく。
17世紀の30年戦争後から「戦争と平和の法」として体系化されていく。

もちろん、戦争自体を未然に防ぐという平和思考の動きもあった。

ナポレオン戦争(1800年頃から20年ほど続いた)
1795年にドイツ哲学者カント「永遠の平和のために」
マルクス、エンゲルス:社会主義
ロシアのトルストイ:無政府主義
エスペラント運動(世界共通の言語を作ることによて平和の機会を高めようとした)

思想だけじゃなく、制度的な動きもあった。
1899年の国際会議@ハーグで、国家間の紛争解決のための裁判所を作ろうという動き。2年後に常設仲裁裁判所が設立されている。
第一次世界大戦のあとにも、国際連盟(1920@スイスジュネーブ)や国際司法裁判所ができている。(結局、連盟は米独露が参加してないとか諸々あって第二次世界大戦は止められなかったが…)
戦争を非合法だとした1928年「万国平和条約」とかもあった。

ただ、こういう思想は理想主義すぎて現実的ではない(平和や親善を普遍的概念として対外関係の基本にするのは非現実的である)、という「現実主義」が根強かった。

でも、冷戦が第三次世界大戦を引き起こさずに集結することで、それまでの現実主義は影響力が弱まってしまった。
現実主義では冷戦の集結を説明できず、国際主義が復活した。

大国間の力のバランスを維持する以外に、将来への見通しを立てることができなかった。現状打破は武力、とくに核兵器の衝突へとつながりかねないからである。

つまり、冷戦の集結は、単に米ソのパワー・バランスで理解しうるものではなく、両国民の緊張緩和への願望や、核武装に対する国際的な反対運動など、広い意味での国際主義とも関連づけなければならない。


戦前~戦後の時代、かつてないほどの繋がりが世界中の人々の間に生まれ、同じ運命を共有してきた。

1948年「世界人権宣言」

すべての人間は市民権よりも前に人権があり、国家よりも前に人類が存在するのだ…という考え方が国際社会で認められ始めていく。

1960年代になると、有色人種をダイレクトに差別していたアメリカでも、ベトナム反戦運動などの反体制運動の盛り上がりとともに女性解放運動や、黒人差別撤廃運動などが盛んになっていく。
冷戦時代、対露のために国をまとめる手段の一つ、という見方もあるが、世界的にこういった動きがあったので、たとえそうであってもこのういった運動は起こっていただろう。

1975年、ヨーロッパとソ連、米・カナダを加えた「ヘルシンキ宣言」は、普遍的人権の尊重をそれら大国が署名していて、特に影響力が大きかった。
こうした動きが1980年代以降の民主化運動を高揚させ、冷戦そのものを瓦解させてしまうわけだ。


最近では「健常者」とそれ以外をどう区別するのか、すべきでないのか、という議論が活発になってきている。
例えば同性愛、身体的障害、知的障害、老いなど、これまでは排他されてきたものを見直すようになってきている。
パラリンピックは1960年に、同性愛や知的障害は比較的最近(2000年以降)だが、2006年には国連にて「障害者権利条約」が採択されている。