アン=マリー・スローター / Unfinished Business 仕事と家庭は両立できない?

self-dev 自己啓発/リーダーシップ, social 社会

篠田真貴子さん監修ということでずっと積読してあった2017年初版本。原文は2015年、割と最近の本。

良い邦題です。



じっくりと誤解を解いていく

内容についてはあまり目新しい内容はありませんでしたが、「じっくり誤解を解いていく」というスピード感はとても良いと思います。

本書のポイント:
  1. 「家事育児は女性の責務、競争(お金を稼ぐこと)は男性の責務であるべき」という考えは(少なくとも現代においては)間違い
  2. 家族や隣人のケア(教育や育児や介護や気遣い)は人生において非常に重要であり、「競争」の観点から見ても非常に価値が高いはずなのに、過小評価されている
  3. 女性は、仕事で「女性のわりには良くできてエライ」などと褒められてムカつくなら、「男性は家事育児が女性より下手である」などと思ってはいけない
  4. 党派や解決策は違っても、育児や介護にリソースをつぎ込むべきだという点でそれほど異論はないのだから、それぞれ試してみるべきだ。勇気を持って取り組もう。
筆者は元弁護士、プリンストン大学公共制作大学院院長で、オバマ政権時代、ヒラリー・クリントン国務長官のもとで政策企画本部長を努めていた、という絵に書いたようなエリート女性。

そんな彼女が、子育てと仕事に対してどんな葛藤を感じ、対処してきたのか。
そして「子育てと仕事の両立」に関する講演等を行う中でどういった視点を得ることができたのか。

これを、作者の経験談などを交えながら全三章でじっくり述べていきます。
作者の実感が伴った語り口調の内容なので、気持ちの面でも理解しやすいです。

前半はどちらかといえばフェミニストにはお馴染みの内容なので、フェミニズムに触れたことがある人ならば「そうだそうだ」と読んでいればよいでしょう。
後半には「男性と同じように評価しろ、男性は女性と同じくらい家事育児をしろと言いながら、男性には自分より稼ぎがよく守ってほしく(専業主夫にはなってほしくない)、家事育児は自分のほうが上手くできるに違いない」といったダブルスタンダードはやめるべきでしょ? というド正論。
特にこの後半が、最近の(ある意味正当な)フェミニスト叩きの大きな原因と思うのですが、こちらも「正直に告白すると、私もそうだった」と書きながら、ダブルスタンダード女性にも届きやすい書き方がされています。

とある2冊との比較

内容で「ほぼ同じこと言ってるな」と思い出したのはこちらの2冊。

◆一冊目はこちら。
子どもが育つ条件

とくに①、②については語り口は違うものの、本書「Unfinished Business」とほぼ同じと考えてよいと思います。
違いといえば、「子どもが育つ条件」ではあまり実践的な解決策や対話の方法については触れられていないのに比べ、本書は著者の経験を絡めながら「じゃあ、実際のところどうすればよいというの」といった内容が非常に多い。
「子どもが育つ条件」は実践本というよりは論証本という感じなので、「どうして現代女性は専業主婦でいようとしないのか」に答えようとする形に近んじゃないでしょうか。

どちらも主義主張は非常によく似ているので、補完できるよい関係だと思います。

◆二冊目はこちら。
やりがいのある仕事という幻想

こちらについては少し色が違ううえ、もしかしたら「全然主張が違う」と著者同士が対立する可能性すらあるのですが、私は「同じであってほしいなぁ」と思ってます。

「やりがいのある仕事という幻想」は、そもそも何をしているほうが人間的に偉いかそうじゃないか(価値が低い活動と価値が高い活動がある)、という考え方自体が幻想であると否定しています。

「Unfinished Business」の著者は、本の中でも「私は民主党員だ」と述べているし、「恵まれたエリート白人女性」の言い分だと言われることも承知している、と述べている通り、基本的には自己啓発本のような書きっぷりになっています。自己啓発が大好きだし、アメリカはそうであるべき国でもある、とも書いてある。(でも、「そもそも人生やキャリアを全てコントロールできると思い込まないほうがいい」とも述べていて、「貧困層」「黒人女性」「LGBTの方々」らの視点も(実感は無さそうだが)理解したうえで書かれているので、嫌味な感じはありません。)
「Unfinished Business」は「ケアの価値評価を(優秀なコンピューター科学者やソフトウェア開発者や資産運用のプロと同等レベルまで)引き上げるべき」という主張で、それは「用務員、駐車係、犬の散歩係、ハンバーガー屋の店員」よりも価値の高いものだ、と案に述べてます。後者は「訓練など受けなくても誰にでもできるもの」だから。
でも、我々の未来を担う子どもたちの将来を大きく左右する育児や教育は、本来は高度なスキルが要求されるものであるから、自分たちのためにももっと評価される世の中にしていかなくてはならない。


…ということで、「やりがいのある仕事という幻想」とは対立してもおかしくない話が展開されてます。
付録の「よくある質問」の2つ目は、これと似たことを述べていると思うので、少し引用します。

Q:介護と育児に価値があると言いながら、その経験を通して仕事の効率や生産性が上がるようになるとも言っています。つまり、収入をもたらす仕事がまだ基準になっているということではありませんか?
A:(要約)おっしゃるとおりです。でも、どちらも(家族も収入も)求めている人が多いと思うので、そう書きました。

「Q」は、著者が複数の意見を要約してまとめたもののようなので、それぞれのご意見者の真意は余計に分かりません。
が、これ、ちょっとズレている回答だと思います。

「経済的価値では測れない社会的価値がある」「経済指標には表れないけれど人生を豊かにしてくれる」と言う文脈で「ケアは大切」と言うなら、それって用務員の仕事だって同じはずなんですよね。

本書の特に「Part2、5 資産運用は子育てより難しい?」あたりでは、「ケアは(経済的指標で見るとしても)こんなに難しい活動であり、だから(経済的指標で計られる仕事と)同じくらい価値がある」と言ってて、「誰にでもできる簡単な用務員の仕事にはそこまで価値はない」というような言い方がされているんです。

その用務員さんがその「誰にでもできる簡単な仕事」をしていることが、誰かの人生が豊かになっていなくて、社会的価値が低いなんて、どう分かるのでしょう?
それって結局「経済的な指標で評価できないものは価値が低い」と言っているのと同じなのでは?


…というのは、まあ極論なのかもしれません。

おそらく著者がこの「A」で述べたいのは、「ケアと競争(収入をもたらし家族を養う仕事)は補完関係にある」ということ。
「経済的指標に直結しない価値を享受する中で、経済的指標で測れる能力も向上する」と延べているだけで、他の意図はあまりないと思います。

「頑張ればすべてが手に入る」と固定概念にとらわれてしまった若い女性が読み手であると想定して、「家事育児ってすばらしいよ」と言いまくるだけでは伝わらないと思って、変に「経済的指標からみても素晴らしいよ!」と頑張って色々説明付け加えました、ということなのかもしれません。

…というわけで、本書は少々自己啓発的な趣が強くて、「意義ある人生を送る人は~~である。」とか暗に「意義ない人生送る人がいる」と勝手に他人の人生決めつけてたりとかマッチョな部分もあるにはあるのですが、それは主義主張というより趣味や捉え方の範疇に感じたので、「やりがいのある仕事という幻想」と根本的には同じ主張なのではないかなぁ、と思ってます。


キャリアをいくつかのフェーズに分ける

なるほどなと思ったのは、「キャリアをいくつかのフェーズに分ける」という考え方。
引用します。
若い人たちに、キャリアをいくつかのフェーズに分けたほうがいいと教えている。
ひとつは、いつでもどこでも出張できて、自由に長時間労働ができる期間。
もうひとつは、それができない期間だ。
私はつい「ずっと同じパターンで時を過ごす」ことを前提で物事を見通そうとしてしまう癖があります。
ALLIANCE」を読んだときも、1番体に馴染ませるのに時間がかかったのが「期間を設ける」ということ。

プロジェクトマネージメントについてはある程度勉強もしているので、「プロジェクト」で考えると自然とフェーズをイメージできるのですが、日常生活とか「社員としての活動」という視点で考えると、ついその感覚を忘れてしまいます。
まだ家族もいないし、自分の人生だけは全部地続きであり、手綱は自分が持てるという思い込んでるからなのでしょうねぇ。
それこそが本書も警鐘を鳴らしている「全部自分でコントロールできるわけない」なのだと思います。

そしてその「フェーズ分け」は、パートナーとよく話し合って、できればそれをズラしあえるのが良い、とも。
両者とも「競争」に全力を注ぎたい時期はあり、そしてそれが都合よくシフトすることなどほとんどないからこそ、よく話し合えと。

だから今は私はまだ全力で仕事に打ち込んだほうがよく、スキルや機会やあらゆる経済的指標の貯金を今まさに、貯めておくべきだなと思います。