大前研一 / 質問する力(国が国民を騙す時代)

クイック本(さくっと読める), manage-strat 経営・戦略・思考, money お金, social 社会

2005年3月刊行。ちょっと古いですが、大前節が痛快なので自身の勉強用にまとめておきます。

カッコの中の「国が国民を騙す時代」というのは、あとがきにて、この本の出版を手掛けた文藝春秋の編集長さんが「本当はその名前にしたかった」というタイトル。
確かに「質問する力」というのは本書の内容にしては弱く、インパクトとしては「国が国民を騙す時代」のほうがしっくりきましたので載せておきました。


※本記事はあくまで本書を受けて自身の解釈を書いたものであり、内容や意見の正しさや確からしさを保証するものではありません

1990年代前半、政府は住宅ローンを奨励したが…

バブルが弾けたのは1991~1993年ごろですが、この頃はまだまだ住宅価格は高値だったらしい。しかし政府(住宅金融公庫)は1993年に「ゆとりローン」を販売。
さらに「ここが底値で買い時だ」という不動産会社らの謳い文句に乗せられて、92年までは年間利用者が50万人だったものが、93年には70万人、94年には100万人へ急増。95年末時点では、600万人もの人が住宅ローンを組んでいる状態だった。

が、結局2000年にかけて住宅価格は数分の1になっていった。
さらに、最初は支払いが少ないけど数年後に支払額が大きくなっていく35年ステップローンの「ゆとりローン」は1985年以前の高度経済成長期のような、どんどん給料が右肩上がりに上がっていく時代ならともかく、失われたウン十年に突入する「給料の上がらない」人には非常に苦しい支払契約となってしまった。

これを筆者は「国民を犠牲にしてでも銀行やゼネコンを救済しよう」としたのだ、とバッサリ。

そもそもバブル崩壊で土地も余り、土地借地権法や、建築基準の規制緩和など諸々の影響で住宅価格はさらに下がっていくことも分かっていた。
不動産会社は当然苦しい。なにせバブル時代にはとんでもない投機熱を利用して詐欺のような土地販売までしていたというのだから、それが一気に冷え込むのは当然。さらに銀行の不動産融資の総量規制というのがあり倒産する会社も。
するとそこに融資している銀行も共倒れとなってしまうから、政府は塩漬けとなってしまった土地を流動化させ、景気を回復させようと、「最後の借り手」である国民にできるだけ高値で買ってもらおうとした、というわけです。

う~ん、どこかで聞いた「トリクルダウン」とかいうのを思い出しますね…。現首相によればそれは起きなかったらしいですが…。
その「お金を握る大組織がなんとかなれば全体もなんとかなるだろう」という発想、自民党殿が律儀に伝統として受け継いでいて、なんだか味わい深いです。。

1985年から世界は変わった

さて、筆者は1985年を境に世界は大きく変わったと指摘。
その大きな要因となるのが、「ゴルバチョフ登場(米露冷戦の終結)」、「プラザ合意」、「Windows登場」の3つ。

米露冷戦の終結

さて、ゴルバチョフは1985年に政権を樹立し、その後「グラスノスチ」「ペレストロイカ」等の改革をしたことで有名。
また、1991年末には当時の米大統領であるロナルド・レーガンと冷戦を終結させていきます。

これはつまり、ずっと冷戦で軍事力にカネや人と突っ込んでいたアメリカが、突然それらから開放されることを意味します。
さらに大陸のストッパー役でもあった日本にはあまり表立って強い態度は取れない、ということがあったのだとしたら、それも大分解消されるわけです。

プラザ合意

これはまさに1985年に合意された、「アメリカの貿易赤字と、日本の貿易黒字を減らすために、日本は内需を拡大する。また円高ドル安にする」と意図的に取り決めたもの。・・・敗戦国ぅ。

為替取引が開始された1949年は、1ドル=360円(円安)だった。日本が安くものを作って輸出しまくって高度経済成長が始まるわけです。

さらに、本書には記載が無かったけど、この頃はちょうど朝鮮戦争(1950~1953)が勃発していたんですよね。ジブリの「コクリコ坂から」の時代です。
アメリカ殿は日本に必要なものを作らせて輸出させていたこともあり、戦後日本経済はどんどん成長を後押しされます。

1971年には金ドル兌換を停止して変動相場制となり、ゆるやかに円は上がっていきますがそれでも1ドル=235円でした。
これがプラザ合意でさらに円高へ向かっていくわけです。つまりこれまでの輸出売上が何分の1にまで減ってしまうという危機。

しかも政府はここでも、国民を犠牲(?)にする愚策を行っていました。
貿易不均衡で対日要求がエスカレートしないようにと、当時の米国債の1/3を日本が肩代わりしていた。が、それは政府(当時の大蔵省)が銀行や生保などを後押ししてドル建てで入札させていたわけです。
円高に際して企業努力でなんとかやっているというのに、政府に掴まされた国債の価値が半減。

そもそも円高ということは海外のものを安く買えるというわけですから、それを活かした政策を国も国民も行えば別の道が見えたかもしれないのに、規制ばかりでそれも叶わなかった。それで経済成長が完全にご臨終した、というわけです。

そして国内のカネ余りが土地と株に向かい、バブルが起きたわけだ。
しかもプラザ合意による円高が生んだこの規制や保護は、非効率なままの銀行や建設業界をそのまま生かすことになり、インターネットを軸とする世界の急激な変化にまったくついていけないということも引き起こす、まさに悲劇だったというわけです・・・(絶望)。

Windows登場(ビル・ゲイツ元年)

これは誰もが知るところであるのであまりメモりません。
インターネットが世界を接続し、ECサイトでどこに居てもモノが買えるようになり、なによりそれまで企業組織といえば産業(工場)を指しておりオフィスや工場が特定のところにドンと構えている形だったが、この頃から企業組織のあり方自体が変化していく。

筆者は1985年をアフターゲイツ(AG)元年とし、それ以前はBG(ビフォーゲイツ)となぞらえています。それくらい世界がここを潮目に変わったのだということですね。

規制や保護は当然必要なところもあると思いますが、個人手に率直に言えるのならば、この頃にもう少し規制緩和して早い段階から世界の変化とガンガン戦えるカオス状態にしておいてほしかったですね。


シンガポールの戦略

資源もなく土地も狭く人口も400万と非常に少ないシンガポール(日本はピークである2008年頃は1.28億)は、放っておいたら生存できない国であるゆえに、戦略によって成り上がってきています。
マレーシアから独立したのが1965年。日本では前年の64年が東京オリンピックです。まさにライジング真っ最中の時代ですね。

まずは公用語を英語に統一し、さらに「自国の資源では生きていけない=輸出入を強くする」ために、隣国に共同投資したりなど外交戦略によって隣国と「互いに利益を生む相互依存関係」を作っていきます。
そして本書ではサラッと書いてあるのですが、日本やイギリス・ドイツなど工業国として栄えた国がまさに頭を悩ませた問題についてシンガポールはサクッと見切って別の戦略で行く動きを取っているというのです。

当初は製造業に進出しようとしましが、国内賃金が高くなってくると、労働賃金が安くなければ成り立たない産業は全てマレーシアやインドネシアに持っていってしまい、本社機能だけをシンガポールだけに集めるという戦略を立てました。
これはまだ理解できます。当時、日本はまだライジング中だったかもしれませんが、すでにイギリスやドイツなど工業先進国は同じ理屈に悩んだはずなのです。
そもそも共産主義が第一次産業革命のイギリスを中心として生まれたことを考えれば、同じ規格の製品をラインで大量生産するタイプの工業生産というのは、基本的に人件費をいかに安くするかで競争力が変わってきますから、人口も少ないシンガポールでそれをやっていたらすぐ負けると分かっていたのでしょう。
しかしさすがなのはこの次。

そのためには空港と湾港が非常に重要となるし、金融も重要だということで、金融、空港、湾港、これに人と資本を集中してアジア一のものを作っていったのです。
そうなんですよね。
シンガポールのチャンギ空港といえばアジアのハブ空港として、どころか世界一の空港として有名です。開業は1981年。
日本がまだまだ高度成長期の余韻に浸っていても食って行けている時代に、シンガポールはすでにそこまで考えて整備を進めていたわけです。

さらに1984年にはIT戦略の政府組織(NCB)を作り1992年に「IT2000」という計画を打ち出し、ITに力を入れて先進国となることを宣言。
日本がIT戦略と言い出したのはその10年ほどあと。2000年に情報通信技術戦略本部が設置され、IT基本法が制定されています。

日本はヤバいということを直視しろ

バブルが崩壊してから下り坂の日本経済は、2002年3月には、すでに上場企業の損益を足し合わせると1兆円程度の赤字になるほどだった。
これを「不景気」として、いつか「好景気」が戻ってくるだろう(景気は循環する)という感覚でいても、一項に景気は良くならない。
なぜならそれ(景気後退)はもはや人口動態からみて必然であるから。

日本人の平均寿命は2002年時点で41歳、65歳以上は全人口の18%。
(2020年に48.4歳、65歳以上は全人口の28.4%)
本書では「40年もすると平均年齢は50歳を超え、老齢人口の割合は30%を超える」と書いてありますが、40年どころか20年でそれに到達する勢いです。

さらに就業人口は、当時の日本が6400万人、アメリカが1億3000万人、中国が7億人。当時のGDPはざっくりアメリカの半分でこれは就業人口の比率と同じ。
日本はそもそも就業人口が毎年60万人ずつ減る計算であり、これが構造的に毎年1%のデフレ要因を抱えているとも言える状況。
アメリカは移民でむしろ人が増えるし、中国も一人っ子政策で高齢化も進むけど7億人という就業人口は大きく変わらないはず。
(2022年現在、日本人の就業人口は6700万人、アメリカの就業人口は1億6000万人、中国は7.8億くらいであり、合ってますね。)
(日本は思ったより横ばいですが、もしかしてこれって女性がパートや派遣で働き出したのと関連があるのでしょうか…。2011年の男女共同参画局のワーキンググループにてどストレートな提案書がありました。)

すると、もしも今成長しまくっている中国の一人当たりGDPが2050年に日本の1/4だったとしても、国民総生産は日本の3倍です。
実際には2010年にGDPを追い抜かれ、2022年にはすでに中国の一人当たりGDPは日本の1/4に達しています。(ついでに韓国にはそろそろ抜かれます)

「少子化が問題だ」と強く騒がれ出したのはここ10年程度の話だと思いますが、もはや「今更ナニ言ってるのw」と世界から失笑を買っているレベルなのかもしれません。
ここでは大前さんは「従来の公共工事や補正予算、減税、といったやり方が全く奏功していないのに、政治家や財界は相も変わらず景気対策の必要性を念仏のごとく唱えているだけです。」と、「景気の問題なんかじゃない」と断言しているわけですが、「アベノミクス」「超低金利政策」「トリクルダウン」などの景気対策で株価が上がり内部留保が増えただけで、まさに「次の10年で決定的に」なってしまったわけですね。

余談ですが、海外留学をしたこともある友人が「日本は狭くて人口も少なくて何もない国なのに、技術力で世界上位に君臨しているすごい国だ」というような趣旨のことを言っていました。間違いとは言えないとは思うのですが、日本が(GDPなどで)2023年である今も世界3位の地位にいるのは「(就業)人口が多いから」という要因も強いわけです。
確かにテレビでも「日本は小さい島国なのに技術者が優秀で世界を相手に」という論調が基本のように感じます。
局所的に見れば優秀な人材は非常に多いのだと思いますしそうであってほしいですが、人口動態はそういうレベルの話ではないわけですよね。
すでに一人当たりGDPは先進国の中でもだいぶ下の方(28位)と急激に転落している(日本は成長していないのに他の国が成長している)ということをもっともっと大々的に報道すべきだと思います。

自浄能力が弱すぎる(お前はそれでも日本人か?)

さて、これらの現状に対し「質問する力」が弱いのだ、「なぜ○○なのか」と疑問を持ち調べればわかることをなのにそれをしないのが問題である、と大前氏は強調。
「情報を鵜呑みにするのではなくまず疑え」論調はビジネスでも政治でもいろいろなところで言われている話ですが、やはり「疑問を持たないこと」自体を問題視されています。
成長している時は、政府や会社のいうことを聞いていればだいたいみなが幸せになりました。
ところが、それが成長しないとしたならば、あなたの面倒を政府や会社はみてくれなくなるわけです。
だから、ちゃんと質問する力を身に着けろということですね。
そしてそこから問題点を見つけ出し、改革に着手すべきだと。

しかし大前氏は「日本人は(たとえ問題を分かっていても)改革をやりづらい」という問題も挙げています。
日本人は「慣行」に疑問を投げかけボートを揺らすことを極端に嫌うため、問題点がわかっていても外国人に実行してもらうという場合があるというのです。
つまり日本人が改革を行うと、それまでの慣行で飯を食っていた人間やそれを見たマスコミなどから「お前はそれでも日本人か」「血も涙もないやつだ」と非難轟々になってしまうので非常に実行がしづらい。
Twitterなどで簡単に「炎上」する様がありありと思い浮かびます。

実際の例として、1つにはゴーン氏が行った日産の改革。
1150社もあったサプライヤー(部品などの取引先)は、OBが行っていた子会社など、たいした価格競争力もないのに付き合いで契約が続いていたものなどを一気にカットし600社まで減らしました。
確かに関係者が多い分、日本人がやったら「これまでの縁や諸先輩方の面目を潰し、自分だけ生き残ろうとした酷いやつだ」的な論調で悪者扱いされかねないなと感じます。


さらにもう一例は新生銀行の誕生について。
新生銀行(現在はSBI新生銀行)はもともとは「日本長期信用銀行」という、普通銀行とは違う銀行でした。
長銀法(※)に基づいて運営されていたけれどバブル崩壊で破綻し、一時国有化の末に普通銀行として誕生したのが新生銀行。(同様に日債銀はあおぞら銀行となった。)

※長銀法 戦後、回収に1年以上かかるとされる長期資金の貸付金が足りなかったために、復興維持のため金融債というのもの発行できる「長期信用銀行法」を制定した。興銀、長銀、日債銀の3銀行があったが、現在では長銀行に基づく銀行は無い。

さて、公的資金を6兆円も投入して、さらに一時国有化。そしてもう不良債権はありませんと売りに出したわけですが、これを買ったのが外資ファンドのリップルウッドだった。

そこに「瑕疵担保条項」という、「不良債権が残っていたら政府が買い上げる」という条項が入っていて日本人は騒いだわけです。
瑕疵担保条項なんてビジネスの基本のような気がしますが、どうやら「回収見込みのある取引先へ貸し剥がしをすることで不良債権化させ、それを日本政府に瑕疵担保条項を理由に買い上げさせた」という問題のようです。(ライフ、そごう、第一ホテル等が挙げられる事が多いようです)
本当に回収見込みがあったのかとか、モラルが云々ということはひとまず置いておくとして、ここで重要なのは「そんなに外資に文句言うなら、じゃあどうして日本企業が買わなかったの?」ということ。
どうも大前氏の書きっぷりによるともともとはそんな条項はなく、「政府がきれいだと言うのだから信用しろ、政府を信じられないとでも言うのか?出るとこ出るか?」みたいなヤクザのような状況だった、で、日本人はなんとなくそのことを理解していたから誰も買わなかったのだ、というのです。

さらに問題なのは、日産の時と同様、身綺麗にするためにはこれまでの付き合いの相手を切っていくような動きがどうしても必要になるわけですが、やはりこれを日本人は(日本人に)許さないというわけです。
不振な企業への融資を預金保険機構に移したり、危険な貸出先には金利を上げたり、場合によっては融資を中断したりなどの厳格な判断が必要です。が、これをやるとやはり大バッシングを食らってしまう。
日本人が買った日債銀(あおぞら銀行)のほうは、まさにそれで身動きが取れず就任間もない頭取が自殺する事態に。


日本人は誰も買わなかったから、手を挙げたリップルウッドに買ってもらうために瑕疵担保条項をつけて、そして結局、やっぱり不良債権が2兆円も残っていた。
政府は瑕疵担保条項に従い1兆円で不良債権を買い取っています。
リップルウッドは10億円で長銀を買い、4年間で1000億円以上の利益を得た。

一応その後の話としては、2021-11-04 のこの記事↓から、4年間のハゲタカ後も新生銀行は辛い経営となったことやSBIに敵対的買収されること、そしてあおぞら銀は公的資金を完済し終えているのに新生銀行は完済できてないことなどが記載されてます。

【新生銀行】買い手に「食い物」にされた旧名門行の買収トラウマ
ついでに最新の状況ですと、新生銀行は上場廃止になるようです。


う~ん、まあ「中小零細企業に補助金を出して延命するのではなく、潰れるところは潰れていただいて競争力を高める」という議論が今も「中小企業を見捨てるのか」と批判されるように、どうもよくない意味での義理と人情に日本人は弱いんだなぁと改めて思いますね。
市場は資本主義だけど、労働実態は資本主義じゃない感じというか。
一応サラリーマンなのでその立場からすれば非常にありがたい反面、サラリーマン根性って本当にビジネスを産まないから今よりは解雇をしやすくするべきなんじゃないかなと思ったりすることもあります。


日本政府はとうに破産している

年金は支払予定に対して収入が不足(年金債務)し、それが800兆円。国と地方が出している国債と地方債が700兆円。
これらを企業と同じようにバランスシートに計上したとしたら、日本政府はすでに破産状態と言える。
まずは掛け金を上げ、年金支給年齢も引き上げ、そして破産したらなにもかも…。

さて、世界にはムーディーズとかスタンダードアンドプアーズ(S&P)などの格付会社というものが存在し、世界各国の債権を格付けをしています。
本書によると日本国債は昔は最高ランクの「Aaa」などだったらしいのですが、2004年ごろはこのムーディーズがどんどん格下げをしていたらしい。で、それを見て日本政府(財務省)が「意見書」なるものを書いて提出するなど滑稽なムーブをかましていたと。
格付会社が評価しているのは「単に日本が借金を返せるかどうか」であり、財務省がご意見しているような「日本国政府や日本人の評価」ではありません。
だけどそれを勘違いしており滑稽であるということですね。
2000年くらいだと税収は50兆円にも関わらず、80兆円使うために30兆円は国債を発行している。
そんな人がさらに700兆円借りてしまったら返済能力なんてあるわけないのだから、格下げは妥当であるとのこと。
2022年は65兆円ほどで、新規国債発行額は概ね40兆円前後。
コロナ禍の2020年は108兆、2021年は60兆程度のようですが、歳出も増えているので、歳出を税収を税収で賄えるのはやはり5割程度で推移しているようです。)

2022年12月27日 過去最大114兆3812億円 ―23年度予算案 : 社会保障費が36.9兆円、防衛力強化
https://www.nippon.com/ja/japan-data/h01546/
ちなみに、以下の記事などを読むとその後も格付会社からの評価は上がったり下がったりを繰り返しているようですが、一応「一般に投資適格とみなされるA格」から降格したりはしていないみたい。

2022年12月01日 日本の安全神話が崩壊?日本国債が相次いで「格下げ」された理由
https://media.finasee.jp/articles/-/11453
2011年8月24日 情報BOX:ムーディーズ・S&Pの日本国債格付けの推移
https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-22842820110824

で、この「意見書」にはこういう記述があります。

・マクロ的に見れば、日本は世界最大の貯蓄超過国
・その結果、国債はほとんど国内で極めて低金利で安定的に消化されている
・日本は世界最大の経常黒字国、債権国であり、外貨準備も世界最高


これを大前氏は、個人金融資産を国債の返還に使えるというような役人や政治家の言い方はおかしいと指摘。
また、外貨準備高も国民や企業のお金であってサイフが違うからアテにしてもらっては困る。
そもそもこういう発想になるのは、「彼らが潜在的に国民の資産を当てにして、自分たちの借金を踏み倒そうとしている」からだとバッサリ。
返済するオカネがないなら、税金上げればいいじゃな~い、ということですね‥。

…経済の難しいところは不勉強で意見ができませんが、そう言われれば確かにそうです。
あくまで資本主義構造で動いている以上、その税収で公共工事やってオカネが回るんだからいいじゃないとはならないわけですよね。仮に日本国が完全に鎖国していて、増えも減りもしない銀貨金貨がグルグル循環するだけでいいならいいのかもしれませんが、そもそもそんな完全鎖国は無理です。

日本はしかも銀行や生保、ゆうちょなどに国債を買わせまくっているため、もしもデフォルト(債務不履行)を起こしたらそれら金融機関が軒並み吹き飛ぶと指摘。国や大企業もアテにするなと書かれています。
最近では「年金に頼れないから老後2000万貯金しろ」と言われて盛り上がったり、NISAで資産運用させたりと、まさに個人資産をアテにしている感マシマシな状況ですね。



株価と景気は関係ない

株価とは企業価値であって、つまり日経平均も同様です。
そして景気とは野村証券のサイトから引用するならば「売買・取引などの経済活動の状況のこと」です。
ということはこの2つは相関はあったとしても、本来関係がない概念です。

「景気が良ければ株価が上がる」ようなことはあるのだと思いますが、日本で(景気が悪くて)売れなくても海外で売れていれば株価は下がらないはずですし、大前氏いわく「リストラをやって収益力をつければ、失業率が高くなって、失業率は改善」するわけであって、景気も、株価も、失業率も根本的には関係のない概念なのだと。

なので「失業対策のために景気対策をやって株価を上げろ」とかいう論法は「国家騒乱罪で幽閉しろ」だそうです。笑
国家騒乱罪とまでは思いませんが、つまり、人がたくさん雇われれば・物がたくさん作られれば・物が沢山買われて企業業績も良くなるはずだ、という、どこの高度経済成長期?いつのバブル?みたいな論法というわけですよね。

さらに株価が下がると、日銀が銀行の株を買ったり、デフレ対策として政府が失業対策をやったりなどしていますが、そもそも当時の日本人は資産に株をほとんど組み込んでいないので株価が下がっても困らなかったはずなのです。
つまり日本が助けたかったのはやはり銀行。なぜなら国債を大量保有している銀行が吹き飛んだら困るのは国だからです。
(※2022年現在は、その政府までNISA激推しして「自己責任」で生きていってもらうためにかなり多くの割合の人が株で資産形成しているのではないかと思ってますが。)


そして、「不良債権処理は本当に景気によいのか?」というのも声に出してみるべき質問だと言います。
不良債権処理とは、つまり損切りのようなもので、経営が危なくなっている企業から貸し出したオカネを数割でもいいから回収してしまうということです。すると何が起きるかと言うと、まず借りていた方は潰れますし、銀行側は回収できなかった分が損として確定します。
当然、企業が潰れて銀行に損が確定しただけで景気は良くなりません。そして何より問題なのは、こういう不良債権処理で生まれた銀行の損失を「公的資金の注入」という形で国民に肩代わりさせること━━。
そりゃあそうだ、起業の失敗と銀行の損失を、なにゆえ国民が税金で補填してあげないといけないのか?

※ちなみに私はこの「公的資金の注入」というのはてっきり返済義務はないものだと思っていたのですが、上記新生銀行の記事を読んで「一応返済義務はある」ものだと知りました…そうじゃなかったら余計にダメですよね。そんなの後出しジャンケンの補助金だもんね。


銀行? 潰れればいいんじゃん? 誰が困るん?

さて、不良債権処理も株価のテコ入れも、さらにペイオフ解禁の延期(2004年)も、全ては国民のためではなく銀行を助けるためだった。

実は銀行というのは潰れてもよいのです。
もしも国内全ての銀行が潰れたとしても、融資を欲している企業が無くなるわけでもないし、新規参入を狙っている企業も多く、既存の銀行が潰れてもすぐ新しい銀行ができる。
だから銀行ではなく、預金者の預金を保護してくれればいいのです。

さらには低金利も銀行を助けるためのものです。
なぜなら預金者には雀の涙ほどの金利しか返さないのに、貸出先の企業には数%で金利を取っているのです。で、その差額で何をしているのかというと不良債権処理に使っているのだという。
つまり自分たちの不始末の処理のために、本来預金者のものである儲け部分を使っている。
しかも銀行は本来のその貸出業務を絞って国債を買っている。預金者に金利も払ってないし貸出業務もしてない。しかもみずほ銀などはシステム不全で決済の支援というシステムすら機能していない…。

なんとなく日本は(どんどん変わっていることに何故か気がついていないふりをして)、「変わらない伝統的なものが一番美しい」のような価値観があるような気がしています。
私は「老舗のブランドは、昔から変わらないのが素晴らしいとなぜか皆思ってるけど、実は時代によってロゴを変えている」という話がすごく好きでして、つまり時代が変わっているんだからそれにちゃんと対応し続けているからこそ生き残っているんだということです。
ブランドというのは「時代は変わっているのに、変わらない信頼」を築き上げ続けているのがすごいのであって、本当に何もかも変わらなかったら多分潰れてるんですよ。

そこを勘違いして、「すごかったアレを延命させ続ければ、過去の栄光が再び来るかも」みたいな、旧体制を「そのまままるごと」延命すること事態に意義を感じがちな気がするんですよね‥。
「日本は自浄能力が弱すぎる」のも似たような感覚です。

2023年現在は、資産は分散せよとか、金利もつかない銀行に預けるより株やNISAで資産形成しろとかが当たり前になってきましたが、さらにスマホの普及や電子決済や仮想通貨の出現により利用者側にも「現金も使わねぇし金利もつかねーし銀行っていらなくね?」という空気が出てきたように感じます。
いよいよ、旧体制の銀行がほんとうの意味で危機となってきそうですが、果たして日本政府はどう対応していくのか、注視していきたいところですね。


日米安保に反対しながら北朝鮮の脅しに乗るのは矛盾である

2002年9月、当時の小泉が北朝鮮の金正日と交渉したのが話題になりましたが、大前氏はそんなことに意味はないと一蹴。
こちらも「現在のソレを延命しても何の意味もないよ」論法ですね。
仮に金正日が開放路線になったとしても、歴史上そういう場合はだいたい別の人に取って代わられるわけ。それに人道支援といってコメを送っても、政府がどっかに売って軍事費に回してるだけなんだから、「それで何人の国民に何キロの米が配られたのかの証拠を出せ」といった多分妨害されるんだと。そんなことしてないで放っておいて、新しい政権を支援したほうがよっぽど飢える国民を減らせるだろう。

北朝鮮はミサイルで脅してるけど、それに屈せず毅然とした態度でいなさいと。
北朝鮮がなにかしたらアメリカが嬉々として潰しに来るはずだし、そのために日本は米軍のために思いやり予算だとか土地を提供したりとかしているわけです。
それに日本は原子炉を持っている時点で、開発しようと思えばものの90日程度で核爆弾を作れると大前氏。それに中国も立場上、北朝鮮の暴発を許さないはずである。
「もちろん、最初の暴発ではある程度の数の国民が犠牲になるかもしれません。しかしそれは覚悟しなければだめです。」


そして原発についても言及。
この書籍が書かれたときには当然2011年の311は未経験ですが、「東京で使うなら僻地に補助金払って作らせてもらうんじゃなくて東京に作ればいいし、原子力は使いたくないというなら住民投票でもしていかに他のエネルギーで賄うかというのを自分たちで決めさせればいい」とコメント。
大前氏は日立製作所で、原子力開発技師として高速増殖炉の開発に従事していたことがあるらしく、原発に反対する住民への説明で「安全だ」と説明したがった電力会社を「ぶん殴ってやりたい衝動に駆られた」と述懐。
絶対安全ということは科学的にもありえません。結局は、効率、環境への配慮、経済性などを総合的に比較して選択していくしかないのです。
ついでに原発関連では、東京電力が「ひび割れを隠していた」と告発があった件でマスコミが騒いだ話も出てきます。
確かに最初の告発は報告をすべきものだったが、その後「他にもないのか」と叩いて出てきたようなものは、そもそもその報告を受けたとしても良し悪しを判断できない官僚に説明しても無駄だから、許容量をなんとなく合意して報告していなかったものなのだという。
まあこれは、「これくらいの傷は稼働には問題ないので報告しない」と基準をあらかじめ決めて合意すればいいだけの話のように見えますが、大前氏によれば「作った時と全く同じ状態を維持せよ」というような決まりになっており、でも機械や素材というのは傷んだり古くなったりするのは当然であってこんな条件は無理なので、企業側でなんとなく許容量を判断していた。
そういう条件を作っちゃう役人側もどうかしていますし、そういう条件にさせようとした有権者もどうかしていますし、そして3年とかでコロコロ異動する官僚が、各専門の判断ができないというのもかなり問題がある。

ところで個人的な話ですが、私が仕事で関与することのある小規模の官公庁案件でさえ、官僚が3年で入れ替わる上に何の知識もないので、ベンダー側の担当者が全てを把握していてコントロールせざるをえない、という状況なのをいくつか見てきました。
仕方ないと思う反面、それでいいのかとも思いますよね。適切に判断するのがあなた方の仕事なのであって、「何にも分からなくても適切な判断になるように提案してください」って、あなたの存在意義はなんなんですか?何のためにあなたの給料を税金から払ってるんですか?っていう気分になりますよ。
(もちろん個々人を責めるわけでもないし、癒着したりするとまずいので強制的に剥がすのは悪くないことだと思うんですが、剥がすべきなのは現場の担当者よりもトップにいる高給取りで昭和脳のご老人がたなのでは?・・・・と思ったり思わなかったりです。)


郵政民営化は失敗だったのか

本書は2004年頃に執筆された本なので、ちょうど小泉劇場で郵政民営化の議論がされていた頃です。
郵政は郵便・貯金(ゆうちょ)・保険(かんぽ)の三事業があり、ゆうちょとかんぽで国民から集めた360兆円という多額のおカネは「財政投融資」という形で財務省から自治体や国の作った特殊法人に貸し出されていた。これが要因の一つとなり日本各地で不要な公共工事が進められたり、利権が政治のあり方を歪めているということで、国家財政から切り離すべきというのが、本書における小泉さんの主張です。
「財投」はかつて年金からも預託を受けていたようですが、公的年金流用問題を受けて1997年頃に廃止されており、その流れもあるのでしょう。理由自体はそれなりに妥当のようですが、果たしてそれは「民営化」をしないと改善できなかったのかと問われるとナゾではあります。だって年金のように「郵貯は財投に預託禁止にし、財投は独自に財投債を発行する」とすればいいだけ・・・・・ですもんね。
大前氏は、元銀行員である小泉さんが民間銀行よりも優遇されているゆうちょを潰そうとしたともとれると書いています。

問題なのは、民営化の実現可能性や妥当性です。
2023年現在、国が100%株を持つ日本郵政株式会社が作られ、それが郵便・貯金・保険の三民間組織の株を持っており、貯金と保険はその比率を数年内に大幅に減らしていく予定となっています。また、日本郵政・ゆうちょ・かんぽは2015年に上場して株式公開しています。
株式会社に際してはこの記事がわかりやすいです。
https://newspicks.com/news/1103162/body/
実現はしていっている最中ということですが、2007年頃に民主党政権が中途半端な法律にしてしまった(という意見が多い)など、想定していた効果があったのかは非常に疑問視されている様子。
また、ややこしいのは三事業それぞれの課題が「郵政民営化問題として」同時に出てくること。
気になった問題を列挙してみます。

1、【郵便】郵便事業のユニバーサルサービス(全国一律でサービスを維持する)問題
2、【郵便】郵政民営化で(おもに郵便の)サービスが向上するのかしたのか問題
3、【郵貯】ゆうちょの自己資本比率が低すぎる問題(都銀では預金に対して8%ほど自己資本がないといけないが、ゆうちょは利益を政府に上納していたので1%も自己資本がない)
4、【郵貯】ゆうちょは少ない自己資本の8割を国債購入に充てている問題

1、ユニバーサルサービス問題

郵政民営化が議題に上がる時には「全国一律で同じサービスを提供しなくてはならない」というユニバーサルサービスが問題に上がります。
しかし、インターネットの普及等で手紙のやり取りが激減、さらに都市に人が集中し地方から人が減り高齢化しているという時代にあって、採算が取れないというのは各国の郵便事情でもほぼ同様の問題らしい。つまりその事業では儲けられないので民営化は馴染まないということです。
さらに郵便部門の2000年の資産状況としては、2兆7000億円の資産に対して負債が3兆3000億円。職員の退職金などを勘案すると債務はプラス2兆円。つまりすでに債務超過で赤字。そのうえ採算見込みのないユニバーサルサービスを維持しながらなんて、そもそも民間で戦えるわけが無いというわけです。結局、郵政民営化法によって、郵便事業(日本郵便)だけは日本郵政に100‬%株を保持されていますので、これが大きな理由だと思われます。
ちなみに本書によれば、総務省が郵政民営化を阻止しようとした際に「民間企業が『信書』を扱うためには、10万本のポストを設ける必要がある」という文言を法律に入れ、「(個人名が宛名に入っている)DMは信書である」としたために、結局民間が参入できなかったとあります。う~ん。

2、サービス向上の問題

こちらは本書にはほとんど記載はありませんでした。
民間だからこそのもっと自由な新規サービスを展開できるようになる、と、ドイツなどの前例を取って期待されていたらしい。
2023年現在、ハガキの郵送料が上がり、土曜配達がなくなったというサービス低下以外には何も起きていないと思われます。
これは法律などののっぴきならない事情でそうなっていただけなのか、「郵便を運び、地域に根ざして地元の人の窓口として気持ちよく応対することが使命」といったような公務員魂というか、利益追求という姿勢を持たない組織が何も出来なかっただけなのか、…は分かりません。
個人的には後者なのではと考えますが、いずれにしても、債務超過なのに黒字を生まないと思われるユニバーサルサービスは維持しながら新しいサービスやれと言われても困るのは理解できます。
ただし、2023年最近はその全国拠点を活かして地域ごとの様々なサービスをやるべきだと前向きなビジョンが出てきてはいるようです。

3、自己資本比率が低い問題

こちらは本書に記載があります。
そもそも自己資本比率が民間の基準に達してないのだから体質的に無理だというのです。
こちらに関しては、2023年時点で銀行業の総自己資本比率が15.3%ということで、国内ではセブン銀行に次いで2位。結果的には解決したという状況のようですね。これは結構すごいことなのかな。

4、国債買ってて意味あるのか問題

こちらも本書が問題視しています。
銀行というのは集めた資金を運用し、企業の発展に貢献し、預金者には利子を返すというビジネスであるべきなのに、国債を買ってるだけではその使命を果たしていないというわけです。
ついでに日本の保険会社や銀行は多く国債を購入しています。銀行が自己資本比率を計算する際(自己資本÷総資産)の総資産には「国債はリスクゼロなので入れなくていい」というびっくり仰天ルールがあるため、国債をいくら買っても自己資本比率は変動しないことになるはずです。
保険にも「ソルベンシー・マージン比率」というものがあるのですが、こちらは国債が計算式に影響するのかしないのかはイマイチよく分かりませんでした。(平成19年に金融庁が出している「ソルベンシーマージン比率の算出基準等について」という資料を検索したら「安全資産である国債」と書いてあったので、国は「リスクゼロ」として扱いたいというのは間違いないでしょうね。)
いずれにしても、銀行や保険会社にも、政府にも都合がいいからそうなっているということのはずです。でつまり、日本の国債の利回りは低くて有名ですから、銀行や生保側の運用益も低いわけです。
というわけで「銀行に預金する」というのは元々利回りの低い国債をもう一枚噛んで購入しているようなものです。もはや国債直接買った方が利回りがいいし、日本政府だって債務超過でいつデフォルトするかも分からないのに、なぜみんなゆうちょに預けるのかと筆者は疑問を投げかけています。(カモがネギを背負ってやってくるようなもの、と書かれています)


さて、結果的に失敗だったのでしょうか。
何を持って失敗と言うのかは分かりませんが、少なくともサービス向上はしていないが、株式公開で透明性は上がったという状況と思われます。
個人的には、もう少し資本主義的な視点で戦おうという気概が(無理矢理にでも)押し付けられた事自体は悪くないんじゃないかなと思ってます。

ちなみに大前氏は本書においては、「全部解体して、郵便だけは地域ごとに配達公団を作ればいい」と主張されています。
ちょうど2023年現在、物流クライシスに陥りかけていて、まさに大前氏が述べているように「同じ家に一日に何度も別の人間が配達にくるのは非効率」あたりも効率化していけたらよいのになあと思うのでした。



道路公団も民営化したが…?

さて、高度経済成長期(1956)に高速道路を作るために設立された道路公団。
こちらも民営化されて現在ではNEXCOとなっていますが、民営化されたのは2005年です。本書(2003)では民営化が決まり議論がなされているという状況。

もともと道路公団は、戦後のモータリゼーションを進めるためにまとまった資金で高速道路を整備していくために組織されたもの。
明治~戦前ごろまでは鉄道が主役の時代で、鉄道は戦争にも大いに影響を与えましたが、戦後は一個人が車を持つようになったため高速道路の整備が急務でした。

ところで海外の高速道路は無料のイメージですが、日本も当初は「20年後には無料にします」と言っていたそうです。ところが未だに無料になる気配はゼロ。これは、返済が終わった道路でも料金を徴収し続け、そこで得た資金で次の高速道路を建てるというやり方をしていたため。
さらに天下り先としてちょうどよく、道路を建設する業者とも癒着して不必要な道路を次々に作っていった(道路族議員と呼ばれたらしい)。借金は40兆円。そしてこれらが問題視されて民営化の流れとなったわけです。
これでエリアごとのNEXCOに分割され、借金は「日本高速道路保有・債務返済機構」という独立行政法人で返済していく形となりました。これが2005年のことです。
(ついでにこれは「JR方式」と呼ばれ、国鉄がJRに民営化した際も同じ動きをしたそうですが、結局返済しきれず、ほぼ国が負債を吸収し、未だに毎年税金から1兆円近く返済し続けているとのこと。よって失敗と言われることも多いようです。ちなみに、令和5年3月1日の財務省によると残りの返済額は「15兆5,678億円」とのことです。)

(なんだか、こういうのを見てきた世代の少し下で育った自分らの世代は、政治に偏見を持ってて当然だよなあと思います。それもこれも「団塊の世代」やら「急激な高度経済成長期」などという一時的な祭りに日本全体が踊らされたツケという感じですが…。徳川幕府だったらもうちょっとうまく民主化したんじゃないかとさえ思ったり…)

さて本書はまだ民営化前であり、大前氏は民営化に真っ向反対しています。
道路は儲かる区間だけ繋がっていればいいという類の物ではなくネットワークなのだから国の仕事だというわけです。
そして公団は廃止して建設は国の仕事とし(建設費は税金から捻出する)、借金返済には「プレート課税」を提案。プレートというの車につけるアレですね。高速道路の使用契約をした車のプレートは色を変えるということらしい。
高速を使う自家用車に年間1万円、トラックなど商用車は年間30万円を、向こう13年間支払えば40兆円は返済できるという計算です。そして14年後にフリーウェイの文字通り無料にし、補修も国道と同じく税金でやる。
当時はECがそこまで普及していなかったと思われ、大前市はこれで「料金所を撤廃できる」と述べています。

なるほど、都度課金ではなく、よく使う人にそこそこ負担してもらい短期集中で返済し、建設は補修などは普通に税金でやればいいと。分かりやすい案ですね。

大前氏は「ドイツもイギリスもアメリカも高速は無料である」と記載しているのですが、2023年現在、どうも一部有料化の流れもあるみたいです。高度経済成長期にバンバン作った道路の補修時期が一斉に来ていて、税金ではまかない切れない場合があるようです。


税金は誰のもの?(国債は未来からの借金)

2002年頃の長野のダム工事(浅川ダム・下諏訪ダム)を取り上げ、「そもそも市民のためには不要なダムなのに、ダム利権者のために作ろうとしていた」話を紹介。

どうして不要なダムを作るのか。それは「使われるのが自分たちのお金ではないと思っているからです」

そう、関わってる人たちはみんな、「ダムそのものは不要かもしれないが、誰かのオカネで自分が潤うのだからいいじゃないか」と思っているわけです。
建設費は265億もかかるが、その8割は国が出している、つまり税金、しかもそれは国債であって国債を購入してくれた人にいつか返す必要があるわけで、ということは未来の人たちから借金をしているということになります。
もちろん、経済発展させてその子孫に幸せに生まれてきてもらうために必要な投資なのだ、という税金の使い方なら健全なのでしょうが、ただカネがもらえるからと工夫や発展の余地もなく不要なハコモノを作って子孫に借金させていたのでは……そんなものは左派も右派も「けしからん!」と言うはずなのになんなんでしょうか。
…まあ、答えとしては、有権者は「今」カネがもらえるかどうかしか考えてないから、、もっと言えば有権者の大多数を占める団塊世代(つまり老人)がそうであるからということになると思いますが…。

大前氏はここで、「そんなものは支払えないと若者が言った時、削られるのは医療費や老人福祉であり、因果応報で困るのはコスト意識ゼロで借金を残してきた老人たちだ」という趣旨のことを述べています。
が、そうではないから「逃げ切り世代」とか言われるわけであって、ギリギリ逃げ切れちゃうから勝手なことをやってるんだと思うんですよね。
ほんと、時代がそうさせてしまったというだけで一人ひとりに悪気があるとは思いませんが、世代間格差のある選挙制度って本当によくないよなと思いますね。時代が少し違うだけでぜんぜん違う人生になってしまうので、人口の数に比例して票の格差を無くす選挙制度ってできないんでしょうか…。


ちなみにその長野のダム論争は、田中知事という方が「不要なダムはつくらない!」と選挙で勝って、建設は途中で中止になり、その他にも地域や時代にあった政策を行っていったという「ギリギリセーフ」的な結末だったようです。県知事って割と権限があるらしいのですよね。

この話に絡めて、大前氏は「道州制」の導入を提案。
日本を人口一千万くらいの11ブロックに分け、そこで殆どの政策を自由に行えるようにする、というものです。
日本政府は国として、外交、憲法、防衛や防災を含む安全保障、通貨の発行と流通などに集中せよと。

最近は流山市など、特色のある市長の街に人が集うみたいなことが起きています。
災害が起きると「地元じゃないと生きていけない」という人(特に老人)ばかりフォーカスされますが、例えば北海道の炭鉱町なんて一気に栄えて一瞬で衰退したように、今も昔も現役世代はちゃんと「仕事がある地域」「住みやすい地域」に移動するのです。
まあ、全体的に人口が急減する日本国内で市や県が頑張って「人口が増えてる」みたいなのは「国内で奪い合ってるだけだ」的な論調もありますが、それこそ「イケイケな市だけが儲かって国力全体は下る」みたいなことはないように考えるのこそ国の仕事なわけですよね。
地元の業者を延命するためだけに補助金配って地方の(不要な)公共工事するんではなく、国も県も、いかに発展させていくかという視野で政策を行っていくべきですよね。
国がしっかり見極めて指導しろというのもあるし、地方も地方で国のカネや指示を待つんではなくちゃんと自ら考えてやるべきです。そして民主主義である日本は国民も「そうなる」ように投票すべきですね。


質問せよ。解を考えろ。

論理的思考能力が大事である。
今の日本の教育も、欧米に追いつく事と戦争に勝つことが大事だった明治期に作られたもので解ありきの教育だったが、今はそれではダメだと。

そして解を自分で考えてみる。
例えば冒頭で出てきた不良債権の話を「自己責任」と切り捨てていては働き盛りの現役世代が借金にまみれて元気がなく経済発展し辛い。そういう人たちを救って日本経済を元気にするにはどうしたらいいか、考えてみてくださいと。

大前氏は一案として「個人に企業会計を導入すること」を挙げています。
全部借金を帳消しにする徳政令はやりすぎだけど、そこまでいかずとも、企業のように時価会計で株や土地の価値が下がったら損失に計上して良い(その分税金控除される)という形にすれば多少は救いがあります。
なるほどこれは…いいですね。

さらに、不良債権を無くすだけでは景気はよくなりませんから、どうすれば経済発展を起こせるか。

これは大前氏は「新産業を興す」一択だと言い切る。
問題点をあげつらって改善策をいくら論じていても、経済は拡大しないというわけです。

そしてそのためには、まずは国民の資産の半分以上を持っている老人世代のお金(貯金)を適切に流通させること。
いざというときの自分のために溜め込んでいる老人が多いけれど、多少切り崩してでもなにかに使いたいと思ってもらう商品開発が必要。
例えばリバースモーゲージ(自宅を抵当に現金を借りられる。返済は無くなった後に家を売り渡すという方法)とか、生命保険を抵当にするとか。らしい。ちょっとこれはあんまりピンときてないけど、これは亡くなったときに相続されず市場に戻ってくるからということなんでしょうかね。
そのほか、家を建て替えさせるとか、一人で広すぎる持ち家に住んでいるご老人を3人あつめて、1軒をバリアフリーに補修して残りの2軒を売ればそれで介護費用が捻出できる。話し相手もできるし介護人も雇える。
う~んなかなかすごい案です。


終盤には、どうしてこんな状態になってしまったのか、という考察が載っています。
簡単にまとめると、戦後に欧米という「ゴール」が見えている状態でたまたますごくうまく行ってしまったのを自分たちの実力だと勘違いして後先を顧みない案を乱発、国民も任せきりで経済がうなぎのぼりでいい感じになってしまったので他人任せ。

そして、今の仕掛けで選ばれる政治家が経済やITを中心とした今の世の中を導いていくことは難しいと思うなら、政治家になる人の条件を考え直す必要があるのではないかとか、官僚たちが勢力や権益の拡大にしか興味がないのではと思われるのなら官僚制度をご破産にするしかないのではとか、そういう「質問する力」を発揮して国民は声を上げるべきだと続けます。


所感

20年近く前の本なのに、結局あんまり状況は変わっていなくて絶望しつつも、やっと人口動態で上の人達がリタイアしはじめてある意味では希望が持てるのでは、と思わされる本です。
また、20年前ということは一部では結果が出ているものもあり、その差分を知ることができるのも面白かったです。(近現代の書籍というのはこの「差分を楽しむ」ことができるのがいいよね。)

私自身にとっては、人口動態と経済の視点や、子供の頃に話題だった「小泉劇場」がどんな性質のものだったのかとか、民営化とは、などを改めて勉強し直すとてもいい機会になりました。

それと、歴史を勉強するたびに思うのですが、人というのは基本的に自分のことしか考えてないし、直ぐに既得権益にすがりつきたがるし、視野は狭いし、一定程度の年齢を過ぎると生理的に変化を恐れる(毛嫌い)するようになるものなんだと。
なんていうか、多分別に悪気ないんですよね、ほとんどの人は。見えている範囲内だけでうまいことやっていこう、と思っているだけというか。
目の前のことをいい感じにやっていければいいじゃないか、と思ってそれなりに頑張る人が、善意でダムを作って公共事業を推し進めようとしている場合もおそらくあるわけです。未来の見知らぬ子孫へ借金がどうこうなんて夢物語で、そんなことより今仕事がなくて困っている地元の建設業にお金を流せるならそのほうがいいじゃないか!と思う人だって絶対にいます。
でも、それが一市民ならともかく、権力を持っている政治家がそんなことばっかりやってるから、現在こういう事になっているわけなんですが…。
まあでもとにかく、それは「悪意」じゃないと思うんですよ。
例えば東京五輪やマイナンバーや大阪万博、だいたい献金がどうのこうのとか入札不正が云々とか話題になりますが、これって仕組み上、割と気軽にそういうことを「できてしまう」仕組みや構造が悪いはずで、けしからん!あいつは人の心がないのか!とSNSで騒いだところであんまり意味がないと思うんです。


大前氏は色々吐き捨てるように書いてますが、それでも「悪い人たちのせい」にして「悪い人を引きずり下ろせばOK」みたいな論調は一切ありません。そうではなく仕組みのほうを変えるべきなんですよね。

SNSでも「人間叩き」みたいなのが流行ってますが、その人個人の倫理観をよってたかって叩いたところであんまり意味はない…ですよね、いやほんとに。
どうやって仕組みを変えていくべきか。私達一人ひとりが本当に真剣に考えないといけないと改めて思う本でした。