戸部 良一 ほか / 失敗の本質―日本軍の組織論的研究

2019-05-10史実に基づく・史実がベース, manage-strat 経営・戦略・思考, social 社会, non-fiction ノンフィクション

衝撃の結論。
組織の運営、プロジェクトの遂行、誰もが一度は悩んだことがある「組織(戦略)の失敗」の本質を、結果的に失敗だった太平洋戦争を振り返ることで明らかにしていく。

前半は、失敗したとされる6つの「作戦」それぞれを、「戦略」という視点から丁寧に振り返っていく。
そして後半は、6つの「作戦」の失敗から見えてきた「失敗の本質」を考察する。

「戦争」の話なのに、テーマは「戦争」ではない

まず、現代日本人にとって非常にセンシティヴな「太平洋戦争」を、感情論をヌキに、戦略の視点から実直に振り返る、という徹底した姿勢がすばらしい。

失敗も成功も、結果というのは殆どの場合、非常に多くの要因や偶然が折り重なって発生する。
だから、その道筋を一般化するというのは、実は非常に難しい。
徹底的に振り返ろうとすると、当事者しかわからない(知らない)ことが多い。
だから「たくさんのサンプルから共通点を見つけ出す」ことを外から他人が行うのは、かなり骨が折れる作業だ。そして結論は非常に抽象的になりやすい。

それを多くの資料等から調査して行おうとした姿勢に頭が下がる。そしてそのテーマが、多くの日本人が「できれば気づかないふりをして目を逸したい」ものなのではないかと思われるものであることは、とても重要なことなのではないでしょうか。

「戦争」というと身構えてしまうけれど、(日本人の)「戦略」について深く探るならば、最も向き合うべき内容なんじゃないか。

もっともっと、もっともっと評価されていい、日本人必読の名著だと思います。

(「戦争」という視点から)

前半の「6つの作戦」は、以下の通り。
当時の関係者の方なら、冷静な気持ちでは読めないかもしれない。

・ノモンハン事件
・ミッドウェー作戦
・ガダルカナル作戦
・インパール作戦
・レイテ海戦
・沖縄作戦

戦争ものによくある「兵士の視点」ではなく、政治の話でもない。1つ1つの戦いを、大きな流れの中でどう成功させていくかという視点は、もしかしたら「陣地取りサバイバル戦略ゲーム」に慣れている人には、既視感を感じる構図かもしれない。
でも、とてもそんな気持ちでは読めなくなってきます。
「ミッドウェー作戦」で「机上演習であれば当然こうしていただろう決断を、実戦ではできなかった」というエピソードが出てくる。動かしているのは架空の駒ではなく、同じ釜のめしを食って、命を預け合いながら戦うことを約束した、血の通った仲間だから。
当時のことに詳しくない読み手でも、日本を生きてきた過去の諸先輩方が、本当に命を賭けて戦ってきたのだ、その軌跡を追っているのだということを思うと、読んでいるだけで緊張してくるのです。

ここに出てくる当時の人達の決断の一つ一つは、もしかしたら「どうしてそんな決断をしてしまったんだ」という内容かもしれない。
人情ドラマではないから、登場人物の出生や感情について深掘りすることはないけど、「どうしてそういう考えだった(になった)のか」「意見が変わった経緯」などの推察はあります。
それを読んだら、それら一つ一つを単純に責めることなど、できないんじゃないでしょうか。

純粋に、日本の先輩たちがどうやって戦ってきたのか、歴史を知る、という意味においても非常に興味深い内容です。

「失敗の本質」<「日本の体質」

実は、本書の大目的である「失敗の本質」の大部分は、企業調査のベストセラーである「ビジョナリー・カンパニー」という本の内容と非常に似ていると考えています。

結論をあえてざっくり書くと、このような感じです。

・良い結果を出し続ける組織は、揺るがない、そして常に物事の判断の基準になるような、「信念」がある
・「信念」をすべての成員が真に理解している
・評価制度が明確かつ公正である
・有用な意見や提案は、当然、積極的に用いられる文化がある
・古い文化ややり方を自ら刷新して成長し続ける自己革新の能力がある

キレイゴトに見えますが、「ビジョナリー・カンパニー」も、「良い企業だと考えられる複数の企業を徹底的に調査して、一般化を試みた」名著であり、読むと納得感が得られると思います。

ビジョナリー・カンパニー 時代を超える生存の原則
ジム コリンズ;ジェリー ポラス (著), 山岡 洋一 (翻訳)
「優良企業の調査と、戦争における失敗した作戦の調査という、一見正反対にすら見えるテーマが、『組織の戦略』という視点においてほぼ同じ結論に達する」なんて。
「企業」という切り口から見れば、「ビジョナリー・カンパニー」の結論と似たようなことが書いてあるビジネス本というのは多いと思います。でも「戦争」という切り口から調査しても結論が似ているというのは、「やはりこれが本質なのだ」と思える、非常に面白い見え方なのではないでしょうか。

さらに、私が一番衝撃を受けたのは、ここでした。

最も大きな非連続性進化は、権威の否定が敗戦という外在的要因によってもたらされたということである。
日本は、ある状況に対しての適応能力は高いが、適応化しすぎて特殊化し、状況の変化には弱い。
そして、近代日本が経済成長を遂げてこれたのは、「敗戦する」という、外からの破壊によるもののおかげなのではないか──。

つまり近代日本は、「自己革新による成長」を遂げたのではなく、「状況が破壊されたから、そこから『適応能力』を発揮し、経済面で世界の主要国に舞い戻ることができた」だけなのではないか。

数年前、「東のエデン」というアニメがあった。
アニメ界では有名な神山健治さんが脚本を担当していて、神山さんの独特な社会風刺的描写が多々出てきます。
その中で確か、主人公の咲ちゃんや多くの人が、社会の理不尽さやつまらなさに、鬱屈とした日常に、「ミサイルが落ちてしまえばいいのに」などとつい思ってしまう…というくだりがあります。
(※アニメでは本当に落ちます)

この、「外的要因によって日常がぶっ壊されてほしい」という感情は、仕事や学校にいきたくないとか、日本で普通に生きていたらなかなか抗えない「嫌なこと」から逃げる方法の1つとして、誰しも一度は考えてしまうことに思える。
これは日本だからとか、日本人だからとかはあまり関係ないでしょう。

でも、この、「自分以外の誰かの責任で、現状破壊が起こってほしい」という神山健治さん風に言うと「空気」は、近代日本(人)が特に強く持つ性質なのではないか。
それも、「適応化のピークを過ぎた」、あとはそのやり方でやっている限り降っていくしかない状況に陥るたびに、露呈するのではないか。

「自分たちでは、成長するための自己革新(既存のやり方や文化を破壊する)ができない」ということなのではないか。

国に限らず現状維持バイアスはどこにでもあるし、そもそも自己革新は容易なことではない。
だからこそ、多くない、良い例を調査して一般化を試みる「ビジョナリー・カンパニー」という本が評価されたりする。

けれど、この本を読んだあとに。

政治や、大きな組織やプロジェクトの一員として、「戦略は偉い人たちが考えるものであって、自分はあまり関係ない」と、思えるだろうか。

「目的を考えると何か変だけど、周りはそう言わないし、仕方ないか」と、違和感を無視できるだろうか。

個々人の生き方や人生という点においては、日本や組織に尽くせなどとは全く思わないけれど、
「自己革新できない」組織の中で、ただただ誰かが破壊してくれることを願っているようだったら、それこそ、その組織もろとも、自分が終わってしまうのでは…。
また、「命を賭して負ける」ような結果を招いてしまうのだとしたら…。

というわけで、ぞっとしてそしてキッと背筋が伸びる、「戦略の本」でした。

本当に名著なので、色々なところで読まれてほしいです。